第350話 石化するミリア
学校が休みなので、リビングでごろごろしながらテレビを見ている。
お兄ちゃんはゲート出現に備えて出かけていった。ワールドランク2位なので当然だろう。むしろ、出発が遅いくらいだ。
日本を守るなんて言った私だが、特に事務局からの要請があるわけでもなかったので、のんびりしていた。
同居しているミリアが1階に降りてきた。
「お姉様あ。おはよおござあいまああすう」
寝ぼけながら目をこすっている。
レベル173のサキュバス。最強の防御力を誇るモンスターも、見た目は人間と変わらない。
「ミリア、今日は学校はお休みだよ。まだ9時だから寝ててもいいよ」
ミリアはいつも朝食を食べない。バナナを主食とするミリアだが、朝は食欲がわかないらしい。
「ミリアは昨日の夜は早く寝たのです。ダンジョン配信の動画を1時に見るのをやめて、1時半には寝たのです」
「偉いね、ミリア」
私が寝転んでいるソファのところに来たので、ミリアの頭をやさしく撫でてあげた。
「ハンター事務局からの要請があって、早く寝たのです。8時15分に渋谷駅に来いと連絡があったのです。ミリアはダンジョンポイントをたくさんもらいました。協力費なのです。推しに貢いでしまう前に、お姉様にも分けるのです」
私はがばっと勢いよくソファから起き上がった。ダンジョンポイントなんてどうでもいい。今なんと言った? 何時だと言った?
「ミリア! 時間すぎてるよ! 今は9時! 9時だよ!」
「9時?」
「そう、9時! 時計を見て!」
「じゃあ、明日の8時15分に行けばいいですか? お姉様?」
ミリアはのんびりとした声で答える。
「違う! そうじゃない! 遅刻しますって連絡しな、ミリア!」
ミリアが受け取ったメッセージを確認する。タブレットを見ると、連絡内容に日付が書かれていない。【急な要請ですが、朝8時15分に渋谷駅まで来ていただくことは可能ですか?】とある。
ミリアは【了解なのです。行くのです。8時15分を守るのです。】と返してある。
ミリアに文脈を読めというのは無理な話だ。8時15分と伝えたら、8時15分を守ればいいのだと考える。今日も明日も、ミリアにとっては同じ8時15分なのだ。
私は頭を抱えるが、のんびりしている暇はない。ここから渋谷駅まではどのくらいだ? 渋谷へはミリアといっしょに行かなければならないだろう。
とりあえず急いで着替えることにする。タクシーを呼んだほうが早いか? いや、電車のほうが早いのか? お兄ちゃんはどこだ? 車で送ってくれないかな?
そうだ、お兄ちゃんは先に出かけていたんだ。この家には私とミリアしかいない。
お兄ちゃんはどこへ行くって言ってたっけ? 新宿?
ミリアは渋谷に呼ばれているから、お兄ちゃんとは別のゲートのはずだ。
「着替えて! 急いで着替えて! ミリア!」
「ミリアはいつでもワンピースなのです。ピンクのふりふりのワンピースなのです。可愛いですか? お姉様?」
ミリアはその場でくるりと回って見せる。スカートの裾がひらりと舞い上がった。
「私か! ミリアの足を引っ張っているのは私か! 着替えを急がないといけないのは、私なのか!」
1人で忙しくリビングを駆けずり回る。
「お姉様、早くして下さい。行きますですよ。遅いとミリアは1人で行くのです。置いていくのです」
「待って! 行かないでミリア! 急いで着替えるから! 置いていかないで!」
私はとにかく服を探す。ええと、靴下はどこだ? 学校の制服? いや、違う、私服でいいんだ。私の服、どこ? ああ、もう、ぐしゃぐしゃじゃん。皺がよってる。霧吹きで水を掛ける? アイロンなんて時間がない。ああ、もう、これでいいや。急げば急ぐほど、空回りする。
「お姉様、頭がぐちゃぐちゃなのです。髪の毛がメデューサ状態なのです」
メデューサはギリシャ神話に登場する怪物だ。髪の毛が蛇になっている。石化能力があり、目を合わせると石にされてしまう。
「誰がメデューサだあ! 時間がないんだよ。早く出発しなきゃ!」
「お姉様、急ぐのです。ミリアはもう靴を履いているのです」
ミリアはすでに玄関にいた。
「待って、待って、ミリア。ああ、髪の毛はどうする? 走りながら梳かすか?」
私はヘアブラシを握りしめ、玄関に向かった。
ミリアは玄関ドアを開けようとしていた。
「お姉様。出発なのです。いざ、渋谷へ!」
「待って、待って。すぐに私も……」
靴に足を引っ掛けながらミリアへと手を伸ばすと、ミリアはドアを半分開けた状態で固まっていた。私と目を合わせたまま、まったく動かない。
「ミ、ミリア……?」
目を開いた状態で瞬きもしない。そのまま口も動かさずに声を発した。
「ミリアは石になったのです。メデューサと目を合わせてしまったのです」
まるで腹話術師のようにミリアは止まったままで、声だけが出ている。どこでそんな技術を身に着けたのか。
私は持っていたブラシで急いで髪を梳かした。
「ほら、もうメデューサじゃないから。遊んでないで行くよ! 時間がないんだから!」
ミリアは動き出し、玄関ドアを開けた。
「石化が解けたのです。では、出発なのです。だいぶ遅刻なのです。お姉様のせいで」
「ミリアのせいだよ!」
すでに時刻は9時15分。
この時点で1時間の遅刻だった。




