第257話 冬夜とミランダ
筑紫春菜や南波湊が地下170階にいるころ、春菜の兄である筑紫冬夜と、その恋人ミランダ・モリスも同じフロアにいた。
2人とも白銀の装備に全身を包んでいる。恋人同士である2人は、どこか装備も似通っていた。
ミランダが冬夜に話しかける。
「怖いですね。ダンジョンでは何が起こるかわかりません。ボスに近づいたハンターが猿に変えられてしまいました」
「ああ。だから、こいつを連れてきた」
「その猿ですね。日光で捕獲した」
冬夜の背中にはずた袋が背負われている。袋の中身がもぞもぞと動いていた。
冬夜が袋の口を開けると、中にいた猿はすかさず逃げ出そうとした。その首根っこを冬夜は掴む。
「ほら、暴れるな」
猿はひっかいたり噛みつこうとしてくるが、冬夜は上手くそれをいなしていた。猿にメガネと腕時計を装着する。
「まず、メガネ型のカメラ。そして腕時計型のDPS。これでこの階層の探索役をやってもらう」
「ドローンを飛ばしても良かったのでは?」
「春菜がメタル属性の魔法を使うんだよ。ドローンはまずい。解析される恐れがある。俺が来ていることは秘密にしておきたいし」
「秘密になんてできないと思いますよ。春菜さんは察しがいいところがあります。妹を心配した兄がやってくることも考えているのでは?」
「大丈夫。あいつはまだ子どもだ。それよりも無茶するところがあるからな。そっちのほうが心配だ。ボスを倒そうとするんじゃないかと、な。春菜がボスに向かっていくことが心配だ」
「ここのボスは倒す必要がないわけですからね」
「それを倒そうなんて馬鹿な選択をしたときのためにやってきたんだよ、俺は」
「討伐は不可能なのでは?」
「不可能ということではない。極めて難しいということだ」
「私と冬夜さん、そして春菜さんたちのみんなで挑めば可能性があると?」
「なかなか難しい。AIの解析だと勝率は0.005%。つまり、戦うべきじゃないんだ」
「春菜さんが無謀に挑んだりしなければいいのですが」
ミランダの言葉に冬夜は苦笑する。
冬夜は猿の首根っこを掴んでいた。猿はその手から逃げ出そうと、必死にもがいている。
「とりあえず、こいつに監視役になってもらおう。思い通りに動いてくれないところが難点だけどな」
「なんだか、あまり可愛くないですね、この猿」
「ずっと袋の中に閉じ込められていたからな。鬱憤が溜まってんだろう」
ミランダは猿にかけさせたメガネ型のカメラに触れる。
「そのメガネ、冬夜さんが勉強の時につけているものと似ていますね」
「ああ、黒縁だしな」
「腕時計型のDPSも」
「これは俺が普段使っているやつとまったく同じフォルムだな。中身はDPS機能しかないが」
猿はばたばたと暴れ、ミランダを蹴飛ばそうと足を飛ばしてきた。ミランダは身を引いてそれをかわす。
「危ない……。放した途端に私たちを襲ってきそうですね」
「さすがにそんなに馬鹿じゃないだろう。真っ先に逃げ出すと思うぜ」
「まあ、ただの猿ですしね」
「ああ、ただの猿だ」
なんとしても逃げ出そうと、猿はますます激しく暴れだす。
「そろそろ放すか。ほらよ……」
冬夜は猿を軽く放り投げるように飛ばした。猿はくるっと空中を一回転し、木の根っこの上に降り立つ。
憎たらしげに冬夜とミランダを睨みつけるが、襲ってこようとはしない。力関係を理解しているのだろう。
代わりに反転してお尻をこちらに向けた。ぶっと鈍い音がする。屁をこいたのだ。そのまますぐにジャングルの奥へと走っていった。その姿は見えなくなる。
「逃げ足が速かったですね」
「クソ憎たらしい猿だな。俺たちに屁をかましていった。まあ、奴にあまり期待はしていない。適当に情報収集してくれればそれでいいさ」
「それで、春菜さんたちですが」
「ああ、俺たちが降りてきた階段とはだいぶ離れた場所にいるようだな」
春菜のタブレットには見守り機能が設定されている。保護者である冬夜には位置情報が送られる。
「とりあえず春菜がボスに近づくようなことがなければ、俺たちはこのまま帰ろう」
「そうですね。戦う理由もないですし、ボスに立ち向かうこともないと思います」
白銀の装備をきらめかせ、2人は高速で移動を開始する。白い閃光だけがその場に残される。
万が一にも春菜がボスに挑もうとしたときのため、いつでもサポートができる態勢を取っておく必要があった。
わずかに空気が揺らぐ。2人がいたその場所に、葉が1枚ひらりと落ちてきた。




