21.幻想魔法で叔父夫妻の感情を揺さぶる(後編)
アリーシアが階段を下りてすぐ、ちょうどイザベラが帰ってきた。
ユスティスはちゃんと玄関まで送ってきていた。叔父夫婦はすぐに挨拶に向かう。
ユスティスはイザベラを送ったら、すぐに帰るつもりでいたかもしれないが、当の彼女に腕を引っ張られ、応接室へ向かった。
アリーシアは姿を隠したまま、一緒に応接室に入り、ソファに座る彼らの近くに立つ。
誰の目にも見えていないことは分かっていても、なんだかおかしい。こんなに近くにいるのに、誰も気にも留めないなんて。
もう夜中に近い時間だというのに、メイドはお茶を淹れている。
わたしが余計なことを言ったせいね。ごめんなさい。
アリーシアは少し眠そうな目をしているメイドに、心の中で謝った。
「ねえ、聞いて。お父様、お母様! わたし、殿下にプロポーズされたの!」
イザベラは嬉しそうに叔父夫妻に報告をした。
「そ、そうか……。その……殿下、アリーシアとは……」
叔父の問いかけに、ユスティスは傲慢そうにそっくり返った。
「アリーシアとの婚約は破棄した。自由の身になってからイザベラを選んだんだから、男爵も文句はないだろう?」
「は、はいっ。文句などございません。我が娘イザベラを選んでいただき、光栄に存じます」
叔父としては、そう答えるしかない。だが、きっと叔父は国王がどう考えるのか、気になって仕方がないはずだ。
「イザベラが王太子妃になるからには、男爵も……男爵のままでは都合が悪いだろう?」
「はあ……あの……」
ユスティスはニヤリと笑った。
「イルディオン公爵代理だが……いつまでも代理ではなく、いっそ男爵がイルディオン公爵になればいいと俺は思っているんだ」
「私を……イルディオン公爵に……していただけるのですかっ?」
叔父としては、それが念願なのだ。声が上擦っている。
「ああ。母上に頼んであるんだ。男爵を推薦してもらう手はずは済んでいる」
ユスティスはそう思い込んでいるようだが、王妃の頭の中では、そうはなっていない。メルテンス侯爵の言うとおりに、ブランシュ子爵をイルディオン公爵にして、イザベラを公爵の養女にするはずだ。
もっとも……国王はどちらがイルディオン公爵になるのも許可しないだろう。
彼らの悪事はすべて暴かれるのだから。
「ああ、ありがとうございます! 王太子殿下……!」
叔父は王太子にここまで言ってもらったのだから、自分が公爵になるのはもう決まったも同然だと思っているようだ。涙を流さんばかりに喜んでいる。
ユスティスはなんにも分かっていないお馬鹿さんなのに。
アリーシアは溜息をつきたくなったが、それを誰かに聞かれてはいけないので我慢する。
「それじゃ、わたしが公爵令嬢で、アリーシアはもう公爵令嬢ではなくなってしまうのね! いい気味!」
イザベラが笑い、みんながそれに釣られたように笑い出す。
「そうだな。いい気味だ。今日のパーティーでは似合いもしないドレスを着て、父上に見捨てられた王子と踊っていたが、どちらも行き場がなくなるな」
イザベラが『いい気味』と言うのは、身分の差を日頃から感じていたせいだろうから、分からないでもないが、ユスティスが言うのはなんだか違う。アリーシアが彼に対して公爵令嬢という立場を振りかざしたことはないからだ。
「ねえ、殿下。エドアルド王子はいい服を着ていたけど、本当に行き場がないの?」
「あんなの、大した服でもないさ。あいつはずっと行方知れずだったし、王宮にいないことは確かなんだ。どこかの貴族の屋敷にいたのかな。でも、陛下に見捨てられているんじゃ、この先、未来なんてないよ」
未来がないのは、ユスティス……あなたなのに。
決して同情するわけではないが、無知とは恐ろしいものだ。ほんの少し憐みも感じてしまう。
いや、この男が自分に与えた屈辱を忘れたわけではない。ユスティスもイザベラも……叔父も叔母も、みんなまとめて地獄に突き落としてやるつもりだ。
叔父が少し声を潜めるようにしてユスティスに話しかける。
「実は……明日、王宮に出向くようにと陛下からのお達しがありまして……」
「なんだって? それなら、母上が父上に話を通してくれたに違いない」
ユスティスは都合よく解釈して、隣に座るイザベラの手を取った。
「明日……父上の前で、二人で挨拶をしよう。俺達の婚約はきっと許してもらえるから」
「殿下……はい」
イザベラの頬は上気していて、うっとりとその目はユスティスの整った顔を見つめていた。
彼は本当に見かけだけはいいから。
でも、中身はろくでもない男でもあり、浮気者でもある。
自分が手を下さなくても、彼らはきっと転がり落ちていくだろうが、それだけでは気が済まない。いずれ、この二人にもなんらかの報復をするつもりだ。
わたしの魔法で……。
わたしが受けた苦しみを味わってもらおう。
やがてユスティスは帰った。
◇◇◇
イザベラは上機嫌で自分の部屋に戻り、叔母も寝室に向かった。アリーシアは見えない姿のまま叔母についていく。
今まで叔母にはこうしてついていき、物が消えるだとか、いろんな不可思議な出来事を身の回りで起こしていた。
それで、ずっと具合を悪くしていたというのに、イザベラが王太子妃になると聞いて浮かれているようだった。
メイドを呼び、寝支度をする。それからクローゼットを開けて、明日のドレスを選ぼうとしていた。国王に会うのだから、とびっきり着飾るつもりなのだ。
アリーシアは化粧台にそっと近づき、引き出しから口紅の容器を取り出した。そうして、紅筆で鏡に文字を書く。叔母がそれに気づく前に、口紅と紅筆を引き出しに仕舞った。
叔母は宝石箱からネックレスを出し、鏡の前で自分に合わせてみようして、悲鳴を上げる。
鏡に書かれた文字は……。
『許さない』
彼女はネックレスを取り落とし、身体をガタガタ震わせた。
「ごめんなさいっ……ごめんなさい……!」
ほとんど泣き声になっている。
だけど、わたしがいくら泣きそうになっていても、あなた達は嘲笑うだけだった……。
「返すわ……。全部。あなたに返すから……っ」
なんのことを言っているのだろうと思ったが、どうやら、床に落ちたネックレスのことを言っているらしかった。
それは母のものだった。
が、アリーシアがとっくに取り替えていて、本当は宝石でもなんでもない。
屋台で売っている庶民向けの素朴なアクセサリーなのだが、彼女の目には値の張る宝石に見えているのだ。
そう。叔父と叔母、イザベラの目にだけそう見えるように魔法をかけている。
だから、叔母が気取ってネックレスをつけているとき、メイドは首をかしげているはずだ。来客の前でもつけてもらいたいくらいなのだが、残念ながら、最近の彼女は憂鬱になっていて部屋に引きこもってばかりだ。
あれほど頻繁に出席していたお茶会や舞踏会にも出かけないので、貴族の夫人達に叔母の奇行ぶりが広まらなくて残念だった。
でも、明日は王宮に行くんだもの。ぜひとも、そのアクセサリーをつけていってもらいたいものだわ。
叔母は必死に鏡の文字を高価なハンカチで消そうとしている。
アリーシアはそんな叔母の姿を冷たい目で見ていた。
そのうち叔母は泣きながら寝たので、彼女の寝室を出て、今度は叔父の寝室に侵入してみる。が、真っ暗で、誰もいない。
まだ応接室にいるの?
アリーシアは一階に下り、応接室に入った。叔父はいたが、ソファに座ったままうたた寝していた。テーブルの上には酒の瓶と飲みかけのグラスが置いてある。
叔父は最近現れる『幽霊』を恐れて、酒浸りになることが多かった。
明日、国王に会うというのに、酒の匂いをさせたまま行くつもりなのだろうか。娘が王太子と結婚すると聞いても、念願の公爵になれるかもしれないと聞いても、まだ安心できないのだ。
少し前の叔父様なら、野心満々だったのにね。
アリーシアはグラスを掴んで、叔父の顔に残りの酒をかけてやった。
「な、なんだっ?」
叔父は飛び起き、辺りを見回す。だが、そこには誰もいない。
「姉さん……? 義兄さん? いや、気のせいだ。絶対に気のせいだ」
顔に酒がかかっているというのに、そんなはずはないだろう。しかし、叔父はそう思いたがっていた。
アリーシアは幻想魔法で父と母の姿を叔父に見せた。
叔父はひっと声を出したが、顔を強張らせながら、グラスに酒をついで煽った。
「気のせいだ。……絶対。絶対!」
再び酔い潰れるまで、叔父は酒を飲み続けるのだろう。
でも、そんなことであなたの罪が消えるわけじゃないから。
このくらいの罰では贖えない。
アリーシアは黙ってその場から立ち去った。




