33.エドアルドに溶かされる心
王宮では、以前も足を踏み入れたことのある私的な応接間に通された。
兄と並んでソファに座ると、その向かい側にエドアルド、そして一人掛けのソファに国王が腰かけた。
目の前のテーブルには、お茶とたくさんのお菓子が置かれる。それらを運んできた侍女は退出していき、衛兵は扉の向こうで待機していた。
ここで優雅なお茶会……のわけがないので、なんだか緊張してくる。一体なんの話をされるのだろうか。
「冷めないうちにお茶をどうぞ。お菓子もおいしいよ」
エドアルドはそう言ってくれるものの、お茶に口をつけるだけで精一杯だった。
国王は裁判所で見た厳しい表情ではもうなかった。柔和な顔というわけでもないが、口元には笑みが浮かんでいる。
「エドアルドが忙しくて、よく愚痴を零している。アリーシア嬢がたまに王宮に遊びに来てくれたら、喜ぶだろう」
普通の貴族令嬢にとって、王宮なんて、気軽に遊びに来られる場所ではない。国王はここで暮らしているから、特別な場所とは認識していないのだろうが。
「……ご招待いただけたら、喜んで伺います」
アリーシアの立場ではそう答えるしかない。
とはいえ、確かに招待されたら、喜んで来てしまうだろう。エドアルドと顔を合わせるだけでも、なんだか元気が出てくる。心の中に溜まった悪いものも消えていくようだった。
「イルディオン公爵はどうだね? 爵位を継承してから、変わったことはあったかな?」
兄は答える。
「叔父に荒らされた屋敷が元に戻ってきて、少し落ち着いてきました。裁判も終わりましたし、叔父の代理人から横領金の返還や賠償金の支払いを受けたら、少し領地に行って、のんびりしたいですね」
「そうだね。地下牢に忍び込んだり、大変だっただろうからね」
アリーシアはギクリとしたが、兄のほうは笑った。そのまま、しらばくれるかと思ったけれど、彼はあっさり認める。
「ほんの少し、復讐しただけです」
「君にその権利はあるな」
「あると思います」
そんな会話の後、国王は改まって尋ねた。
「実は相談がある。メルテンス侯爵の家族のことだ」
「ああ……はい」
兄の声が低くなる。やはり、彼もまた侯爵の家族が死刑になることを、あまり快く思ってはいないのだ。
「家族に尋問を行ったが、誰もボステンとの関係を知らなかった。彼の悪事のことも知らず……知っていたのは王妃だけだった。王妃は立場的に死刑にはしづらい。それなのに、無関係の彼の家族だけが死刑になるのは、おかしいと思わざるを得ない」
アリーシアも兄も頷いた。
侯爵の家族の中には、同じ学園に通う者もいた。未成年でもある。それを思うと、できれば死刑にはしてほしくない。
「そこで、表向きには処刑したことにして、王都以外の小さな町――王家の直轄地に逃がそうと思っている。君達はそれについてどう思う?」
つまり、自分達に了解を得たいということなのだ。
アリーシアは胸の内に燻っていたものが溶けていくのが分かった。兄も同じ気持ちだっただろう。
「私はそのほうがいいと思います」
「わたくしも……同じように思います」
二人が同意したことで、国王とエドアルドは頷き合った。
「……もちろん監視はつける。彼らにもその条件は呑んでもらうことになるな」
「死刑になるよりましでしょう」
兄は国王にそう言い、さらに付け加えた。
「それで、彼らを移送するときに、私の協力が必要ですか?」
「察しがいいな」
国王はニヤリと笑った。だが、すぐに真顔に戻る。
「君には面倒ばかりかけて済まないが、秘密裏に行わなければ、国を売っても大した罪にはならないと思われてしまう」
「分かっています」
そのまま、国王と兄は打ち合わせに入るために、場所を移動した。
残されたのは、アリーシアとエドアルド、そしてお菓子の山だ。
「二人きりになるのは本当に久しぶりだね」
彼は立ち上がり、お茶が入った自分のカップを持って、アリーシアの隣に移動してくる。
すぐ近くに彼がいる。それを意識するだけで、なんだか胸が熱くなってきた。
心臓の音が妙に気になる。今まで何度もこんなふうに傍にいたというのに、久しぶりだからだろうか。
「顔を伏せないで。こっちを向いて」
彼にそう言われて、顔を上げた。なんだか頬も熱い。そっと横を見ると、彼の蕩けるような笑みがあった。
その笑顔が視界に入っただけで、離れていた時間がなかったかのように思えてくる。
一緒に街を歩いたり、ミュラー商会やメルテンス侯爵家に忍び込んだときのことが頭に浮かんできた。あのときも、こんなふうにすぐ近くにいてくれたのだ。
彼の屋敷に招かれて、キス……もされたわ。
思い出すと、顔が赤らんでくる。
「そんなに見つめないで……」
だって、恥ずかしくなってくるから。
「久しぶりなんだ。もっと君の顔を見ていたいよ。……ダメかな?」
「ダ、ダメじゃないけど……」
実際、見られるのは恥ずかしいが、アリーシアだって彼の顔をじっと見つめていたい。
紫の瞳がキラキラと宝石みたいに煌めいていて、ずっと眺めていたくなる。
「なかなか約束が守れなくて、ごめん」
「……いいの。王太子になったら忙しいんでしょう?」
「そうなんだ。ユスティスの奴は書類仕事を秘書官に押しつけて、遊び回っていたらしいが、さすがにその真似をするわけにはいかないから。それに、僕は王太子のための教育も受けていない。今から覚えることがたくさんあって、大変なんだ」
王太子教育というか、国王になるための教育なのだ。それは間違いなく大変だろう。
国王としてこの国をどう導くべきか。政治も経済も、そしていろんな産業のことも頭に入れておかなくてはならないと思う。外交のこともある。つまり、自国のことだけでなく、近隣国やもっと遠い国のことも覚えなくてはならないはずだ。
もちろん言語や礼儀作法だって……。
アリーシアも学園を卒業すれば、王太子妃教育を受ける予定だった。
デビュタントまでに公爵令嬢としての一般教育は終えていたし、イルディオン家の特性として諜報活動に必要な多岐に亘る教育も受けていた。
だから、学園を卒業した後でも、なんとかなるだろうという判断をされたのだ。
「魔塔に行く前は、王子教育みたいなものは受けなかったの?」
「受けてはいたよ。魔塔でも、教師からいろんな知識を授けてもらった。ただ、そのときは重大な責任を負うことになるなんて想像もしていなかったからね。当時の僕の一番は、魔法だった」
確かに、彼は夢中になって、いろんな魔法が使えるように学んだのだろう。
「その頃のエドに会ってみたかったわ」
「そう?」
「きっと目を輝かせて、魔法の練習をしていたんでしょうね」
「当たり。魔塔にいたのはみんな成人している魔法師で、僕は質問ばかりしていた。教えてほしいって頼んでも、手取り足取り教えてくれるわけじゃないんだ。自分で研究して、真似して、実践するしかなかったんだよ」
学園の魔法実技では、懇切丁寧にやり方を教えてくれた。しかし、学園で教える魔法なんて、たかが知れている。基本中の基本ばかりだ。実際、そこで魔法の才能ありと判定された生徒は、魔法学園に転入していたのだ。
それでも、魔法学園の卒業生から魔塔に所属できるのはほんの一握りだと聞く。エドアルドは魔法エリートの中で育ち、彼らの魔法を自力で会得していったのだ。
「元々、エドは魔法の才能があったの?」
「王族に生まれる子供は、だいたいそうだよ。あのユスティスもそれなりに魔法が使える。といっても、みだりに人前で使うなとは言われていたけど」
ユスティスとは何度も顔を合わせたが、アリーシアは彼の魔法を目にしたことがなかった。
「そういえば、ユスティスは離宮でおとなしくしているのかしら?」
「今のところはね。ただ、謹慎が長引けば……」
だいたい想像できる。ユスティスはまったく堪え性がない。使用人に当たり散らすことだろう。
「まさか王命を無視して、王都にやってくることはないだろうが……。そんなことをしたら、今度は謹慎では済まないことくらい、分かっているはずだから」
だから、彼はおとなしく離宮行きを承諾したのだ。
でも……。
「婚約も王命だったのに、勝手に破棄したわ。いえ、煽って破棄させたのは、わたしのほうだけど」
「王妃が取りなしてくれると思っていたんじゃないか?」
隠し部屋でメルテンス侯爵との会話を聞いていたとき、確かそんな話をしていた。彼は王妃に、婚約破棄をさせてくれるように頼んでいた。イザベラとの婚約も。
「つまり……今は王妃がいないから、さすがのユスティスも王命を守るしかないのね」
それなら、どんなに不満があっても、彼が勝手に王都に戻ってくることはない。せいぜい、国王に嘆願書を送りつけるくらいだろう。
「君を虐めていた従姉妹はどうしてる?」
「叔母と一緒に男爵邸を追い出されたわ。結局、叔母の実家に転がり込んで、厄介になっているらしいけど……肩身は狭いでしょうね」
恐らく叔母やイザベラがアリーシアにやったようなことを、今度はされているのではないだろうか。
叔母の実家が裕福なのかどうかは知らないが、生きるためにはお金が必要だ。二人分の食費や雑費がかかるとなれば、その分、働かせたくなってもおかしくない。そうでなかっとしても、今までのように振る舞うことはできないだろう。
しかも、犯罪者の妻、娘として見られるわけだし……。
「自分がやったことが返ってきているだけだよ。君は優しいから、いろいろ考えてしまうかもしれないけど……」
「わたしは優しくなんかないわよ」
思わず少し強い口調になってしまった。
兄と一緒に、幻想魔法を使って復讐をした。どのみち死刑になる人の心をわざわざ壊したのだ。
そして、それを……楽しんでしまった。
「……本当よ。優しくないの。自分でも残酷で……意地が悪いと思うわ」
エドアルドの手が延びてきて、アリーシアの髪に触れてきた。子供にするみたいに頭を撫でて、優しく笑いかけてくる。
「君はいい子だよ」
「そんなことない。悪い子よ」
何故だか鼻の奥がつんとなって、涙ぐんでしまいそうになる。
「身勝手な考えで親や大事なものを奪われた君達には、復讐する権利があった。それだけだよ。でも、それ以外の人に対しては、思いやる心があるじゃないか。メルテンス侯爵の家族や、自分を虐めた従姉妹に対しても……。ユスティスのことも本当は少し気にかかっているんだろう?」
そうではないと言いたかった。
でも……やはりエドアルドが正しい。
イザベラに関しては、叔父夫婦が調子づかせたのが悪いと思っている。それは幼い頃に一緒に遊んだ思い出があったからかもしれない。
叔母の実家という逃げ場がなかったとしたら、住むところの手配はしたし、自立する手助けや嫁ぎ先くらいはしていただろう。
彼女が身を売るような羽目になったとしたら、後味が悪いから。
そして、ユスティスはただ愚かだっただけだ。さんざん罵倒されたものの、暴力を振るわれたことは一度もなかったからだ。
だから、離宮でおとなしく謹慎して、その間に反省してくれれば、アリーシアとしては特に何も恨むことはない。
というより、婚約破棄してくれて、ありがたかったもの。
あのとき、心置きなくエドアルドと踊れたのは、彼との婚約がなくなったからだった。
学園生活の最後の日に、夢のようなひと時を味わえて、本当に嬉しかった……。
アリーシアは、自分を丸ごと包み込んでくれるようなエドアルドの眼差しをじっと見つめる。
「わたしのこと、なんでも分かってるみたい……」
「なんでもとは言わないけど、君のことを全部知りたいと思っているよ」
「わたしも……エドのこと、もっと知りたいわ」
あなたの心の奥にあるものを全部。
わたしのものにしたい。
「うん……」
彼はなんだか照れたような顔をした。
「キスしてもいい?」
わざわざ訊かなくてもいいのに。
そう思いながら目を閉じると、唇が重なる。
胸の中がふんわりと温かくなってきた。
唇が離れると、目を開く。
自分を見つめる紫の瞳はアリーシアのすべてを許してくれるようだった。
「君が……好きだよ」
「こんなわたしを……まだ好きでいてくれるの?」
「そんな君が好きなんだ」
復讐に酔いしれた自分の冷たい心が、彼によって溶かされていく。
ただ、涙が溢れ出した。
次のエピソードは本日中に投稿します。




