7.エドが別人に見える
学園を休んでいる間、アリーシアは屋敷の中で好きなように振る舞った。といっても、幻想魔法を使い、姿を隠しながらの行動で、それを知っているのはバルトだけだった。
叔母が開くお茶会にちゃっかり同席したが、お菓子が途中で消えても誰も気がつかない。特にケーキが載せられた皿と空の皿を取り換えたときは、叔母は何度も首をひねっていて、おかしくてたまらなかった。
最初、彼女はおかしいことがあるものだと笑っていた。が、何度も似たようなことが起こるし、他にも目の前にあったものがすぐにどこかに消えるので、何かの病気なのかもしれないと深刻な顔で医者に相談するようになった。
叔父には両親の姿の幻影を何度か見せた。効果てきめんで、いつもと様子が違う。やたらと叔母やイザベラに怒鳴った。だから、屋敷の中はギスギスした雰囲気になっている。
厚顔無恥な男だと思っていたが、父や母に対する罪悪感も少しはあったらしい。公爵家を乗っ取ろうとしていることを反省するかどうかは怪しいものだが。
イザベラにはまだ何もしていない。ユスティスとの婚約解消のための駒として使うつもりなので、今は放っておくことにする。
彼女は両親の様子がなんだかおかしいことは感じ取っているようだったが、卒業パーティーのことで浮かれていたから、あまり深く考えてはいないようだった。
アリーシアが療養している間は、マルガが一日三回の食事を部屋まで持ってきてくれた。
彼女はアリーシアが痩せてしまったことをずっと気にしていたが、叔母が目を光らせていたので、あまり構えなかったのだ。しかし、大怪我したという大義名分があるため、マルガが栄養たっぷりの食事を持っていくのを誰も止めなかった。
叔母もアリーシアが階段から落ちたときには(正確にはイザベラに落とされたのだが)死ぬことを期待していただろうが、さすがに自ら手を加えて飢え死にさせるのはよくないと思っているらしかった。
おかけで、少しふっくらしてきた。今まで食事する暇も碌にないほどこき使われていたし、そもそも料理長は他の使用人の食事以下のものばかり出してきていたからだ。それもきっと叔母の指示だったのだろう。
しかし、マルガはそれを許さず、ちゃんとした食事を持ってきてくれたのだ。彼女はアリーシアがろくな食事も与えられていなかったのを気づかなかったと、泣いて詫びた。彼女のせいではないのに。
やがて階段から落ちて三週間が経った。そろそろ学業に復帰することにした。
あと三週間ほどで卒業だということもある。この二年間はひどい生活をしていたし、学園でも勉強以外のことはしてこなかったから、最後くらいはちゃんとした学園生活を味わいたい気分だったのだ。
いつも雑用しているかどうか目を光らせていた叔母は、最近起きるのが遅いようなので、今日は何もせずにマルガが持ってきてくれた朝食を摂り、ゆっくりと学園へ向かった。一応、大怪我をしたという設定なので、左手や脚に包帯を巻いている。
教室に入ったものの、相変わらず大抵の生徒からは無視されていた。落ちぶれた公爵令嬢なんて、きっと価値がないものだから、いないのと同じなのだろう。
いつもの席にエドが座っている。
そういえば、彼には実験で世話になったのだった。なので、今日は自分のほうから声をかけた。
「おはよう」
そう挨拶をして、隣の席に腰かける。彼は驚いたように顔をさっと上げた。
「えっ、大怪我をしたと聞いたけど……」
「ええ、ちょっと。今はもう大丈夫よ。この間は実験を手伝ってくれて、ありがとう。おかげでレポートもできたわ。さっき提出してきたの」
これで卒業できる。アリーシアは晴れ晴れとした気分だった。彼はそんな自分をまじまじと見ている。
「もしかして……怪我以外に何かあった? いや、何をしたら、そんなに魔力量が増えるんだ?」
その質問に、今度はこちらが驚く番だった。
「あなたは魔力を感知できる人?」
「ああ。特に魔力量には敏感だ。怪我をしたら、魔力量が増えるなんて聞いたことないが……」
「その……いろいろあって……。話してもいいけど、ここでは……」
そもそも、魔力量が増えた話をここでしたくない。クラスメートの誰も自分に興味はないだろうが、誰かの耳に入ると、巡り巡ってイザベラに知られるかもしれない。
彼女がアリーシアを馬鹿にするポイントのひとつは、魔力がほとんどないことなのだ。とはいえ、彼女自身も決して魔法が得意なわけではない。以前のアリーシアよりましな程度なのだが。
それでも、今のところ、魔力量が増えたことを知られて、彼女の優位に立つつもりはなかった。卒業パーティーまでは、ユスティスにふさわしいのは自分なのだと、彼女には勘違いさせておきたかった。
「分かった。放課後、二人で話そう。僕はいきなり魔力量が増える人間がいるなんて知らなかったから、理由を知りたいんだ」
魔力を感知する人なら、それは確かに気になることだろう。
それにしても、彼には寡黙な印象があったが、こんなに魔力の話になると生き生きとしてくるとは思わなかった。いつもの彼ではないみたいだ。
やがて教師がやってきて授業が始まる。魔法実技の授業だ。
久しぶりの授業で、なんだか新鮮に感じるが、それはきっと自分がもう魔法に関して劣等感がないからだろう。
しかし、もちろんまだ魔力が少ないふりは続けていく。どのみち卒業するまでそんなに日数もない。とりあえず卒業はできそうだから、今までどおりのアリーシアを演じるつもりだった。それを変だと思うのは、魔力量が増えたことに気づいたエドだけだ。
やはり彼にはちゃんとした説明が必要なようね。
アリーシアは彼のほうをちらりと見る。
あら……?
前髪の隙間から彼の瞳が覗いている。
紫の瞳……。
ちょっと待って。彼はそんな色の瞳だった?
確かに今まで彼は前髪が目にかぶさっていて、瞳の色どころか、顔立ちもよく分からないくらいだった。
しかも、灰色の髪だと思っていたのに、何故か今日は妙に輝きを放っているように見える。
そんなはずはないと思い返してみても、彼の印象は極端に薄い。ただ、灰色のくすんだ髪で顔が見えなかったことしか思い出せなかった。
隠蔽魔法かしら……?
幻想魔法でも似たようなことはできる。が、恐らく方法が違う。幻想魔法は幻をまとわせる。たとえば、顔だけを隠すなら、別の顔の幻を見せることになる。隠蔽魔法は目の錯覚を利用して、元の姿が分からなくするそうだ。
具体的にどうするかまでは知らない。ただ、そういう魔法があることだけは知っている。ただし、よほどの高度な魔法使いでなければ、そんな魔法は使えないらしい。
今のアリーシアは魔力が段違いに増えたから、隠蔽魔法のほころびが見えてしまったのだろう。
彼はいったい何者なの?
自分が何者なのか知られたくないから、こんな魔法を使ってまで、いつも目立たないように独りぼっちでいたのだろうか。銀髪に紫の瞳だなんて、普通にしていても、この上なく目立つ。
あ、そういえば……。
王族には銀髪が多かったような気がする。そして、紫の瞳も。
でも、まさか……!
ふと、エドがこちらを向いた。そして、笑いかけてくる。
「……そんなに気になる?」
自分が彼の本当の髪色や瞳の色に気づいたことがきっと分かったのだろう。当然ながら、彼の横顔をじっと見つめていたことにも気づかれたわけだ。
アリーシアは真っ赤になりながら、首を横に振った。
「ほ、放課後、話しましょう!」
「ああ、放課後にね……」
エドは静かにそう呟く。
アリーシアの目には、彼はもはや冴えない学生には見えなかった。




