第383話 2人でダンジョンへ行く約束
私はお兄ちゃんのレベルを知らない。もりもりさんを加えた3人でダンジョンへ行くとしても、まずはお兄ちゃんのレベル上げが必要だと思った。
「ねえ、お兄ちゃん。私のダンジョンでレベル上げをしてみる気はある?」
お兄ちゃんはキーボードを打つ手をぴたりと止めた。だがすぐに、何事もなかったかのように作業を再開した。
「長瀞ダンジョンのことだろ? まあそうだな。そのうち機会があれば覗かせてもらってもいいかな」
興味があるのかないのか、よくわからない反応を示した。
タイミング良く、もりもりさんからチャットアプリにメッセージが入った。
【春菜さん、先日はありがとうございます】
典型的な挨拶文から始まり、お兄ちゃんについて書かれていた。
【厚かましいお願いですが、冬夜さんのレベルアップをお手伝いいただけないでしょうか? 冬夜さんの性格上、妹に頼むということはできないと思います。ですから……】
要約すると、私からお兄ちゃんを誘って欲しいという内容だった。
「実はさ、長瀞ダンジョンの28階で行き詰まっていて、どうやっても上に行けそうにないんだよ」
「だから、俺に手伝ってほしいと?」
ノートパソコンから顔を上げ、お兄ちゃんは私の顔を見てきた。
「覚醒レベルのことを知っているのはお兄ちゃんしかいないからさ。お兄ちゃんに手伝ってもらえば29階に行けるかもしれない」
回りくどい私の言い方に、お兄ちゃんはすかさず返してくる。
「というのは建前で、俺のレベルを上げてほしいと頼まれたんじゃないか?」
私が理由をつけてダンジョンに誘い出そうとしていることを、お兄ちゃんは見透かしていた。
「まあ、そうだね。でも、お兄ちゃんのレベル上げに長瀞ダンジョンを使ってほしいと思ったのは本心だよ。頼まれたこととは関係なく」
「春菜が驚異的にレベルを上げているのは知っている。そのきっかけになったのが覚醒レベルというのも、間違いないだろう。そして、今後は覚醒レベルを上げた4人が飛躍的に力をつけ、俺は置いていかれるだろうことも想像できる」
「そんなことないよ、私のダンジョンでレベルを上げれば……」
お兄ちゃんは私の言葉を遮るようにして、手を前に出した。
「ミランダからは執拗に言われていたんだ。俺も覚醒レベルを上げるべきだと」
「そうなんだ。私もお兄ちゃんは覚醒レベルを上げたほうがいいと思う」
お兄ちゃんは肘をつき、考えるようにして顎に手を当てた。
「俺はずっと迷っていたんだ。自分の覚醒レベルを上げてしまっていいのか、それとも……」
「そんなに簡単に上げられるものではないよ。私だってまだ覚醒レベルは5だし」
お兄ちゃんは首を振る。
「違う、そうじゃないんだ。俺とミランダの共有アイテムの中にレベルアップシードと覚醒の種があるんだ。つまり、俺はいつでも覚醒レベルを上げることができるんだ」
驚くべき情報をお兄ちゃんは口にした。
「そうだったんだ……。でも、どうして使わなかったの?」
「俺は春菜が使うべきだと思ったからだ」
「私?」
目を大きく開きながら、お兄ちゃんの顔を見てしまう。
「人類全体のためを考えたら、すでに覚醒レベルを上げているハンターに投資するほうが合理的だと思っている。春菜はすでに結果を出していて、俺よりも先を歩いている」
「お兄ちゃんの言いたいこともわかるけれど、私はたまたま先に覚醒レベルを上げることができただけにすぎないよ。お兄ちゃんが覚醒レベルを上げたら、あっという間に追い抜かれるかもしれない」
「でも、貴重なリソースは可能性の高いハンターに集中させたほうがいいはずだ」
「理屈ではね。でもそれは人間の頭で考えた結果にすぎない。理屈だけで言ったら、私が今の場所にいることも予想できなかったと思う。タブさんの話だと、私って直感タイプみたいなんだよね。論理派の湊と違って、考えすぎずに直感やひらめきを大事にしたほうがいいタイプだって――」
お兄ちゃんは少し驚いたような顔をしていた。
「――だから、理屈に合う行動がいつでも正しいとは限らない。理屈に合わない行動が良い結果になることもある」
「春菜にこんなことを言われる日が来るなんてな。俺は理屈で考えすぎか……」
お兄ちゃんは頭を掻きながら、椅子の背に体重を預けていた。
「私だって成長しているからね。いつまでも子どもじゃないよ」
「なら、春菜の直感はなんと言っている? 聞かせてもらっていいか?」
「うーん……。まあ、直感というほどではないんだけれど。言ってもいいのかな?」
私は考え込むように腕を組んだ。
「もちろんだ。聞かせてほしい」
「お兄ちゃんと2人でダンジョンに行ったことがないよね。一度、2人きりで行ってみるのもいいのかなって」
お兄ちゃんは椅子からずるっと滑り落ちそうになっていた。
「なんだ、それは……。もっと、こう、具体的な助言でも出てくるかと」
「お兄ちゃんも覚醒レベルを上げようよ。私たちは覚醒レベルを上げたことによって、それぞれの特性を高めることになったんだよね。湊は論理派、春日井君は才能派、もりもりさんは加速と運命打破。だから、お兄ちゃんにも何かあると思うんだよね。覚醒レベルを上げたほうがいいよ」
「そうか」
お兄ちゃんは落ちかけた椅子に座り直していた。
「老いては妹に従え、か……」
それを言うなら『老いては子に従え』だ。年を取った親が自分の意見を押し通すのではなく、子どもの意見に従ったほうがいいということわざだ。高齢者になってからのありようで、お兄ちゃんはまだ25歳。若々しさを保っている。
「よし、春菜のダンジョンに行ってみるか。お願いできるか?」
お兄ちゃんはこちらに笑顔を向けたので、私は強く頷く。
「うん。もちろんだよ。楽しみだね。せっかくだから、ダンジョン配信もしちゃおうか? 視聴者が稼げそうじゃない?」
「いや、それはやめてくれ」
苦笑いをするお兄ちゃん。
「そうだよね。いろいろ秘密にしておかないといけないことが多いよね」
「それもあるが……」
お兄ちゃんは私から顔をそらし、ノートパソコンに顔を向けた。
「妹と2人でダンジョン配信なんて、恥ずかしすぎるだろう……」
掠れた声で言うお兄ちゃんの背中に、私は後ろから抱きついた。
「私は別にいいけどなあ……」
甘ったれた声で話しかける。
「頼むからやめてくれ……」
心の底から勘弁してほしいといった感じで、お兄ちゃんはか細い声を漏らしていた。
抱きつく腕に力を込めても抵抗はなかったので、本心まではわからない。




