第326話 湊vsゴブリン
ロックが解除されると同時、扉が横にスライドした。
霧野さんが一歩前に出ながら、大きく両腕を広げた。
「春日井君、待ってた。怖かったよー」
まるで抱きつかんばかりの霧野さんの前に現れたのは1匹のゴブリンだった。ゴブリンはすでに棍棒を振りかぶっていた。
ゴブリンの棍棒が霧野さんの頭に振り下ろされた。霧野さんは固まったように、その場に立ち尽くしてしまう。
湊ちゃんは駆ける。霧野さんの左で床を蹴って側方に飛び、教室の壁を蹴った。そのまま勢いよく霧野さんへ戻り、抱きかかえるようにして倒れ込んだ。霧野さんがいた場所では、ゴブリンの棍棒が空を切っていた。
湊ちゃんは素早く立ち上がる。手にはすでにダガーを実体化していた。ダガーを逆手に持って、刀身を下向きにしている。肘を曲げ、握った手をアッパーカットのように振り上げた。同時に一歩を踏み込む。ゴブリンは「グギャッ」と叫び、顔面にはまっすぐにダガーの切れ筋が入った。
返す手で湊ちゃんはゴブリンの頭部の右側面にダガーを突き刺す。素早くダガーを抜くと、ゴブリンの腹部に中段蹴りを入れ、ゴブリンは廊下側へと飛んでいった。
軸足にしていた左足でくるりと反転しながら、教室の扉を閉める。後ろ手でロックを掛けながら「大丈夫?」と霧野さんに手を差し出した。
唖然と見ていた霧野さんは、何が起こったのかわかっていなかった。差し出された湊ちゃんの手を取ることもできない。
私たちは配信画面を見ていた。春日井君と感想を述べる。
「すごいね、湊」
「低レベルモンスターが相手とはいえ、あれほど見事な動きができるのか」
「私の戦いを見ていたからね」
「筑紫がそれを言うか」
私たちは画面を見ながら喋っている。よそ見をしたまま、こちらのゲート内の巨大ネズミを適当に倒していた。クエストクリアはどうでもよく、私と春日井君の関心は湊ちゃんにしかなかった。とにかく、湊ちゃんが心配だったからだ。
その湊ちゃんは霧野さんの手を取ることを諦め、ダンジョンデバイスを操作して、1本のポーションを実体化させる。
「これ、使って。手から血が出ている」
霧野さんが自分の手を見ると、擦り傷ができて血に染まっていた。床にも血がついていたから、どこかに引っ掛けたようだ。
「いらない……」
霧野さんは顔を背けながら、湊ちゃんのポーションを拒んだ。仕方なく湊ちゃんは近くにいた水嶋さんの手にポーションを握らせた。
「あとで霧野さんに使ってあげて」
「うん……」
水嶋さんは素直にポーションを受け取ったので、湊ちゃんはほっとした顔をしていた。
「じゃあ、私は行ってくるから。私が出たら扉にロックをしてね。絶対に開けないでね」
そう言って湊ちゃんは教室の外に消えた。
2年4組の生徒たちは静まり返っていた。これまでにゴブリンを直接見たことがある人はいないだろう。ダンジョンハンターであっても、初めてゴブリンと対峙したらああは戦えない。いきなり遭遇したら恐怖心が先に立ち、足がすくんでしまうはずだ。
しかも、湊ちゃんが手にしていたのはダガーだ。ダガーはナイフを大振りにした程度で、サバイバルナイフのようなものだ。それでゴブリンに向かっていくのは勇気がいるはずだった。しかも、湊ちゃんは鎧を着ていなければ、盾も持っていない。制服姿の湊ちゃんには攻撃から身を守る手段がない。
現在の湊ちゃんのレベルは58だ。もちろんレベルだけで考えればゴブリンなんて敵ではない。しかし、それは十分な装備を持っている場合に限る。
無防備とも言える今の装備だと、ハンター自身の力量が重要となる。ハンターはレベルだけでなく、装備と技量とで強さが決まるからだ。
いつの間にか湊ちゃんは成長していた。私から見ても頼もしい戦闘だった。それは2年4組の生徒たちも感じたようで――
「ダンジョンハンターってすごいんだな」
「間近で見たのは初めてだ」
「確かあの子って、勉強が得意だよね? いつも上位にいた気がする」
「あんな動きができるんだ」
「倒し方がかっこよかったな」
「シュバッ、グサッ、ドカッって感じ。最後は蹴り飛ばしていた」
「おい、語彙が貧弱だな」
ははは、と誰かが笑った。
霧野さんたちは3人で固まり、教室の一番奥まで戻っていた。扉と反対の窓側だった。窓の外は真っ黒だった。そこはなにもない空間が広がる。
「南波って、あんなだったっけ?」
「もっとおどおどしていた気もする」
「勉強ばかりのいい子ちゃんだと思ってた」
霧野さんは手が痛いようで、手首のあたりを締め付けるようにして痛みに耐えていた。血はまだ止まっておらず、先ほどよりも出血は増えていた。
「これさあ、使ったほうが良くない?」
水嶋さんが湊ちゃんから受け取ったポーションを霧野さんに差し出した。霧野さんは迷っていたようだが、ポーションに手を伸ばした。
「これってどうやって使うの?」
「さあ? 傷にかけるのかな?」
それはクラスの1人が教えてくれた。教室の様子をスマホで撮影して配信していた生徒だった。
「ポーションは飲むんだって。配信のコメントで教えてくれた。傷にかけても治るけど、飲んだほうが効くって」
霧野さんは手が痛むようで、ポーションの蓋は水嶋さんに開けてもらっていた。小瓶に入ったポーションは薄い橙色をしていて、お世辞にも美味しそうな色ではない。
飲むのを少しためらっていたが、目をつぶって一気に中身を流し込んだ。液体が喉を通ると、霧野さんの手が光った。
「え……。なにこれ……」
霧野さんは自分の手を見ながら呆然としていた。
一瞬で霧野さんの手の傷がふさがり、傷跡すら残っていなかったからだ。




