31.メルテンス侯爵への復讐
ブランシュ子爵に偽りの希望を与えてから、アリーシアと兄はさらに階段を下りた。
さっきの地下牢は半地下になっており、昼間は少しだけ日が入る。しかし、その下となれば、完全な地下で、日が差すことはなかった。
なので、そこに入れられた者は、昼と夜の区別もつかない。強盗殺人や放火殺人など、重罪人ばかりが入ることになっている。
その中の隔離された場所に、メルテンス侯爵は押し込められていた。
だって、彼は売国奴だから。
どんな殺人罪より重い罪となる。
アリーシアと兄は姿を隠す魔法で、彼の牢に近づいた。
牢にはベッドもなく、毛布があるだけだった。髪は乱れ、やつれた顔のメルテンス侯爵は壁にもたれて、毛布に包まり、じっとしている。
アリーシアは初めて彼の顔を見た。年齢は五十手前くらいだと聞いたが、それより年寄りに見える。この過酷な生活がそうさせているのだろうか。
捕まる前は、きっと誰よりも傲慢な貴族だったのだろう。本棚の向こうの小部屋に隠れていたとき、彼の声や話し方を聞いていて、そう感じたのだ。
彼はなかなか素直に自白しなかったから、かなり拷問にかけられたらしい。しかし、最終的には観念して、すべてを話した。
元は、積み荷を載せた船が沈んだことから始まった。今思えば、それもボステン王国側の策略だったとも考えられる。
メルテンス侯爵は体面を大切にする貴族だ。いや、どの貴族もそうだが、メルテンスは王妃を輩出した家で、どの貴族よりも裕福な大貴族という誇りがあり、恐らくそれが何よりも大事だったのだろう。
そのため、ボステンからの甘い誘惑に乗り、王国にとって貴重な良識の魔鉱石を秘密裏に流してまでも、沈没した船の積み荷の損失を埋める選択をした。
ボステンとの繋がりができ、どんどん深みに入っていって……。
何も知らず、魔法薬をただのおまけだと思っていた。稼げる品物が入って来たという認識しかなかったのだろう。それが悪魔の薬だなんて、思いもしなかったのだ。
せめて、言われたとおりの効能があるのかどうか、成分を調べればよかったのに。
ボステン人はメルテンス侯爵家を拠点として、国内で活動を始めていた。魔法薬が王都の屋台で売られていたのも、そのせいだ。
もし、たまたまエドアルドがあれを見つけなければ、王都は中毒患者ばかりが溢れかえり、治安も悪くなっていたことだろう。その先に待っていたのは、国の乗っ取りだ。
本当に恐ろしい計画だわ……。
ローレルの大貴族でいるため、未来の国王を後ろから操り、自分が実質国王となるという私欲のために、国を危機に陥らせようとしていた。
文句なしに大罪人だ。
しかも、ブランシュ子爵への父の暗殺依頼と、十年前の側妃毒殺という罪もある。
恐らく処刑方法は、かなり凄惨を極めたものになるのではないだろうか。
でも……それだけじゃ、足りないわよね?
すべては、彼の驕慢さが招いたものだ。
売国云々はともかくとして、エドアルドの母を奪い、エドアルドの命を狙い、そしてアリーシアの父の命を奪った。
その責任は取ってもらわなくてはならない。
「お兄様……」
そっと囁くと、兄は頷いた。そして、二人は姿を隠す魔法を解いた。
「目を開けろ」
兄が声をかける。すると、メルテンス侯爵が目を開け、こちらを見た。
「……おまえ達は……イルディオンの?」
しわがれた声だった。隠し部屋で聞いたあの尊大そうな声はもう出せないのだ。
「そうだ」
「生きていたのか……」
「ああ。おまえは死刑になるだろうな」
「もう……どうでもいい……。すべて終わった……。憎みたければ憎めばいい」
自暴自棄になっている。彼だって死刑を免れるすべはないと知っているからだ。
そして、一番大事な貴族としての体面が失われてしまったのだ。生きている意味もないと思っているのだろう。
兄は檻に近づいた。アリーシアは掌の上に幻の炎を出す。すると、檻の中が明るく照らされた。
「幻想魔法か……」
メルテンス侯爵は眩しそうに目を細める。
「直系の人間は、そんな強い炎が出せるものなのか。……ブランシュは青白く光る鹿や犬くらいしか出せなかったぞ……」
その程度の魔法で、父が命を落としたのかと思うと、悔しくてたまらない。
「もっと凄いものを見せてやろうか?」
「……どんなものだ?」
興味を惹かれたようで、彼はよろよろと立ち上がり、近づいてくる。
死を覚悟しているからこそ、その前にめずらしいものを見ておきたいと思ったのだろうか。そうでなければ、幻想魔法のことを知る彼が、これほど無防備に近づいてくるはずがなかった。
兄は檻の中に手を差し入れた。
そして、しっかりと目を合わせる。
兄の指先から放たれた強烈な光が彼の額を貫いた。
「ああぁっ……!」
彼は額を押さえ、よろよろと力を失ったように座り込む。
「これで完了」
兄が使った魔法は、幻想魔法の奥義の中でも一番難しいものだ。アリーシアは習っていないし、使うことはできない。
目の焦点が合わず、ただぼうっとしているメルテンス侯爵は、今とても長い夢を見ている。
子供の頃からの人生の記憶が、彼の頭の中で再生されていて、もう一度、人生をやり直しているようなものだ。
ただし、今までの人生をなぞるだけで、変更はできない。
裕福な暮らし。豪華なものを手にして、喜びに酔いしれたこともあっただろう。大貴族として社交界に君臨し、王家にも影響力を持つ。魔鉱石の鉱山と経営していた商会は富を生み出し、この世の春を謳歌したはずだ。
それから、商船の沈没。破産の危機。そこにやってきたボステンの使者。
悪事に手を染め、体面を保ち続け……。
しかし、罪が発覚し、牢に入れられるのだ。
「そして、追加」
兄が再び魔法をかけた。
今、メルテンス侯爵が見ているのは、これからの未来だ。
「そんな目で見るな! 私は……侯爵だぞ! 庶民共がぁ……!」
彼は処刑台に引き立てられているのか。きっと庶民が見物に来ているのだろう。
「やめろ! 痛い! ああっ!」
彼は幻想の中にいながら、両手で頭を庇って、のたうち回っている。
兄がぽつりと言う。
「きっと石でも投げられているんだろうな」
「まあ、お気の毒に」
感情のこもらない声で、嫌味のように言ってしまう。
彼は幻想の中で屈辱を味わいながら死刑にされるのだ。怖いのは、それが何度も繰り返されることだった。
最初から最後まで。
ずっと……。
「裁判もあるから、十回までにしておくか」
苦しんだ末、動かなくなった彼に、兄は更に魔法をかけた。
人生の輝かしい時期をまた堪能して、それから地獄に突き落とされる。
「本当に恐ろしい魔法だわ。イルディオンがボステン人に恨まれるはずよ」
国王だって、ここまでの魔法だとは思っていないだろう。いや、誰にも知らせないほうがいいのだ。知ってしまったら、それこそ排除されかねない。
それどころか、根絶やしにされるかも……。
アリーシアと兄は再び姿を消し、のたうち回るメルテンス侯爵をそのままに地下牢を出た。




