第270話 兄の幽霊
私たちは3人で階段を降りていた。お兄ちゃんが殺されてしまったことで動揺していたのだろう。湊ちゃんはずっと片足しかブーツを履いていなかった。
「あっ!」
そのことに気づき、湊ちゃんは足を止めた。
「神王のブーツを忘れてきちゃった。取りに戻らないと。待っていて」
「いいよ。いっしょに戻ろう」
「うん」
3人で再び地下170階へと戻り、階段を出る。
「ここで待ってて。走って取ってくるから!」
湊ちゃんは大きく声を出して手を振ったあと、墓を作った場所へと走っていった。私は春日井君と2人で待つことになった。
湊ちゃんの姿が小さくなる。天井の枝が崩壊しているので視界は悪い。霧がかかったように断片的にしか見えなかった。
遠くから、湊ちゃんの叫び声が聞こえた。
「ひゃ、ひぇえ☆qwft、ひゃああああああああ!!!!!」
奇妙な叫び声だ。
猛烈な勢いで湊ちゃんが戻って来る。
「幽霊! 幽霊がいたあ!! 幽霊!!!!」
墓のあった方向を指さしながら、湊ちゃんは涙目になっていた。
思いっきり走ったようで、ぜえぜえと息を切らしている。
「はは」
と、春日井君は軽く笑う。
「見間違いだろう。視界が悪いからな。俺が代わりに取ってきてやるよ」
そう言って今度は春日井君がブーツを取りに行った。軽い足取りで走っていく。
同じように春日井君の姿が小さくなり、同じように春日井君は叫び声を上げた。
「ひっ! ひ、ぎゃわぁっ! うわぅぎゃあああ!!!!!!!!」
春日井君までもが慌てふためきながら戻って来た。手には神王のブーツを持っていたから、悲鳴を上げながらも拾うことはできたらしい。
「ね! いたでしょ!? 春菜のお兄さんの幽霊! いたよね!? いたよね!?」
湊ちゃんが涙を落としながら、春日井君に訴える。湊ちゃんは本当に幽霊が苦手らしい。
「いた! 間違いなくいた! 急いで下へ行こう! ここにいちゃいけない!」
春日井君も同じく幽霊が苦手なようで、目をギンギンに開けながら主張していた。
「うん! 春菜は見ないほうがいい!」
春日井君と湊ちゃんは私の腕を掴んで引っぱった。そのまま階段へと強い力で引きずられた。私たちは足をもつれさせながら階段に突入したものだから、当然のように段差を踏み外し、バランスを崩してしまう。
3人でごろごろと階段を転がり落ち、団子のように絡まり合い、どがしゃーんと地下171階へと落ちた。
絡み合ったり、頭が下になったり、とんでもない体勢になったが、なんとか3人とも起き上がる。
怪我や打撲がないことを確認し、落ち着いて向き合った。
息をつきながら、私たちは冷静さを取り戻す。
春日井君が持っていたブーツを湊ちゃんに渡した。
「とりあえず、このブーツを返しておく」
受け取った湊ちゃんは、俯きながら神妙な顔を浮かべていた。
「どうかしたか?」
「この装備ってさ、春菜のお兄さんが貸してくれたわけじゃない? これは遺品だと思う。生前は快く貸してくれたのだけれど、亡くなった今となっては春菜に返したほうがいいんじゃないのかな?」
湊ちゃんはそう言いながら、春日井君の顔を見上げた。
「確かに、そうかもしれないな。俺が墓に行ったら、墓標が真っ二つに折られていた。もしかしたらそういうことなのかもしれない。俺も筑紫に返したほうがいいと思う」
「だよね。春菜が装備していたほうがいいよね?」
湊ちゃんは静かに頷いた。
2人の意見もあり、私は湊ちゃんと装備を交換することになった。
私が着ていたのはブルーメタリックのオリハルコン装備だ。これを湊ちゃんが着ることになる。
私は黄金に輝く神王装備を身に着けた。
装備を交換すると、私は青く輝く湊ちゃんの姿に見とれてしまう。
「あらためて見ると、ブルーメタリックはすごくかっこいいね。随所に白い装飾もあって」
「うん、私は春菜を見ていたから同じように思っていたよ。でも、神王装備もかっこいいよね」
「青と金でまったく印象が違うから、装備を入れ替えると間違える人がいるかもね」
「だよね」
お互い、くすくすと笑ってしまう。
私は湊ちゃんと一緒になごやかな雰囲気で笑った。
その時、私はふと、オリハルコンの兜に鉄槌が落ちる衝撃を覚えた。ダンジョンシミュレーターを稼働させ続けていたからこその感覚だ。
それはダメージを受けるほどではない。ただのゲンコツ程度のものだ。気にするようなものではないのだが……
以前にダンジョンでもりもりさんと装備を交換したことがあった。あの時は神王装備を着たもりもりさんを私だと勘違いしたお兄ちゃんがゲンコツを落としていた。もりもりさんには本当に悪いことをした。
今や、お兄ちゃんは幽霊となってしまった。幽霊はゲンコツを落とすことなどできない。
だから、私の気のせいだとは思うのだけれど……。
「ねえ、湊。一応、私のダンジョンシミュレーターに反応があったから伝えておくけれど」
「ん?」
「なんか、兜に衝撃があるかもしれない。だけど、別に怪我をするとかじゃないみたいだからね。あまり気にしなくていいと思うけれど、伝えておこうと思って」
「え? なにそれ? 変なこと言うね、春菜」
「ごめん。変だよね。まあ、気をつけてってことだけ。それを伝えたかったの」
私たちはいっしょに地下171階を歩き出した。
しばらく歩くと、エリ先生とミリアに合流することができた。
エリ先生がこちらに声を掛けてきた。ブルーの装備を身に着けた湊ちゃんに対してだ。
「春菜さん、やりましたね……。え? あれ……」
湊ちゃんに声を掛けたエリ先生は戸惑っていた。
装備を入れ替えていたから、私と湊ちゃんを間違えてしまったのだ。
一方で、ミリアは私にまっすぐ抱きついてきた。
「エリ先生は湊とお姉様を間違えたのです。ミリアは匂いでお姉様とわかるので、間違えないのですよ」
そう言ってミリアは私の体に腕を巻き付け、力を込めてくる。
「ああ、こちらが春菜さんですね。完全に間違っていました。それにしても、ボスを倒すとは。私とミリアさんでジャングルの枝を折っていましたので、13時間ほどお待ちいただければ、安全に下に来られたと思うのですが」
13時間……。それを聞いて、私はガクッと衝撃を受ける。
エリ先生の時間間隔は私たちと少し違うのかもしれない。待ちきれずにボスを倒したとか思っていないだろうか?




