第258話 16匹目の猿
湊ちゃんの主張ももっともだったし、春日井君も同じ意見だ。ボスと戦わずに下へ降りて、大統領と相談するのが最善の選択肢だった。
もちろんこの場合、猿に変えられたハンターたちを助けることはできない。
「仕方ないね。湊の言う通り、ボスを倒すのはやめておこう」
「あのハンターたちは一生猿のままなのかな?」
湊ちゃんが心配そうにしていた。
「まあ、誰かがボスを倒してくれない限り、そのままなのかも」
「せめて、食べ物だけでもあるといいけれどね」
「じゃあ、バナナ味のレーションでも置いておこうか?」
そう言って私はレーションを取り出す。これは非常食として作られた固形の食糧だ。味はバナナがベースとなっていて、形は細長い長方形をしている。
本当に置いていくつもりはなく、手に持って自分で食べようとしたが、少し目を離した隙に消えていた。
「え!? あれ!?」
私は戸惑いながら、きょろきょろとあたりを見回す。包装をはがした時にレーションを落としてしまったのかと思ったからだ。
「ん? どうしたの? 春菜?」
「いや……、今、自分で食べようと思って、フィルムを剥がしたんだけれど……」
湊ちゃんが私の頭上を指さした。
「春菜! 上! 上!」
そこには1匹の猿が逆さまにぶら下がっていた。器用に尻尾だけで枝に掴まっている。手にはレーションを持ち、美味しそうに食べていた。
猿なのに顔には黒縁メガネをつけている。左腕には腕時計までしていた。
「な!? な!?」
この猿の目は光っていない。つまりハンターたちの猿とは別物だった。
「16匹目の猿だ!」
春日井君が叫んだ。
尻尾でぶら下がっていた猿は、体を持ち上げ、両手両足を使って枝に掴まった。下に背を向ける格好になる。私から見えているのは猿のお尻だった。
「誰かが猿に変えられたのかもしれない!」
春日井君が二度目の声を上げたときだった。
異臭が漂う。
「く、くさっ……」
あまりの臭さに、私は鼻を手でつまんだ。
猿がおならをしたのだ。しかも、サイレント……。
「こ、このやろうめ……」
女子中学生には似つかわしくない言葉が漏れた。猿は「ききっ」と憎たらしい声を出し、枝をするすると伝いながらジャングルの奥へと消えていった。
「ぶっ殺してやる! 湊、エンジェル・ボウを貸して! 弓矢も!」
私は湊ちゃんに手を伸ばしたが、冷静に手で制される。
「待って、春菜。あれだって、元はハンターかもしれないんだよ」
「あ、そうか……」
「それに、あのメガネと腕時計。確実に他と違うよ」
確かに言われてみるとそうだ。まるでお兄ちゃんが勉強する時につけているような黒縁メガネに、まるでお兄ちゃんがいつも腕にはめているような腕時計。
まさか、まさかの、お兄ちゃんが私を心配してこのダンジョンに来てしまって、それで猿にされてしまって……
なんてことがあるわけない。
「はは……。あの猿。お兄ちゃんだったりしてね」
暗がりになっているジャングルの奥へと目をやった。
「春菜のお兄さん? 筑紫冬夜さんのこと?」
「いや、同じメガネだったなって思って」
「だって、ここ、ロサンゼルスだよ。来たとしても入れないでしょ? 許可がなければ」
「まあ、お兄ちゃんの恋人のミランダさんは入っているけれどね」
「え……。じゃあ……。可能性があるかも……」
湊ちゃんの言葉で、私は急に不安になった。まさか、まさかの、お兄ちゃんがここに来ていて……
そんなことがあるのだろうか……
私はダンジョンタブレットを手に持ち、通話ボタンを押す。
「お兄ちゃんに電話をかけてみる」
「うん」
少し不安そうな顔で、湊ちゃんは頷いた。
「あ、お兄ちゃん……」
音声が流れたのは留守番電話の案内だった。
『――現在、海外へ出張中です。御用の方は発信音のあとに用件を録音してください』
私は腕をだらりと垂らして、呆然とする。
「あの猿……。きっとお兄ちゃんだ……。お兄ちゃんが猿にされてしまった……」




