35.ユスティスの暴走
「そういえば、殿下は離宮に滞在しているとお聞きしまたが……」
国王がユスティスに謹慎を命じているところに、アリーシアも居合わせている。何もかも知っているが、言葉を選んだ。
「あんなところ、もう飽きた。何もない。誰も来ない。退屈すぎる」
ユスティスは子供みたいなことを言う。
思わず溜息をつきそうになる。彼は国王がどんなつもりで命令したのか、実はその意味もよく分かっていなかったのか。
分かっているはずだと思い込んでいたけど……。
それとも、喉元を過ぎると、すべて忘れてしまわれたのかしらねえ。
アリーシアは憐みの視線を彼に向けた。
「お付きの方達はお止めにならなかったのですね」
「止められたが……知ったことか! 俺は王子だ!」
つまり、止められたが、押し切って出てきたということだ。それでは、すでに王宮に連絡が入れられていることだろう。
もう手遅れか。でも、一応、助言してあげようかしら。
「殿下のために進言しますが、できるだけ早くお戻りになられたほうがいいと思います」
「おまえまで何を言う! それより……アリーシア、おまえは俺と結婚しろ!」
表情が強張る。思わず冷たい目で見てしまった。
そんなことを言うために、ここにやってきたのか。
「わたし達の婚約はすでに解消済みです。殿下がパーティーで破棄なさったのです」
「それは……気の迷いだ。イザベラという悪女に騙されていただけだ。おまえはみすぼらしくもないし……なかなか綺麗じゃないか。着飾れば、いい女だ。俺と結婚すれば、おまえは王太子妃になれるぞ」
まだそんなことを言っているのか。とっくにエドアルドが王太子となっているのに。
それとも、夢でも見ているのだろうか。アリーシアと結婚したら王太子になれるとでも、離宮で夢想していたのかもしれない。
「殿下……殿下は王太子ではありません」
「おまえと結婚したら、父上も見直してくれるはずだ」
「そんなことにはなりません。……その前に、わたしは殿下と結婚しません」
なるべく遠回しに断ろうと思っていたが、だんだん我慢できなくなってくる。
「どうしてだっ? 俺が結婚してやるって言ってるんだ。王太子妃になれば、好きなだけ贅沢できるし、誰もがおまえにかしづく。宝石だってドレスだって、なんでも手に入る」
アリーシアは愕然とした。彼は王太子妃という国にとって重要な立場を、ただ気ままに遊んでいるだけの存在のように思っていたのだ。
そもそも、彼は王太子としての公務をせずに、遊んでばかりだったという。いったい誰がこんな勘違いをさせたのだろう。
「王族は王族として、やるべきことがあるはずです! 贅沢して遊ぶために生まれきたわけではないでしょう? エドアルド殿下は寝る間も惜しんで、公務や勉強をなさっているというのに……」
「あいつの名前を出すな!」
ユスティスは勢いをつけて立ち上がった。
怒りが顔に表れている。
風が……どこからもなく吹いてきた。
窓も開いてないというのに。
アリーシアは嫌な予感がして、さっと立ち上がると、彼と距離を置いた。
「あいつは……俺の立場を奪いやがった! 側妃の子のくせに。無能で陰気な奴なのに。おまえもあいつのほうがいいのか!」
風が強くなる。アリーシアは髪を押さえた。
これはきっとユスティスの魔法だ。嵐のような風が応接間の中を吹き荒れ、テーブルの上のカップやお菓子は飛び散っている。ケーキは皿ごとひっくり返って、床に落ちた。
花瓶は倒れ、花が目の前を飛んでいく。壁の絵が外れて、今度ははっきりとアリーシアを目がけて飛んでくる。
なんとか避けながらも、恐怖を感じた。
彼を怒らせるべきではなかった。だけど……。
幻想魔法ではこういう攻撃魔法に晒されたら、なすすべがない。防御にもならないのだ。それとも、何か怪物を出せば、怯んでくれるだろうか。
しかし、集中する前に、床に落ちたはずのケーキ皿やフォークも飛んでくる。
「ああっ……」
顔を庇った手に痛みが走る。
飾ってあったオルゴールが飛んできて、脚に当たり、うずくまった。
彼は邪悪な笑みを浮かべながら、強風で大理石のテーブルを動かそうとしている。あんな重い物が飛んできたら、避けることもできない。
「誰か……!」
助けを求めようとしたが、誰かが入ってきたら、その人が怪我をする。
ああ、どうしよう……。
絶体絶命だ。
そのとき、エドアルドの声が耳に飛び込んできた。
「……リシア!」
わたしを助けにきてくれたんだわ!
彼はうずくまるアリーシアの肩を素早く抱き寄せ、こちらへ飛んでくるテーブルに向かって、片方の手を突き出した。
すると、テーブルは力を失ったようにドシンと大きな音を立てて、床に落ちる。
同時に風も止まった。
「どうしてだ……。俺の魔法が……!」
ユスティスは頭を抱えて、混乱している。その手首には魔法封じの腕輪がはまっていた。
よかった。もう魔法で物が飛んでくることはないみたい。
「リシア、怪我は?」
エドアルドが心配しているのが分かり、少し笑った。
だって、誰もがわたしに対して過保護だから。
「大丈夫。手がちょっと……」
フォークがかすっていったときに手の甲が切れて、血が出ていた。オルゴールはドレスの上から当たったから、ただの打撲のようだ。
エドアルドはすぐに治癒魔法をかけてくれる。たちまち痛みは消えていった。
「ありがとう。怪我を治してくれて。それから、助けてくれてありがとう」
「王宮を出るときに、兄上が離宮からいなくなったと連絡をもらった。嫌な予感がしたから、急いで馬に飛び乗ってきたんだ」
やはり、連絡がいっていたのか。
アリーシアはエドアルドの手を借り、よろよろと立ち上がった。打撲の痛みもあるが、精神的なショックがあるみたいだ。なんだか身体に力が入らない。
でも……。
このままにしておくのは嫌だわ。
アリーシアはエドアルドの前に、醜悪な怪物を出した。天井まであるような巨大な怪物だ。
「わぁぁぁっ……! 誰かぁぁぁ……っ!」
そう叫んだかと思うと、彼は急にへなへなと力を失い、倒れた。そして、動かなくなる。
「え……まさか死んだんじゃないわよね?」
「いや、気を失っただけだと思うよ」
それならよかった。
さすがに王子を殺害した罪で裁かれたくはない。
「でも、気を失うなんて、やり過ぎたかしら」
廊下からバタバタと足音が聞えてきたので、怪物を消す。それと同時に、二人の衛兵が入ってきた。彼らは部屋の惨状を見て、驚いていた。
「エドアルド殿下、これはいったい……」
「ユスティスが魔法を使って、アリーシア嬢を殺害しようとしたんだ。とっさに魔法封じの腕輪をつけ、少し脅かしたら、気を失ったようだ」
「なんと……! アリーシア嬢はご無事でしたか?」
アリーシアはよろめいて、エドアルドに身体を支えられる。気弱なふりをしようとしたのだが、実際、身体がなんだか言うことを聞かない。
「ええ……。エドアルド殿下が助けてくださったから……」
「そうですか。ご無事でよかったです」
エドアルドは二人に命令を出した。
「ユスティスを王宮に連れて帰ってくれ。父上に、僕が言ったことやこの惨状を報告してほしい」
「了解しました!」
衛兵は二人で協力してユスティスの身体を抱えると、部屋を出ていく。それを見送りながら、エドアルドは溜息と共にぽつりと呟いた。
「わざわざ自分を窮状に追い込むなんて思わなかったな」
「そうよね。でも、特に何も考えてなかったみたいよ。自分の都合のいいように考えているの。未だに、わたしと結婚すれば王太子に戻れると思っていたみたい」
「なんだってそんな馬鹿なことを……」
彼は絶句していた。
ユスティスのことはよく知らないが、普通に考えて、厳しい教育を受けてきたものだとばかり思っていた。けれども、公務に関して怠け癖はあったようだし、真面目に勉強してきたとは思えない。
あまりにも……あまりにも愚かすぎるから。
いや、一国の王子に対して失礼だとは思っているのよ。でも、そうとしか表現できなくて。
国王が叱責しているときでさえ、王妃は庇おうとしていたし、それが日常だったのだろう。要するに、これが甘やかして育てられた結果だ。
でも、王子なんだから、それで済ませるのはよくない。
国王もその側近も、ユスティスを見て、国の将来を危ぶんだことだろう。エドアルドが立派に育ったからよかったようなものの、いったいどうする気だったのか。
「あいつは君に結婚を断られたから、暴走したのか?」
「ううん。ユスティスが王太子妃は贅沢して遊ぶだけだと言うから、頭にきちゃって。エドは寝る間も惜しんで公務や勉強をしていると言ったら……」
「ああ、それは……激怒しただろうな」
逆鱗に触れたのは分かっている。それだけは口にしてはならなかったことも。
ユスティスは王太子という身分を失い、彼からすると、その隙に入り込んできたのがエドアルドだ。恐らく恨んでいることだろう。
だけど、どうしても言わずにはいられなかったのだ。
「とにかく、君が大怪我をする前に暴走を止められてよかった」
彼はしみじみとそう言った。
そのとき、誰かが近づいてくる気配がして振り向く。
「お嬢様……えっ、なんですか。これは……!」
ホルツが部屋の有様を見て驚愕していた。
「何か物音がしていて、気になったのですが、ちょうどエドアルド殿下がいらしていたので、お迎えしておりました。その後から衛兵の方達が……」
「それでよかったのよ。エドアルド殿下に助けてもらえたから。あのときホルツが部屋に来ても、危険なだけだったわ」
マルガもボニーもやってきて、部屋を見て青ざめる。
アリーシアはみんなに部屋の片づけを行うように指示を出し、エドアルドに話しかけた。
「ここでは話ができないから、部屋を変えましょう。どうぞこちらに……」
先に立って歩こうとして、打撲した脚が痛み、少しよろけた。
「大丈夫か?」
エドアルドが再びアリーシアを支える。
「ええ。ちょっとオルゴールが脚に当たったから……」
「それはよくない」
身体がふわりと浮き上がり、あっという間にエドアルドに抱き上げられていた。
「エ、エド……! こういうの、よくないわ。下ろして!」
アリーシアは動転していたが、彼のほうは冷静だ。
「じっとして。脚も治療するから……君の部屋はどこ?」
次のエピソードも本日中に投稿します。




