6.もしかしてお兄様は生きている?(後編)
「オスカー様……いらっしゃるのですよね? 生きて……いらっしゃるのですよね? でしたら、お願いですからお姿を見せてください。オスカー様は決して亡くなってはいないのだと、私を安心させてください!」
バルトが虚空に向けて訴えている。
間違いなく、彼は気配を感じていて、それを兄だと思っている。アリーシアは彼の必死の訴えかけを無視する気にはなれなかった。
たとえ彼が叔父から賄賂を受け取り、横領を見逃していたとしても。
それに、彼が幻想魔法のことを知っているのは明らかだ。そのことについても追及したかった。だから、魔法を解いて、アリーシアは姿を現した。
「……わたしよ、バルト」
彼ははっとしたようにこちらに目を向け、しばし固まっていた。が、すぐに目を逸らす。
「アリーシア様でしたか……。昨夜から魔法の気配を感じるようになっていたので、オスカー様がいらしたのかと……」
小さな声だった。落胆しているようにも見える。
彼は兄を探して、夜中に書斎まで来たのだろう。
「あなたはイルディオンの魔法のことを知っているのね?」
バルトは硬い表情で頷いた。
「私はイルディオンの傍系の縁者ですから」
「え、そうなの?」
初めて聞いた情報だ。傍系なら、知っていてもおかしくない。
「もしかして、あなたも魔法を使える?」
傍系でも魔法の才能があれば、イルディオン本家で幻想魔法を習うことができる。直系ほど完璧に使えることはないと聞くが、諜報活動の手伝いが増えれば、本家の負担が減るからだ。
「いいえ、私は魔力の感知能力があるだけなんです。アリーシア様の魔力はオスカー様の魔力によく似ているから……。でも、確かに少し違う」
魔力は人によって量も違えば質も違う。彼はそういったことまで感知できるのだろう。アリーシアは自分の魔力がオスカーのそれと似ているなんて、まったく知らなかった。
「兄妹だから似ているのかしら?」
「そうでしょうね。それにしても……アリーシア様は魔力が少なかったのでは?」
魔力量も感知していた彼にとっては疑問だろう。ペンダントに魔力が封じられていることを話すと、彼は興味深げに聞いていた。
「なるほど。ですが、私はそんな事故のことは聞いておりませんでした。まさか医者も呼ばないとは……。アリーシア様がいなくなったほうが都合がいい、ということでしょうね。まったく浅ましい奴らめ!」
バルトの目がキラリと光る。
どうやら、彼は叔父の言いなりになっていたのではないようだ。なんらかの思惑があって、不正だらけの叔父の秘書官を務めているのだろう。
「わたし、帳簿を見ていたんだけど、ちょっとひどいわね。あんなに横領しているなんて」
「ああ、それですね。私が黙って男爵に従っていたら、堂々と不正の証拠を残すようになったのです。横領だけでなく、脱税もしています。オスカー様が帰ってきたら、国のほうに密告してやるつもりでしたが、もう二年も経ってしまいました……」
最後は苦しそうに言葉を絞り出す。
アリーシアはそんな彼の様子を見て、一緒に胸が苦しくなるのを感じた。
「あなたは……お兄様が生きていると信じているのね?」
「もちろんです! 私は確信しています!」
「確信……ということは、そう思う何かがあるということなの?」
力強い言葉にすがりつきたくて、彼に尋ねた。
「ええ。ときどき……オスカー様の魔力を屋敷周辺でうっすら感じたことがあります。そのときはアリーシア様の魔力はあまり多くはなかったので、間違うことはなかったはずです」
「それなら、お兄様は生きてらっしゃるのね……」
自分には感知能力がないから、それを信じていいかどうか分からない。だけど、兄をそれほど慕うバルトが言うのだから、間違いないのではないだろうか。
わたしだって信じたい……。
「でも、どうして姿を現さないのかしら」
「それは……私も分かりません。が、オスカー様の任務に関わることかもしれません」
兄は父と共に諜報活動を担っていた。そのため、二人とも長く屋敷を空けることがよくあった。だが、二年も帰ってこなかったことはない。
だけど、帰ってこないことに何か特別な理由があるのかもしれない。状況的には兄は死亡していると見られるが、それでもアリーシアはバルトの言葉を信じたかった。
「兄は父とイルディオンの領地に滞在していて、王都に戻るときに馬車の事故に遭ったのよね。確か兄も一緒の馬車に乗ったと証言があって……」
「王都に戻る前にイルディオンの領地の近くにあったブランシュ子爵家に寄ったのです。証言はブランシュ子爵のものでした」
そうだった。ブランシュ子爵はイルディオンの傍系に当たる。だから、その証言を疑ったことはなかった。葬儀のときも親戚の中で一番早く駆けつけてくれたのだ。
「馬車に乗って、そのまま王都の屋敷に戻ってこようとしていたかどうか……。私は領地にしばらく滞在してから、任務に出るとオスカー様から伺っていたのです」
「えっ、それは本当なの?」
留守を預かっていたアリーシアは何も聞いていなかった。とはいえ、父はそのまま帰ってくる予定だったのだろう。途中、馬車が谷底に落ちてしまい、帰らぬ人となってしまった。
「だけど、その任務が長くかかるとは聞いてなかったのでしょう?」
「そうです。具体的には聞いていませんでしたが、いつものとおり長くても一ヵ月くらいのつもりだったのではないかと思っていました。ただ、思いがけなく長くかかる可能性だってあるはずです。それに……」
彼はふと声を潜めた。どのみちここには二人しかいないのだが。
「ブランシュ子爵が駆けつけるのがずいぶん早くありませんでしたか?」
「それはそうだけど……」
今の今まで疑問に思わなかった。父の事故と訃報が領地にもたらされ、領地の近くに住むブランシュ子爵にも連絡が行くのは分かるが、それにしてもずいぶん早かった気がする。
「ひと気のない崖道で馬車の事故が起こったというのに、馬もろとも馬車が谷底に落ちていたのを、すぐに近隣の村人に発見され、ご遺体の身元がすぐ分かり、すぐに領地に連絡があった。それからこちらに連絡が来たのとほぼ同時に、ブランシュ子爵が訪ねてきた。まるで公爵様の事故を知っていたかのような……」
「まさか……! ブランシュ子爵が馬車に何か細工して……」
バルトも証拠があるわけではないようだから、ただの憶測だ。だが、もしそうなら……。
ショックを受けて、頭から血の気が引きそうになっていた。
「私も知っておりますが、あの崖の道はひどく荒れているのです。過剰に揺れたら車軸が折れるように魔法で細工する方法もあると聞きます。ブランシュ子爵は公爵代理を務めると、お嬢様に提案してきましたよね?」
「ええ。優しく慰めてくれて、すべてお任せしたほうがいいかもしれないと思ったわ。どのみち、わたしは成人するまで代理はできないから」
ブランシュ子爵は祖父の甥、父の従兄弟にあたる人だ。父とあまり変わらない年齢で、父を亡くしたばかりのアリーシアにとって頼りたいと思わせる人物でもあった。
「ですが、そこに男爵が陛下から代理の任命をされて、乗り込んできた。それがなければ、この家は本当にブランシュ子爵に乗っ取られていたかもしれません。男爵もひどいですが、さすがに公爵家を乗っ取ることはできませんしね」
傍系といえども、イルディオン家の血筋だ。しかも、遠い血筋ではない。公爵家を継ぐにはぴったりだった。
逆に、母方の叔父ではいくら代理を務めていたとしても、公爵家を継ぐことはできないだろう。そういう意味では、叔父はいい役割を果たしてくれたかのもしれない。
「実は……ブランシュ子爵家かどうかは定かではないのですが、オスカー様でもアリーシア様でもない魔力を感知することがよくあります。この屋敷は監視されていますね」
それは考えてもみないことだった。
敵は叔父一家とユスティスだけだと思っていたのに……。
味方だと思い込んでいたブランシュ子爵について、もっと調べたほうがいいだろう。もし本当に父の死に関与していたのだとしたら、必ず罪を償わせてやらなくてはいけない。
「オスカー様が帰ってこられるのが一番ですが、まずはアリーシア様が成人なさってから、公爵家の代理権を陛下からいただくことです。そのために、今まで証拠を集めてきました」
バルトが今まで叔父に従っているように見えたのは、証拠を集めるためだったのだ。彼と一緒にこの書斎で書類仕事をしていた日々を思い出し、ほっと息をつく。
わたしの味方はホルツやマルガの他にもちゃんといたのね……。
「そうね。わたしには幻想魔法が使えないと思っていた時期は、叔父達を排除する気力もなかったし、そのすべも思いつかなかった。でも、今はなんでもできる気分よ。陛下がなんと言おうと、わたしは代理権をもらうわ。わたしにはその権利も資格もあるんだもの!」
「そのとおりです!」
バルトは勢いよくそう言った後、少し自嘲気味に笑った。
「でも……申し訳ありません。私はアリーシア様がつらい目に遭っていたというのに、お助けもしませんでした。男爵に信じてもらえるように演じていたのですが、まさか階段から突き落とされるとは……」
「防御魔法のおかげで本当に助かったわ」
「実は、マルガからこっそり容態を聞きだしていました。彼女は神様のおかげだと信じていましたが」
二人は声を合わせて笑った。が、夜中であることを思い出し、慌てて口を手で押さえる。
屋敷の中の味方が三人に増えたことで、ずいぶん気持ちが楽になった。一番つらいときは笑顔も出ない日々だったのだ。しかも、バルトは同じ一族で、幻想魔法のことも知っている。
「わたしは王太子との婚約もなんとか回避したいの」
「ああ……役立たずのユスティス王太子ですね。あいつはアリーシア様を助けられる立場にいるのに」
「彼はイザベラとベッタリなのよ」
バルトは恐らくそれを知らなかったのだろう。顔をしかめた。
「それは……向こうから解消してもらいましょうか」
「ええ、それがベストだと思っているわ。ただ、陛下が絡んでいるから……。彼が解消すると言い出してくれても、陛下に却下されたらどうしようもない」
「では、パーティーなどで婚約解消の宣言をしてもらうのはどうでしょう? 大勢の貴族の前で宣言されたら、恥をかかされたと陛下に泣きつくのです。子供の不始末は親が責任を取るべきですからね」
「それはいいわね! ちょうど卒業パーティーがあるわ。しかも、イザベラは彼にパートナーになってもらうつもりなの」
バルトはやれやれといったふうに肩をすくめた。
「なかなか向こう見ずなお嬢様ですね。従姉妹の婚約者をパートナーに……ですか。それに乗る王太子も王太子ですが。この国の行方が思いやられる」
「まったくね。でも、わたしにとっては操りやすいから、そのほうがいいわ。ユスティスはわたしを救おうとせず、イザベラと一緒になってさんざん罵倒してきたの。婚約解消だけじゃなくて、後悔させてやるわ。……もちろん叔父様、叔母様、イザベラにも」
彼はふっと笑い、眼鏡の位置を直した。
「今のアリーシア様なら簡単でしょう? 幻想魔法の奥義を使えば、精神を破壊することだってできるはず」
「え、あなた、どうしてそれを知っているの? 幻想魔法の奥義は直系のみに伝えられるもので……まあ、わたしがそれを知っているのも本来はおかしなことなんだけど」
幻想魔法の恐ろしいところは、幻を見せる相手を絞ることもできることだ。
つまり……自分だけに幻が見えたとしたら……?
どんなに怖がっても、誰にも理解してもらえない。自分の目が信じられなくなるだろう。
これは人の精神を操る恐ろしい魔法だ。それゆえ、国王も知らない。傍系に魔力が多い者が生まれれば、幻想魔法を伝授するが、それでも他人の精神を破壊しかねない魔法だけは直系のみに伝えられる。
バルトは静かにアリーシアの疑問に答えた。
「傍系の中には、そういう魔法があることは知る者がいます。幻想魔法の使い手としてイルディオン家は長い歴史があります。その中で、やはりアリーシア様のように例外的に教えられた者がいたのでしょう」
「そうなのね……。でも、どうしてわたしが例外だったのかしら」
「アリーシア様の魔力量が多いからでしょうね。だから、大人になるまで封印もされた。きっと、子供の頃に無意識で魔法を使っていたのではないでしょうか」
「あ……わたし、お祖母様を創ってしまって……」
彼はふふっと笑った。
「それは……大変ですね。子供の頃にすでにそうであれば、幻想魔法のすべてを教えたくなるのも分かります。それに、次期公爵だったオスカー様と魔力の質が似ている。まるで、アリーシア様が公爵になることを予想されていたような……」
「ううん。お兄様は生きているから、わたしは公爵にはならないわ。……それはあなたが言ったことよ」
彼が兄は生きていると信じているのだ。そう断言したから、アリーシアも勇気づけられた。
「そうですね。アリーシア様は代理を務めるだけです。そして、私はそのアリーシア様の補佐を務めます。男爵の不正の証拠は私が預かっておきましょう」
「では、頼むわ。もし、お兄様や他の傍系の魔力を感じたら、教えてね」
「はい。承知しました」
彼は胸に手を当て、恭しく礼をした。
心強い味方が現れたことが嬉しくて、アリーシアは微笑む。
さて。そろそろ復讐の始まりよ。
叔父夫婦にイザベラ、ユスティス――それから、もしかしたら、その中にブランシュ子爵も入るかもしれない。
イルディオン公爵家に手を出そうとしたことを、死ぬほど後悔させてやるわ!
アリーシアは心にそう誓った。




