第321話 日本へ帰ります
「さて、帰ろうか。日本へ。私のスキルで」
長瀞ダンジョンを召喚しようとしたところ、お兄ちゃんに止められてしまった。
「春菜、この国ではむやみにスキルを使うと法律違反になるぞ。逮捕されることになる」
私は口を尖らせながら、お兄ちゃんに言い返す。
「それは正当な理由がない場合でしょ?」
「正当な理由があるのか?」
「私が飛行機に乗りたくない」
「残念だが、それでは無理だな。今回はイタリア政府が帰りのチケットを用意してくれた。ファーストクラスだ」
それを聞いて目を輝かせたのは湊ちゃんだった。
「ファーストクラス!?」
湊ちゃんは私の胸元を掴んでぐいぐいと揺らした。興奮しながらまくしたてる。
「ファーストクラスって、すごい高いんだよ。席もすごいんだよ。広いんだよ。大きいんだよ。背もたれが倒れるんだよ。寝られるんだよ。個室みたいになっているのかな? 機内食もすごいんだよ。コース料理みたいなんだよ。キャビアとか出ちゃうのかな? きゃー。ジュースも飲み放題なんだよ。空港にある高級ラウンジも入れるんだよ~~」
湊ちゃんが激しく揺さぶるものだから、私の頭はがくんがくんと振られる。
「まだドラゴンで帰るほうがいいよ。百歩譲って、戦闘機。あれならぎりぎり耐えられそう」
「どっちも、機内食は出ないじゃない~~」
湊ちゃんはますます激しく揺らした。
春日井君が真面目な顔で言ってくる。
「筑紫は飛行機に慣れておいたほうがいいぞ。次にデビルズ・マスターのような敵と戦うときのために」
「飛行機に乗るくらいなら、泳いだほうがマシ」
泳ぐ準備ならできていた。制服の下にはスクール水着を着ている。このために着ていたわけではないが。
「じゃあ、列車で北へ行ってスイスかフランスの国境でスキルを使うか?」
春日井君の提案に、湊ちゃんは頬を膨らませながら口を尖らせた。
「えー、ファーストクラスは? 機内食は?」
「湊は飛行機で帰りなよ。私は1人で列車に乗るよ」
「筑紫1人ってのもかわいそうだな。俺もいっしょに行ってやるよ」
ミリアが「はい!」と手を上げた。
「ミリアは飛行機に乗るのです。もう乗れるようになったのです。ミリアは機内食が食べたいのです」
ラビちゃんも腕を動かして物を食べる仕草をする。モンスターなので食事はしないが、飛行機で帰りたいようだ。
最後はエリ先生がまとめた。
「じゃあ、春日井君と春菜さんの2人が列車ですね。他の方は飛行機。それでよろしいですか?」
「春菜と春日井君が2人で列車なの?」
湊ちゃんは急にそわそわし始めた。
◆ ◆ ◆
列車は北上している。ローマからアビスゲートの発生したミラノまでいったん戻ることになる。鉄道でそのままスイス入りする予定だ。
春日井君と2人でデート気分? 旅行気分? そんなことはない。
私も春日井君も、おかしくて笑い出しそうだった。時々、目を合わせては、お互いに吹き出しそうになるのをこらえていた。
同じ車内の後方。席に1人で座っている日本人。
サングラスを掛けていて、変装しているつもりなのだろう。
湊ちゃんは緊張しながら、時折こちらの様子を窺っていた。
私たちは湊ちゃんの尾行に気がつかないふりをして、なるべく前を向いていた。
スイスに入ると一番最初の駅で降り、人目のつかない場所を探す。長瀞ダンジョンを召喚すると私たちの姿は消えることになる。驚かせないためには誰もいないところでスキルを使う必要があった。
あれほどファーストクラスに乗りたがっていた湊ちゃんだが、私と春日井君のことが気になったのだろう。本人は隠れているつもりだが、こちらを気にしすぎているので尾行になっていない。
しかし、湊ちゃんはわかっているのだろうか?
私たちがこのまま日本に飛んだら、湊ちゃんは1人でスイスに残されてしまうことになるのだ。
路地を曲がるところで、私と春日井君は早足になった。湊ちゃんも角を曲がる。
「あ……」
湊ちゃんは行き止まりになった路地を見ている。路地の先は暗く、三方が壁で囲まれている。
私と春日井君はハンターの能力を解放し、壁を飛び越え、ぐるりと回って湊ちゃんの後方へ回っていた。少し離れたところから観察している。
湊ちゃんはあたりをきょろきょろ見回し、ようやく事態を把握したようだ。
「そうかぁ……。しまった……。2人が帰っちゃうと、私はスイスに残される……」
頭を抱えて独り言を繰り返す。
「だって、だって、気になったんだもん。春菜が春日井君と2人きりになるから」
湊ちゃんは少し泣きそうな顔になっていた。
かわいそうになった私は後ろから湊ちゃんに近づき、羽交い締めにした。
「湊~。ファーストクラスに乗らなくて良かったの?」
「きゃあ!」
湊ちゃんは叫び、その場にしゃがみこんだ。驚かせてしまったようだ。
私は勢い余って前のめりになってしまい、地面に手をつき、前方に宙返りをする。ハンターの能力で身体機能が上がっているからこそできることだ。
体操選手のように大きく足を広げて回転しながら、私は地面に立った。回れ右をして、湊ちゃんの顔を覗き込む。
「スイスに置き去りにされたと思った?」
ちょっと意地悪っぽく、下から湊ちゃんの顔を見ると「ばかぁ」と返ってきた。泣くのをこらえている湊ちゃんは少し恥ずかしそうだった。
湊ちゃんの頬はほんのりと染まっていたが、湊ちゃんの後ろにいた春日井君がなぜだか顔を真っ赤にしていた。
「筑紫、スカートだってこと忘れてないか?」
大きく足を広げて前転をしたのだ。私のスカートは翻っていた。
「ああ、これ? 大丈夫。下、水着だから」
自分でスカートを持ち上げて中を見せようとした私を、湊ちゃんが慌てて手で止めた。
「春菜! 水着だからって、見せちゃ駄目だよ!」
「あ、そうか。そうだね」
私は裾を持っていた手を離した。
「待て待て。なんで水着なんだよ。いつから水着なんだよ」
まったく事情をわかっていない春日井君は、理解できていない様子だった。私は人差し指を口に当てる。
「ないしょ。じゃあ、日本へ帰るよ。『長瀞ダンジョン、召喚!』」
私のスキルが発動し、不気味な風景が目の前に現れる。荒涼とした大地にたくさんの亡霊が蠢いている。
スキルを解除すると、私たちは埼玉県長瀞町に立っていた。
まさか湊ちゃんがファーストクラスをふいにして私たちを尾行するとは思わなかった。湊ちゃんはファーストクラスの飛行機を楽しみにしていたのだ。こうなったのも、私が飛行機が苦手なことが原因だ。
湊ちゃんのためにも飛行機に乗れるように練習しようと思った。そうしたら、いつかいっしょにファーストクラスに乗れる日が来るかもしれない。




