12.愚かな王太子
アリーシアは屋敷に戻り、自分の部屋に向かった。
以前は帰宅が少し遅くなるだけで、ビクビクしながら戻ったものだった。だけど、今は叔父も叔母も幻想魔法のせいで気が滅入っていて、自室に引きこもっている。
後はイザベラだけだが、彼女もアリーシアを突き落としたことに罪悪感を抱いていることもあり、どちらかというと、向こうのほうが避けているようだった。
いつもの地味なドレスに着替えると、部屋にマルガが困った顔でやってきた。
「お嬢様……」
「どうしたの?」
「王太子殿下がいらしていて、イザベラ様とご歓談されているのですが、どうしてもお嬢様を連れてくるようにと……。お嬢様は久しぶりの通学で、疲れてしまって休んでいると申し上げたのですが、お二人とも聞いてくださらないのです」
アリーシアは肩をすくめた。
どうやら、イザベラの反省ももう終わりということだ。ユスティスがアリーシアを呼んでこいと言いだし、イザベラも同調したのだろう。
「分かったわ。そんなに心配しないで。庇ってくれて、ありがとう」
アリーシアがまさか街で遊んでいたとは、ユスティスもイザベラも思わないだろうが、まだ帰ってきてないと判明していたら、罵倒が倍になっていたのではないだろうか。
マルガが休んでいると言ってくれたおかげで、少しはましなはずだ。
いや、あの二人にそんな温情みたいなものを期待しても無駄かもしれないが。
アリーシアは応接室に出向いた。そこには相変わらず二人が寄り添ってソファに座り、恋人同士の距離で話している。
ユスティスはいったい誰の婚約者なのだろう。
今更ながら、そんな疑問を覚える。そんなにイザベラがいいのなら、さっさと婚約解消してほしいのだが、どうしていつまでもこのままなのか。
本当に理解に苦しむ。
でも、誰もいないところで勝手に婚約破棄宣言でもされても困る。国王が認めてくれないに決まっているからだ。
「やっと来たか、このノロマめ」
ユスティスは尊大な態度でそう言った。
まるで自分が玉座に座っているかのごとく。
ああ、やっぱり彼は国王には向かないわ。というより、こんな奴が国王になったら、この国はどうなるか恐ろしいわね。
アリーシアはそんなことを心の中で考えていた。
「大怪我だったっていうか、大したことないじゃないか。大げさだな。どうせ、仕事をさぼっていたんだろ?」
正解だが、わざわざ認めるようなことはしない。黙ってうつむいた。すると、調子づいたのか、もっと侮辱するようなことを言ってくる。
「包帯だらけなんて、みっともないのが、もっとひどくなったな。もしかして顔も怪我してるんじゃないのか? 不細工になったなあ」
子供でもあるまいし、くだらないことを言う。これが、この国の王太子だなんて、国王も何を考えているのだろう。
「なあ、イザベラ?」
「ええ、そうよね。醜いわね」
話を振られたイザベラもユスティスがここまで言うのだから、自分も言っていいと思ったようだ。
「この娘ったら、階段から落ちたりして、本当に愚図なのよ。気も利かないし、みすぼらしいし、いいところがひとつもないわ。学園の成績だってよくないらしいの。特に魔法実技の成績が悪くて、卒業も危ないって噂よ」
それが噂になっているとは知らなかった。だが、実技は人前でやるものなので、同じ教室にいる生徒はみんなアリーシアの成績が悪いことくらい知っているはずだ。それがきっと噂になったのだろう。
「とんだ劣等生だな。父上が学園に行かせるように言っていたが、卒業もできないんじゃ婚約も無理だ。父上が早く理解してくれて、こんな婚約なんて解消してくれればいいのに」
違う、違う。陛下じゃなくて、あなたが婚約を破棄するのよ。
アリーシアはそう言いたくなったが、なんとか口を閉じる。黙って屈辱に耐えていた頃の自分を演じるのは、今となっては難しいようだ。
「でも……わたしと婚約してくれるんでしょう? ねえ?」
イザベラも少し不安になったのか、そう尋ねた。すると、ユスティスは慌てて彼女のほうを向いて、機嫌を取り始める。
「もちろんだよ。今度、君を王宮に連れていくから。綺麗な花が庭園にたくさん咲いていて、そこでお茶を飲もうか。……そこで愛らしく振る舞う君は素敵だろうな……」
寝ぼけたことを言うなと、アリーシアは思った。
いや、そんな口説き文句をここで聞かされている自分が気の毒だ。
今はユスティスが何を言おうが、心を動かされることはない。けれども、やはり婚約者の前でよその女を口説くなんて、本当に何を考えているのだろう。
どうやら、アリーシアの前で何を言ってもいいと思っているのだ。
もしアリーシアが国王に会う機会があったとして、彼にされたことを訴えたらどうなるのか、考えたこともないのだろうか。
ああ、彼は幻想魔法のことなんて、まったく知らないから……。
国王がアリーシアと婚約させた意図など、考えたこともないのかもしれない。ただ父親から言われて、婚約を受け入れただけなのだ。
でも、これくらい愚かなほうが、心置きなく高みから突き落とせるわね。
ふと王妃の実家について考える。
ユスティスが王太子なのは、彼が第一王子だということもあるが、側妃ではなく正妃の子だということ、何より王妃の実家が富を持っていることが一番大きい。
裕福であれば、権力もついてくる。国王も一目置く大貴族だ。しかし、それも何か取り返しのつかない不祥事でもあれば、一気にひっくり返る。
王妃の実家が経営するミュラー商会。
もし、そこが不正な商売をしているとしたら……?
国王は王妃の実家を庇うだろうか。ユスティスを王太子のままにしておくのか、それとも……。
街でエドアルドが子供の怪我を治し、顔を拭いてやったことを思い出す。
彼は庶民を差別せず、危険に陥った人がいればすぐに助ける。王太子という立場があるなら、こんなくだらない嫌味をぐちぐち言うより、ずっと有益なことができるというのに、ユスティスは何も国に貢献しようとしない。
本当にこの人は……。
「おい、聞いているのか!」
ユスティスに大きな罵声を浴びせられ、我に返る。アリーシアが彼の言葉をまったく聞いていなかったことに、気づいたに違いない。
しかし、アリーシアは怒鳴られても無表情で彼に視線を向けた。
「……聞いてます」
無視してもいいが、一応、今は我慢するときなので返事をした。
「よし。それならいい。それで、俺は可愛いイサベラのためにドレスを贈ったんだ。卒業パーティーのためのドレスだ。まあ、卒業も危ういおまえには、なんの関係もないがな。イザベラと俺がパーティーに出かけても、嫉妬なんかするなよ。俺が踊りたいのは、おまえなんかじゃないんだからな」
「分かりました」
仕方なくそう答える。そうしないと、いつまでも延々と同じことを繰り返されるからだ。
だが、それからもずっと罵倒されたり、のろけを聞かされたりした。ユスティスがやっと帰ったときには、どっと疲れを感じた。
イザベラに何か別の用事を言いつけられる前に、テーブルを片付けて、カップやケーキの皿を厨房へと持っていく。その辺をうろうろしていたら、どうせろくなことを言われないと分かっているからだ。
ああ、早く卒業したい。
早く叔父一家を追い出して、ユスティスとも婚約解消したい。
そうなったら、どんなに自由を感じるだろう。
アリーシアは何もかも叶ったときのことを考えて、自分の心を慰めた。
本日中にもう一話を投稿します。




