第370話 総理と湊ちゃんの密談(前半)
厳しい警備で守られた門を抜け、広い敷地を歩いた先にあるのは、どこかの博物館かと見紛うほどの豪華な建物だった。
私たちは客室に通され、目の前には紅茶とケーキが置かれた。持ってきた女性はにこやかに「どうぞ、お召し上がりください」と言ってくれたのだが、手を付けていいものかわからない。女性は「すぐに総理が参ります」と言って部屋を出ていった。
湊ちゃんと二人きりになり、無言で待つことになった。大和総理がやってきたときに口の周りにクリームを付けているわけにはいかない。すぐにやってくると言われたので待っていたのだが、総理が来たときには紅茶はすっかり冷めていた。
「失礼するね」と優しい声でドアを開け、総理が入ってくる。
「筑紫春菜さんとご学友の南波湊さん。ようこそ、いらっしゃいました」
大和総理がこちらへ握手の手を伸ばしてきた。
紛れもなく、現在の総理大臣である大和昇一郎。年齢は50代後半。それにもかかわらず、背筋がまっすぐ伸びていて若々しい。皺一つないダークスーツに身を包んでいた。
湊ちゃんが先に立ち上がり、遅れて私も立ち上がった。
「はじめまして、大和総理。南波湊です」
最初に握手をしたのは湊ちゃんだ。総理とは一度会っていることを伝えていたが、湊ちゃんははじめましてと言った。
大和総理は朗らかな笑みを浮かべた。
「実は以前にもお会いしているんですよ。でも、ほんのわずかな時間でしたからね。パスポートを渡してすぐに立ち去ってしまいました」
湊ちゃんも照れたように笑った。
「そのことは、ここに来る直前に春菜から聞かされていました。驚きました。あの時の男性が総理だったなんて」
「ははは。そうですよね。わからなかったですよね。では、総理として会うのは今日が初めてですね」
「はい。私なんかが付いてきてしまっても良かったのでしょうか?」
「もちろんですよ。歓迎します」
大和総理は私に手を伸ばした。
「それと、筑紫春菜さん」
出された手を取ると、総理は強く握り返してきた。
「よくいらっしゃいました。ありがとうございます」
私は握手を返しながら、何を言っていいのかわからなかった。
「ええと……。あの……。すいません! ごめんなさい!」
私は勢いよく頭を下げた。
「急にどうしたんですか。春菜さん」
「あの……。自衛隊の戦車とか、渋谷のビルを壊してしまいました。本当にごめんなさい!」
私は頭を上げて総理の顔を窺ってから、もう一度頭を下げ直した。
「春菜さん、春菜さん。とりあえず頭を上げてください」
総理が優しく私の肩に触れたところで、部屋のドアがノックされた。
「失礼いたします。紅茶をお持ちしました」
「どうぞ」
総理が声をかけると女性が入ってきて、総理の前に紅茶を置いた。そのまま「失礼します」と言ってドアへ向かった。
部屋を出ていこうとしたところに、総理が声をかけた。
「すいませんが、これから大事な話があります。私が呼ぶまで、誰もこの部屋へ近寄らせないように」
「かしこまりました」
女性は優雅な所作で深く頭を下げ、去っていった。
「さて」
総理が真剣な顔に変わり、ソファに座るよう促してきたので、湊ちゃんと一緒に座った。
「ここに春菜さんをお呼びした理由なのですが――」
ケーキを食べるように促されたが、さすがに食べられるような雰囲気ではない。
「今後、日本においてゲートの発生が多発すると思われます。我々はそれに対し、迅速に対処しなければなりません。そのためには、ハンターの方々の協力が必要不可欠です。ぜひ、春菜さんにもご協力いただきたいと思い、ここにお呼びした次第です」
「えっと。じゃあ、あの……。渋谷の件はどうなるんでしょう? 私、賠償とか、罰金とか、あと、もしかしたら、ええと……。逮捕とかそういうことも心配しちゃったりなんて……」
しどろもどろに言う私に対して、大和総理は優しい声で返してくれる。
「何を言っているのですか、春菜さん。あの程度の被害は想定の範囲です。むしろ人的被害がなかったことが幸いです。ゲートからモンスターが放たれてしまったら、甚大な被害をもたらします。それに比べたらあのくらいは気にしないでください。もちろん被害は少ないほどいいです。ですが、春菜さんたちハンターにはクエストクリアに専念していただきたい。それが優先事項です」
私は総理の口からそう聞いて、やっと心の底から安心できた。
「そう言っていただけると」
横にいる湊ちゃんを見ると、なぜか渋い顔で苦笑いしていた。
「南波さんも、ぜひご協力いただきたいのです」
顔を上げ、口を開いた湊ちゃんは強気な口調だった。
「総理、お忙しいでしょうし、本題に入りませんか? 春菜のことを呼んだのには特別な理由があるからではないのでしょうか?」
「特別な理由?」
「春菜はまだワールドランカーではありません。その春菜をここに呼んだ理由が何かあるはずです。それと、私はここにいてよろしいのでしょうか? 総理に警護も付けず、どうやら近くには誰もいないようです。春菜と二人きりで話をしたい重要な何かがあったのではないでしょうか」
「ははは、なるほど。南波さんはなかなか鋭い方のようだ。まあ、時間はあります。ゆっくり話をしましょうか。どうぞケーキを召し上がってください。紅茶は冷めてしまいましたね。人払いしてしまったので、淹れ直せないのが申し訳ないのですが。どうか、我慢してください」
総理の言葉で私はフォークを手に取った。
「じゃあ、お言葉に甘えて。いっただっきま~す」
私はショートケーキの先端部分をフォークですくい取る。イチゴは最後まで残しておくタイプだ。
「あ、これ。おいしい。なんか違う」
思わずほっぺに手を当ててしまった。
ただの甘ったるい生クリームではなく、ほんのりとした甘さを感じる上品な味だった。クリームもさらっとした感触で口に残らず溶けていく。
「気に入られたようで何よりです。春菜さんに美味しいケーキを食べていただきたいと思いまして、秘書に頼んで用意させました」
私は続けて二口、三口とショートケーキを食べていく。口の中がスポンジとクリームでいっぱいになる。
「おいひいよ。湊もたべれば?」
私はまだケーキを食べていない湊ちゃんに声をかけた。
湊ちゃんは私に返事をせずにフォークを持った。そのまま動きを止めて総理に話し始めた。
「どうして春菜なんだろうって、考えたんです」
総理はほんのわずか、首を傾げる。
「ここに呼ばれたのが、という意味です。春菜に何かをさせたいのではないかと考えました。もちろんそれはゲートに関することだと思います。というか、それしかないですし、だとしたら何をさせたいのか……」
「私はただ、春菜さんにこの国を守るご協力をしていただきたいだけですよ。それ以上の特別な意図など……」
「どうして春菜なのか、ということなんです。なぜ春菜のお兄さんやミランダさんではないのか」
「たひかに……。おにいひゃん……」
ケーキを頬張りすぎていて言葉になっていなかった。
口の中いっぱいのスポンジを冷めた紅茶で流し込む。
「お兄ちゃんは私よりずっと強いですし、ワールドランク1位のミランダさんも……。いや……。そっか。違うな。私より上はたくさんいるのか。強いハンターは他にたくさんいるのに、どうして私なんだろう?」
「理由は2つあるんじゃないかな、と私は思いました」
湊ちゃんは真剣に話しているが、大和総理はまだ軽い気持ちで聞いているようだった。
「南波さんの見解は面白そうですね。よろしかったら聞かせてもらってもいいですか?」




