32.わだかまりの心
メルテンス侯爵の裁判はあまり間を置かずに行われることになった。
相も変わらず、貴族席にはたくさんの観客が詰めかけている。
メルテンス侯爵ほどの大貴族が、本当に罪に問われ、ちゃんと裁かれるのかどうかという興味もあるのだろう。
アリーシアと兄は後方の関係者席に座る。これで三度目だ。
国王とエドアルドも出席している。
彼らも関係者だろうが、自分達と一緒に座るわけがない。判事達が座る席の横に、貴賓席のような特別なボックス席があり、そこに腰を下ろしていた。
国王は表情が硬い。侯爵にはいろんな罪状があるが、すべて重大な罪だ。国家の存亡に関わる罪もある。それだけに、どうしてもそんな表情になってしまうのは仕方ない。
そういえば、王妃は王族だから裁判にかけられることはないらしい。
彼女は側妃殺害を依頼した犯人ではあるが、メルテンス侯爵がいなければ何もできなかっただろう。侯爵が本当に企んでいたことも、よく理解していない様子だった。
でも、罪は罪。
すでにどこかに幽閉されていると聞く。
恐らく生涯、出られることはないはずだ。
国王が側妃を愛していたかどうかは知らない。それでも、王妃がユスティス以外の子を産むことなく、別の側妃も娶らなかったのだから、もしかしたら……?
それなら、側妃を殺害し、それを楽しそうに話していた王妃を許したりしないだろう。
ユスティスは離宮で謹慎していて、いずれ王宮に戻る。そのときになって、彼は誰も味方がいなくなったことに気づくのだ。
彼自身はただ愚かなだけだったけど……。
今のアリーシアにとっては、もうどうでもいい人だ。
彼がこれから王子として何を成すのか知らないが、よほどの反省と努力をしなければ、王家にとってただ邪魔なだけの存在になりそうだった。
「そろそろ始まるぞ」
兄が囁く。
扉が開き、兵士に支えられて、すっかり老人のようになったメルテンス侯爵がよろよろと入ってくる。彼もまた両手首を拘束されていたが、猿轡は噛まされていない。
貴族席では、彼のあまりの変わりようにざわめいていた。
「意外だわ……」
「何が?」
「何も話せないように処置をしているはずだと思っていたのよ」
彼はイルディオンが幻想魔法の使い手だということも、国王のために働いていることを知っていた。発言する機会は与えられないとはいえ、それこそ猿轡でも噛ませていなければ、口を開くことはできる。
「……もしかして魔法をかけられているんじゃないか?」
「ああ、そうね」
物理的に口を封じなくても、他に方法はある。いや、アリーシアはそんな魔法はかけられないが、エドアルドなら可能だろう。
ブランシュ子爵とブルーノが猿轡を噛まされていたのは、魔法封じの腕輪をつけていた関係で、彼ら自身にも魔法がかかりづらくなっていたのかもしれない。
「もしくは、口を開く元気ももうないのかな」
「それはあるかもね」
彼は自分の人生を十度もやり直した後、十度も死刑になる未来を見たのだ。幻想に過ぎないとしても、彼の心の中はほぼ壊れているはずだ。
いつものごとく、罪状が読み上げられる。
メルテンス侯爵が売国罪に問われていることは、貴族の中で噂として流れていたが、みんな詳しい話を初めて知ったようだった。
そして、イルディオン公爵の殺害を、ブランシュ子爵に依頼したこと。
それから――十年前の事件。毒を用意し、侍女と侍医を買収し、側妃を殺害したこと。
その二つが明らかにされ、貴族席からは驚きの声が止まらない。
証拠が挙げられ、証人も出てきた。
ミュラー商会で働く者。侯爵家の使用人。王妃の侍女。側妃の侍女などが出てきて、証言をした。
また、この場にいないブランシュ子爵、毒を実際に飲ませた侍女や侍医が自白した内容も読み上げられる。
メルテンス侯爵はただぼうっとしているようだった。すべてが彼の頭の中を通り過ぎていっている。身体も倒れそうなくらい弱っていて、震えが止まらない。
「やり過ぎたか」
兄はつぶやく。
「でも……わたしはどうしても許せなかったわ」
もし、メルテンス侯爵が何もしなければ、エドアルドは普通に王子として育っていた。アリーシアはなんの苦労もせずに、学園に通い、楽しく暮らしていただろう。
そんな二人は学園で顔を合わせても、互いを好きになっていたかどうかは分からない。
でも……。
きっと、そのほうがよかった。
何も起こらず、悲しみも苦しみもなかった。
あるべき世界がそこで繰り広げられるはずだった。しかし、メルテンス侯爵がそれを壊してしまったのだ。
やがて審判が下された。もちろん死刑だ。
メルテンス侯爵家は取り潰され、領地は没収される。家族も揃って死刑ということになり、そこで初めてアリーシアは後味の悪さを感じた。
家族の中にはなんの罪もない人間がいる。それどころか、侯爵がどんな悪事を働いていたか、まったく知らない家族だっていただろう。
でも、売国だけは絶対にしてはならないのだ。そこで甘い対応をすると、またこの国を売ろうとする者が現れる。
国の平和のために、それだけは阻止しなければいけない。
仮にボステン王国がこの国を支配することになったら、国民は奴隷扱いを受けることになったはずだ。貴族はもちろん命を絶たれることになる。
それを考えたら、温情判決はあり得ない。
メルテンス侯爵――いや、元メルテンス侯爵は兵士に連れていかれた。
わざわざ死刑を見物する気はないから、アリーシアにとって、これですべてが終わったことを意味する。
「アリーシア、大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
「少し……後悔しているわけじゃないけど、なんだかやるせない気持ちなの」
「そうだな。分かるよ」
兄も自分と同じようなことを考えたのだろう。
ふっと息をつく。
周りの貴族はおしゃべりしながら席を立ち、出入口へと向かっている。人の波を見ながら、アリーシアは兄と二人、しばらく動けずにいた。
「……リシア」
振り向くと、エドアルドが傍に来ていた。
彼は隣の席に座る。紫の瞳が心配そうに見つめていた。
わたしったら、いつも彼にこうやって心配ばかりかけているのね。
そう思ったら、少し気持ちが和らいできた。
「そんな顔をしないで。わたし……平気よ」
「平気そうな顔はしていないよ」
やはり彼にもそう見えてしまうらしい。アリーシアは苦笑した。
「そうね。動揺しているわ。でも、大丈夫よ」
「それなら……これから王宮に来られるかな? イルディオン公爵も一緒に。父上から少し話があるんだ」
いったいなんの話があるのだろう。
アリーシアは兄と顔を見合わせる。が、国王に話があると言われて、拒否するわけにはいかない。
「分かった。伺うわ」
そう返事をすると、エドアルドは嬉しそうに微笑んだ。
「よかった。ずっと約束が守れなかったから、気にしていたんだ」
彼は約束を覚えていてくれたのね。
あまりに来ないから、もう自分達の繋がりは切れかかっているのかと思っていた。いや、手紙はくれていたのだから、そこまで疑っていたわけではないが、それでも会えなければ余計なことを考えてしまう。
「じゃあ、僕らの馬車で行く?」
彼はアリーシアに手を差し伸べる。すると、すかさず兄が立ち上がり、アリーシアの手を取った。
「私達は我が家の馬車で伺いますので」
兄は別にエドアルドとの仲を裂こうとしているわけではない。
ただ……帰ってきてから、やたらと過保護になっているだけだ。
きっと、兄がいない間、アリーシアがひどい目に遭っていたからだろう。そのことを心苦しく思っているのだ。
エドアルドもそのことは分かっているようで、立ち上がりも、兄に笑いかける。
「では、王宮で」
そして、アリーシアにも微笑むと、颯爽と歩いていった。
裁判で嫌な気持ちになったが、エドアルドと話したことで、少し気が晴れた。心の奥にはまだ何か残っているが、自分が考えても仕方のないことだ。
そう思いながら、アリーシアは兄と共に、裁判所の出入口へ向かった。




