第259話 決意
お兄ちゃんはきっと私を心配してここに来たのだ。そして、迂闊にもボスに近づいてしまい、猿の姿に変えられてしまった。お兄ちゃんの姿をもとに戻すにはボスを倒すしかなかった。
「ごめん、湊、春日井君。2人は先に下へ行って。大統領のところへ。私はボスを倒す」
湊ちゃんと春日井君を巻き込むわけにはいかなかった。ボスの正体も不明だし、能力も不明だ。おまけにここは地下170階。ボスの強さは桁違いだと思われる。猿にされてしまうかもしれないし、殺されるかもしれない。危険性は著しく高かった。
「何を言ってんだ、筑紫!」
「春菜!」
「だって……。だって……。お兄ちゃんが。お兄ちゃんが猿に変えられてしまって」
私はボスを倒すことしか頭になく、ミスリルの大剣を鞘から抜いた。いつもより剣が重く感じられる。足にも力が入らず、ふらついてしまった。
「春菜、落ち着いて。まだお兄さんだと決まったわけじゃ……」
「あのメガネ! お兄ちゃんは勉強の時に黒縁メガネをかけている!」
ジャングルの奥へ歩き出そうとして、私は足元の枝につまずいた。顔から勢いよく倒れてしまう。ミスリルの大剣が手から離れて落ちた。
「おい、筑紫! 大丈夫か!?」
春日井君が慌てて私のことを起こしてくれた。私は大剣を掴み、杖のようにして立ち上がった。
「大丈夫。大丈夫だよ。ちょっと今は冷静さを欠いているだけ。落ち着いたら大丈夫だから。私はボスを倒してから下へ行く。2人は先に行っていて」
「筑紫を置いていけるわけないだろう。エリ先生が別働隊が来るって言っていたから、それを待とう」
「別働隊を待っていたら、お兄ちゃんが死んじゃうかもしれない。だって、猿だよ。装備もなにもない。明らかに知能も低い。私のことも理解してなかった。別働隊は数日かかるという話だったよね? 私は待つつもりはない」
「だからって、筑紫が1人で挑んでも勝てる相手じゃ……」
「お兄ちゃんが! 死んじゃうんだよ!!」
私は春日井君の手を勢いよく払った。目には涙が滲んでいた。
「湊も春日井君も、巻き込むつもりはない。私にはダンジョンシミュレーターがある。魔法も使える。ミスリルの大剣もある。何が何でも、倒してやる」
「落ち着け。とにかく冷静になれ」
「ならない!!」
お兄ちゃんがここに来たということは、私のことを心配したからだろう。それで猿にされてしまったのだ。
地下170階は気安く来られる場所ではない。命をかけて、私のことを見守ろうとしてくれた。だから、私も命をかける。お兄ちゃんを助ける。
「私は、お兄ちゃんを助ける。1人でも」
涙が数滴落ちていた。湊ちゃんと春日井君が霞んで見える。
2人の表情はよくわからなかった。困惑か、同情か。あるいは呆れか。
手の甲で涙を拭った。2人の顔が見えた。
そこから伝わるのは、決意の現れ。
気持ちを固めた意思だった。
「じゃあ、倒そうか。春菜」
湊ちゃんの声は低かった。
「ああ、そうだな。筑紫の兄ちゃんを助けよう」
春日井君も同じだ。
湊ちゃんはスマホの画面をこちらに向けた。
春日井君はダンジョンデバイスをこちらに向けた。
湊ちゃんの画面に表示されていたメッセージが見える。
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『EXR覚醒の種を使用しました』
覚醒レベルが1から2になりました。
覚醒ユニークスキルを獲得。
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春日井君のデバイスに表示されたメッセージも見えた。
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『EXRレベルアップシードを使用しました』
通常レベルが1あがり、レベル60になりました。
覚醒レベルが1から2になりました。
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私は思わず、口元を手で押さえた。
「え……。ちょっと、待って……。使っちゃったの……?」
安易に使っていいアイテムではない。今まで使うことをためらっていたのだ。
覚醒レベルを上げると後戻りはできない。
「筑紫が両方のアイテムを使って、1人で覚醒レベルを上げたほうが良かったかな? そうすれば筑紫の覚醒レベルを4から6に上げられたし」
「そういう問題じゃない!」
「私は、春菜をサポートするには、これが最適だと思ったよ。これで少しは倒せる確率が上がったんじゃないのかな?」
「だからって……」
ダンジョンシミュレーターを稼働させてみる。ボスを倒せるような未来は期待できない。おそらく足りないものがある。ありすぎる。
「私は……2人を巻き込みたくない……」
「もう巻き込まれてるさ」
「そうだよ。ここに来るってだけで、命をかけちゃってるんだよね。わかってるのかな? 春菜は?」
「筑紫のお兄さんを助けよう。な? 本当に助けるって言うのなら、俺たちの助けは必要だと思う」
「そうだよ。本当に助けよう。私たちはその覚悟ができてる。だから、アイテムを使ったんだよ。覚醒レベルを上げたんだよ」
春日井君も、湊ちゃんも、顔つきが変わっていた。まるで一回りも、ふた回りも大人になったような顔だ。
私は静かに頷く。
「わかった。私が2人の命を預かる。絶対にボスを倒す」
タブレットからAIの音声が流れてくる。
『主よ……。余計なことはするなと言ったはず……』
私は声のトーンをきつめにして、AIに命令をする。
「タブさんに命令。ボスを倒すために、すべてのリソースを集中してほしい。それ以外の選択肢はとらないで」
『了解した。ボスを倒すために、すべてのリソースを回そう。主よ、ダンジョンシミュレーターを常時、フル稼働せよ。ありとあらゆる戦略を立て、その可能性を常に計算し続けるのだ。主の負荷は大きい。覚悟せよ』
私は深く頷く。
「ありがとう。タブさん。きっと、ボスを倒すからね」
『現在の討伐確率:0.006%。死地に向かう覚悟で挑むことだ。後戻りはできない』
「わかった。でも、湊と春日井君は? 今ならまだ……」
「筑紫の兄ちゃんを助けるよ」
「うん、絶対にね」
2人の意思は変わらない。
「ありがとう……。全力で挑む」
すでにダンジョンシミュレーターはフル稼働状態にある。私には負荷がかかり始めている。でも、それを顔に出すことはしない。
私の笑顔に、春日井君も湊ちゃんも応えてくれる。
「もちろんだ」
「うん」
湊ちゃんは抱いていたラビちゃんをぎゅっと抱きしめていた。丸まっているが、目だけをこちらに向けている。
「ラビちゃんは置いていこう」
私が言うと、湊ちゃんは静かにラビちゃんを地面に置いた。丸まっていたラビちゃんは立ち上がり、2足歩行の兎の姿になった。
「じゃあ、行ってくるね、ラビちゃん」
私が手を振ると、ラビちゃんも短い前脚を上げた。
ラビちゃんを置いて、ジャングルの奥へと3人で歩き出した。




