第384話 春日井君に相談してみる
ゲートが日本に出現するようになっても、私たちは生活をしなくてはならない。生活を脅かす条件はいくつかあるが、深い階層が出現した場合がもっとも危険だった。日本政府は各国と交渉し、ダンジョンの監視を徹底することで一定の合意を得ていた。もちろん例外もあって、非協力的な国もあった。
実際に脅威は取り除かれていないのだが、日本政府は国民に対し、安全は担保されていると知らせている。テレビでCMが流れ、ポスターも掲示されていた。安全を繰り返し伝えてはいるが、未だに交渉の途中であるのが実態だ。
ただ、私たちの中学校に関しては湊ちゃんがファイアーウォールを築いていた。ゲートの出現地点からは除外され、千の宮中学校は安全地帯となっている。
湊ちゃんは現在、政府の仕事で忙しい。
国会議事堂や首相官邸にはすでにファイアーウォールが設置されていた。優先順位があるらしく、まずは防衛上の拠点、次に政府や行政に関する施設、それから学校や商業施設などの人が集まる場所に安全地帯を作る計画のようだ。
ということで学校の授業は再開されているが、湊ちゃんは欠席だ。
相談相手が春日井君しかいないので、理科室に呼び出して話をしている。
ご飯を食べたあとの昼休み。広い理科室に二人。
背もたれのない丸椅子に座り、実験用の机を挟んで向き合っていた。
相談内容はお兄ちゃんとダンジョンに行くことについてだ。
「――ということで、お兄ちゃんと長瀞ダンジョンに行くことになったんだけど」
私は昨日お兄ちゃんと話した内容を伝えていた。
ずっと黙って話を聞いてくれていたのに、春日井君はこんなことを返してきた。
「ダンジョンデートか?」
真顔で言ってきたので、下敷きで頭をばちこーんと叩いた。机は大きいので身を乗り出さなければ当たらないが、私は見事なまでに下敷きをヒットさせていた。
「だから、違うって。お兄ちゃんのレベルを上げに行くんだよ」
春日井君は悔しかったのか、私を煽るように言ってきた。
「それがつまり、ダンジョンデートってことだろ?」
私は再び腕を振りかぶって大きくスイングしたが、春日井君はひらりと避けてしまう。下敷きが起こした風で春日井君の前髪が踊っていた。
「真面目に話を聞いてもらってもいいかな? 真の目的はお兄ちゃんのレベル上げじゃないんだよ」
「もりもりさんとの関係をはっきりさせたいんだろ? でも、俺にはよくわからないんだよな」
私は春日井君を攻撃することは諦めて、椅子に座り直した。
「もりもりさんは結婚を控えていると言っていたよね?」
「言ってたな。投資してくれたのも結婚資金だったし。俺たちも豪華な結婚式にしてもらおうと、がんばったよな」
私たちはエンチャント装備を作るためにもりもりさんから8億DPを借りた。それを倍の16億DPにして返金していた。
「そのもりもりさんだけれど、お兄ちゃんと結婚できるものと信じている疑いがあるんだよね」
春日井君は私の話を信じていないようで、肩をすくめていた。
「は? まさか? そんなこと、あるわけないだろう? だって筑紫の兄ちゃんはミランダさんと結婚するんだぜ。どう考えたって、無理じゃないか」
「普通に考えたら、そんな馬鹿なって誰でも思うよね? でも、恋は盲目とも言う。現実が見えていない可能性もあるんだよ」
そんなことはあり得ないといった様子で、春日井君は顔の前で手を振った。
「いや、さすがにそれはないだろう。だって俺から見て、もりもりさんは理知的で常識のある人だぜ。あのもりもりさんがそんなわけ……」
私は小さく首を振る。
「実は以前から疑惑があったんだよ。私がダンジョンの深層に落ちてしまった時、命がけで助けに来てくれた。でも、あの時から勘違いが始まっていたのかもしれない」
「つまり、将来結婚する相手の妹だから助けに来たと?」
春日井君はまだ疑わしい顔のままだった。
「うん。それで、私が帰れることになってみんなが上層に登っていった。残ったお兄ちゃんともりもりさんが瓦礫の陰で二人きりになったんだ。私はそこで目撃してしまった」
私は怪談話でもするかのように、声を暗くしてボリュームを下げた。春日井君が喉をごくりと鳴らした。
「2人は……していたんだよ……」
意図して間を空けながら話す。
「なんだよ……。なにをしてたんだよ……」
春日井君が少しだけ机に身を乗り出してきた。私も春日井君に近づきながら、こそっと囁く。
「キッス……だよ……」
少し遅れて春日井君が反応した。
「まじか……」
声を失う春日井君。だが、すぐに何かに気がついたように話しだした。
「ちょっと待て。もりもりさんはアメリカ人だ。キスなんて挨拶程度のものじゃないのか?」
「私もそう思った」
「なら、それで終わりじゃないか」
「お兄ちゃんにとってはそうだった。しかし……」
私の話を聞きながら、春日井君は再び喉を鳴らした。納得したように言葉を返してきた。
「もりもりさんにとっては違っていた……。恋人のつもりでキスをした。そういうことか……」
「そして決定的だったのが、情報の完全共有のこと。お兄ちゃんによると、よほど深い仲のハンター同士しか行わないらしい」
完全に納得したようで、春日井君は腕を組みながら深く頷いていた。
「つまり、もりもりさんは恋人だと思い込んでいる。勘違いがあって筑紫の兄ちゃんと結婚できると信じているというのか」
「まだわからない。だから、それを確かめたい」
「でも筑紫、よく考えてみろ。これが俺たちの間違いだったらいい。でも、もりもりさんが筑紫の兄ちゃんと結婚できると信じていたとする。それが勘違いだと知ったらどうなる? 俺がもりもりさんなら、傷心の旅に出たり、遠くに引っ越したりして、俺たちの前からいなくなると思う」
春日井君の予想は私と一致していた。春日井君の目をじっと見て話す。
「そうなんだよ。そこが問題。私はもりもりさんにいなくなってほしくない」
春日井君も私を見つめ返してくる。
「俺もだよ。じゃあ、直接聞いてみるか? もりもりさんに、誰と結婚するんですかって」
「それで、お兄ちゃんだと言われたら、私はどう反応したらいいのさ」
「そうだよな。聞けないよな」
春日井君は私に同情するように声を絞ってきた。
内緒話をするように、私は声を潜めた。
「だから、私はちょっと作戦を考えたんだよ。聞いてもらえる?」
「ああ」
春日井君は真剣な顔で頷く。
「まず、お兄ちゃんと2人で私はレベル上げをするね。それで、もりもりさんにもダンジョンに入ってもらう」
「うん。別々に行動するんだな。理由はどうするんだ?」
「まあ適当に考えるよ。それでしばらくしたら合流する」
「3人になるんだな」
「4人だよ」
首を傾げる春日井君。
「ん? 4人? 1人増えてるぞ」
「お兄ちゃん、私、もりもりさん、春日井君、だよ」
私は指を折りながら人数を数える。
「俺? いつのまに数に入れられてんだ?」
春日井君は自分のことを指差していた。
「それで私と春日井君はカップルの振りをする」
私は真剣な顔をして言った。
「俺と筑紫がか? 付き合っているとかそういう設定か?」
春日井君も真面目に聞いてくれている。
「そう。偽装カップルだね。つまりこれはダンジョンダブルデート」
「最初に俺が言ったダンジョンデートじゃねえか。いつの間にか相手役になっているけどよ」
そう言いながらも春日井君は真剣に耳を傾けているので、私は話を続けた。
「私と春日井君が適度にいちゃいちゃを見せる。するとお兄ちゃんはどう行動するか? もりもりさんはどう反応するか? 2人が他人のように行動したら、私たちの勘違い。でも、もりもりさんだけ恋人のようにお兄ちゃんに接したら、つまりそれは黒。ブラックということだよ」
春日井君は小さく首を振る。
「別の可能性もあるぞ。まあ、ないと思うけれど、2人が恋人のように行動したら? いや、ありえないと思うけれど」
私が想像もしなかった展開を春日井君は組み立ててきた。
「その場合は……」
「その場合は?」
真剣に聞いてくるので、私も真剣に答えた。
「完全に意味不明、だね」
「だな」
春日井君も真面目な顔で頷く。
「どうかな? この作戦」
私は本心から問いかけた。春日井君も本気で返してくれる。
「俺と筑紫の演技力が問題になるだろうな」
「そうかー。私も演技力はないしなー。演技しているのがバレバレになるのが一番恥ずかしいやつだよね」
「だよな、すげー恥ずかしいと思うぜ」
事前に相談しておいてよかったかもしれない。どんな作戦にも穴はあるものだ。
「いい案だと思ったんだけどな。ああー。今から演技の練習をしてもうまくなるとは思えないよ」
私は気が抜けて脱力していた。椅子には背もたれがないから、机に突っ伏すように体を預けた。
「俺に妙案があるけれど」
「え? 何?」
上半身を起こしながら、春日井君の顔を見た。
「本当に付き合うんだ。演技ではなく本物のカップルになってしまえば……」
私は「ばんっ」と机を叩く。
腕に力を込め、机を押しながら立ち上がる。
理科室では使わない時は椅子を机に上げておく。座面を下にして、座っていた椅子を持ち上げた。
「さあ、午後の授業が始まるよ。教室に戻ろう。次は数学だっけ? 知恵熱で頭が発熱しちゃうよ。やだねー、数学の授業は」
私は春日井君に背を向けて、理科室の扉へ向かう。背後では春日井君が立ち上がる気配があった。
「なんだよ。筑紫を照れさせようと思っていたずらを仕掛けたのに、そんな反応じゃ俺が筑紫に告白でもしたみたいじゃねえか。すげー恥ずかしいわ」
春日井君は悪態をつきながら椅子を上げていた。
私は顔が熱くなっていた。火照って赤くなっていないか心配しながら、早足で理科室から廊下に出た。
「先に教室に戻っているからね」
理科室の中の春日井君に声をかけ、私は廊下を全力で駆け抜けた。




