36.二人の未来
「じっとして。脚も治療するから……君の部屋はどこ?」
「二階よ……」
小さな声で教えると、彼はそのまま階段を上がり、アリーシアを部屋まで運んでいく。
何かと騒がしかったから、他にも使用人が集まってきている。彼らの前を抱っこされながら移動するのは恥ずかしかった。
自室のソファに静かに下ろされて、アリーシアは一息ついた。
「ありがとう……」
エドアルドはアリーシアの前にさっとひざまずく。
「えっ、ちょっと……」
「どこが痛いんだ? ドレスの上からでもいいから、教えてくれ」
彼は治癒魔法をしてくれるつもりなのか。いきなり、ひざまずかれて驚いてしまった。
「あの……ここよ」
ドレスの上からでは、どのくらい治癒魔法をかけていいか分からないだろう。アリーシアは躊躇いつつ裾を少しめくって、靴下を下げ、痛む脛あたりを見せた。
たかが脚を見せるだけ……なのに、なんだか恥ずかしい。
学園の制服の丈はこれくらい短かったのに。
きっと、彼が目の前にひざまずいて、視線を脚に向けているからだろう。
「痣になっているじゃないか」
治癒魔法をかけてもらい、たちまち痣はなくなり、痛みも消えた。
「……よかった。僕の治癒魔法程度で治るほどの怪我で」
「もう痛くないわ。本当にありがとう」
アリーシアは脚を少し動かしてみる。幸い、骨折とか、ひどい状況ではなかったようだ。靴下とドレスの裾を直していると、エドアルドは立ち上がった。
「そちらにどうぞ座って」
自分とは向かい側に置いてある一人掛け用のソファに座ってもらおうとしたのに、彼はアリーシアの隣に腰を下ろした。
ドキッとして、体温が上がる気がする。
「僕はいつだって君の傍にいたいんだ」
「あ……えっと……」
「君はそうじゃない?」
本当は自分もそう思っている。いつだって彼の傍にいたい。
だけど、何故だか、家族や婚約者以外の男性と同じ部屋に二人きりでいてはいけないとか、そういう淑女の嗜みが急に頭に浮かんでくる。
別に彼と距離を置きたいわけではないのに。
でも、こんなにわけの分からない態度を取っていたら、彼にいつか呆れられてしまうかもしれない。好きなら態度で示して、きちんと言葉にしなければ。
だって、誤解されそうだもの。
わたしは彼に誤解されたくないし、嫌われたくない。
ずっと好きでいてもらいたい……!
「わたし……なかなか素直になれないみたい」
「素直になれないから、すぐにうつむいてしまう?」
自分の気持ちは彼に見抜かれているのかもしれない。
「近くにいると、なんだか恥ずかしくなっちゃう……。エドのこと……すごく好きで、傍にいたいけど……顔を見ると照れてしまうし……。照れたら、なんだか逃げたくなるの」
整理できない自分の気持ちを、なんとか言葉にしようと頑張ってみる。それで、彼に伝わるのか分からないけれど。
「僕の顔を見ると、照れるんだ?」
「だって……エドの瞳が……じっとわたしを見つめていて……。まるで、吸い込まれてしまいそう。わたしは相手によって冷たいときもあるし、意地悪なことを考えていることもある。こんなわたしを丸ごとすべて許しているみたいに見えて……震えそうなくらい嬉しいけど、怖くもあるのよ」
「怖い……?」
彼の手が膝の上に置いたアリーシアの手に触れてきた。そっと握られて、自分自身が妙に頼りなく感じる。
「おかしいわよね。怖いなんて……。でも、わたしは大した人間じゃない。わたしを好きだなんて、本当は何かの間違いかもしれないって……」
「間違いなわけがないじゃないか」
「だけど……」
アリーシアは少し躊躇った。幻想魔法の真実について、あまり言わないほうがいいことがある。
でも、ちゃんと言わないと何も伝わらないのだ。
「エドが王太子になったから、本当のことを打ち明けるわ。幻想魔法って、相手の目じゃなく、心に干渉して幻を見せる魔法なの。そういう能力があることを嫌う人がいるのも知ってる。もしかしたら、エドも……」
彼は嫌われたらイヤだ。でも、これを黙っているのは不実な気がした。
「王宮に戻ってから、父からイルディオン家について、すべて教えてもらったよ。代々の国王がどんなふうにイルディオンを都合よく使ってきたかについても」
それは自分達の間において、避けては通れない問題だ。彼が何を知っているか分からなかったから、アリーシアも踏み込めなかった。
でも……陛下からすべて聞いたのね。
ユスティスは婚約者でありながら、幻想魔法について何も知らなかった。普通の貴族並みの知識しかないようだった。
しかし、エドアルドは帰ってきた早々に、もう聞いている。それだけ、国王の信頼も厚いということだろう。
「まず、僕の考えから話そう。僕は君がどんな魔法を使おうが、君に対する気持ちは変わらない。決して揺るがない自信がある。君を好きなのは、そんな浅い気持ちからじゃないんだ」
その言葉がまっすぐにアリーシアの胸に響いた。
そして、それは確かに真実の声のように聞こえた。
「君のほうはどうだろう? 僕は君の一族をいいように扱ってきた側の人間だよ? 僕もこのままなら即位することになる。イルディオンの血を引く君を王族に迎え入れたいために、口説いているのかもしれない……と考えたことは?」
「あるわけないわ! あなたは……別よ。あなたは王族だけど、わたしにとってはそうじゃないもの。エドが『エド』のままでも好きだったはずよ」
そう断言した後に、急に恥ずかしくなってくる。耳元まで熱くなってきて、なんだか狼狽えてしまった。
「……ありがとう。嬉しいよ」
「だ、だけど……別の意味では不安にはなってくるわ。あなたが口説いてくるから……あなたに好かれていると信じ込んで調子に乗ったりするんじゃないか、そんな振る舞いをしていつか嫌われるんじゃないかって……」
エドアルドは握っていたアリーシアの手を自分の口元に持っていき、キスをした。
「……不安になるのは僕のほうもだよ」
「エドも?」
「君への気持ちが抑えられなくなって、行き過ぎたことをしてしまうかもしれない。そうしたら、君は逃げるんじゃないか。嫌われるんじゃないか。そう思いながらも、君を手放したくなくて、こうして傍に置いておけば、逃げられるのを防げるかもしれない……と」
そんな考えで、彼は自分の横に座りたがったのか。
まさか彼も不安を抱えていたとは思わなかった。
「あまりに自然に距離を詰めてくるから、あなたはこういうことに慣れているのかしらって思っていたのに」
「そんなわけないよ。魔塔育ちなんだ。魔法のことばかりで女の子どころじゃなかった。学園では『陰気なエド』で、誰も寄ってこなかった。その間もずっと隣の席の女の子ばかり見ていたし」
「あ……そ、そうなの?」
エドアルドはアリーシアの腕を引き寄せ、自分のほうに向かせた。やはりまだ恥ずかしいけれど、思い切って彼の顔を見る。
彼もまたじっとアリーシアの瞳を見つめた。
「僕はずっと君の傍にいたい。君をずっと見ていたい。僕の隣で君が幸せそうな顔をしたり、照れたり、時には涙を零したり、笑ったりしているところを見ていたいんだ」
そう言われたとき、アリーシアの頭の中に、彼が紫の宝石みたいな瞳を煌めかせながら笑うところが浮かんだ。
蕩けるような眼差しを向けてきたり、王太子として真面目な顔をしたり、厳しい表情を覗かせるときもあるだろう。
でも、その全部を見てみたい。
胸の奥が熱くなり、顔が火照ってくる。
「わたしもエドのいろんな顔をずっと見ていたい……」
「アリーシア……」
彼の瞳が喜びに震えている。しかし、それは一瞬のことで、少し不安そうに睫毛が目を覆う。もう一度、目を開けたとき、彼はまっすぐにアリーシアを見つめていた。
「じゃあ、僕と結婚してくれないか?」
「エド……」
喜びが大きすぎて、胸が詰まったように言葉が出てこない。
本当に……本当にわたしと結婚してくれるの?
一生あなたの傍にいられるの?
「兄上との婚約を解消したばかりで、本当は間を置かなくてはいけないと分かっている。ひどい目に遭ったんだから、しばらくのんびりさせてあげたい気持ちもある。だけど、君と離れたくないんだ」
「ああ、エド……!」
嬉しすぎて涙が零れてくる。
わたしったら、どうしてこんなときにまで泣いてしまうのかしら。
「今日みたいなことがまたあったら、僕は命がいくらあっても足りない。僕の傍にいてくれ。そして……君のすべてを僕にくれ」
「ええ! あなたと結婚するわ! ずっと一緒にいるから……」
アリーシアが彼にしがみつくのと同時に、彼もアリーシアを抱き締める。
抱き締め合うと、互いの体温が伝わってくる。
わたしはずっと彼の腕の中にいていいのね……。
あまりにも幸せで、信じられないくらいだ。
「あ……でも、陛下はどう思われるかしら。それに、有力貴族の反対とか……?」
「父上は最初から賛成だよ。メルテンス侯爵が失脚した今、他の貴族はしばらくおとなしくしているはずだ」
「最初からって?」
彼はクスッと笑った。
「父上が婚約解消を承認してすぐに、僕から申し出た。ただ、すぐに婚約しては世間的によくないから、自重するようには言われていた。でもね……」
アリーシアの耳元で彼が囁く。
「僕は君が好きで好きでたまらないんだ。どれだけ自分が我慢できるか分からないんだよ」
「わたしは……いつかわたしなんかよりエドにふさわしい人が見つかるんじゃないかと思っていたわ」
「君以外にふさわしい人なんていないよ。不安にならないで。僕の言葉を信じて」
エドアルドはアリーシアの頬を両手で包んだ。
彼が幸せそうに微笑んでいることに気づき、はっとする。
こんなにも顔をした彼を見たのは初めてだった。
胸の奥が蕩けてくる。
わたしも……幸せだから。
「愛しているよ、リシア……」
どうか僕の言葉を信じて。
そんなふうに心の声が聞こえたような気がした。
「嬉しい……! わたしも……あなたを愛してるわ」
だから、わたしの言葉も信じて。
唇が重なる。
吐息が甘く感じられて……。
二人はこれから続く永遠の道程を思い描いた。
あと、エピローグを残すだけです。
本日中に投稿します。




