第244話 春日井君と話をする
「筑紫は地下170階のボスについて、何か知っているか?」
春日井君は真剣な顔に戻り、私に訊ねてきた。
「いや、何も知らないよ。ミランダさんも166階までしか降りていないし、お兄ちゃんに聞いてもわからないと思う」
「そうか。ダンジョンWikiも奥多摩ダンジョンの情報がほとんどだし、ロサンゼルス・ダンジョンは情報がないからな」
「どんなボスかはまったくわからないけど、地下170階だからきっと強力なボスが待っている。ユカリスさんのようなドローンでもあればいいけれど……」
ユカリスさんは5つのドローンでダンジョン配信を行うライバーだ。
ドローンを飛ばせば、下の階層の調査を行うことができる。残念ながら私たちにはその装備がなかった。
「ドローンを準備しておくという考えはなかったな。ダンジョン配信をするつもりもなかったし」
春日井君の言う通り、ここロサンゼルス・ダンジョンではダンジョン配信の許可が下りていない。そのため、特別な準備はしていなかった。
「もしかして春日井君、私たち2人だけで下に降りてみることを考えていない?」
「まあ、少し考えている。南波は怖がると思ってさ。筑紫なら平気だろ? 俺は男だし」
春日井君は今この場にいる唯一の男子だった。強がっている春日井君に、私はいたずらっぽく笑みを向けた。
「ふーん。頼もしいね。でも、まだ春日井君のレベルは59だけどね」
「うるせえ。すぐに筑紫に追いついてやるさ」
春日井君は鼻を鳴らしていきがった。
「私はレベル76だよ。追いつく前に、まずは60の壁を超えないとね」
必要な経験値はレベルが上がるほどに増えていく。特に、レベル59から60になるには経験値が跳ね上がる。
「まあ、とにかく俺のレベルのことは置いておいて。今は170階を見に行くかどうかだ」
「やめたほうがいいよ。レベル59だと1撃で殺される。運良く生き残ったとしても、致命傷になる」
「そうなのか?」
「そうだよ。だから、民間組織のハンターが案内する必要があったんだよ」
「あの人たちのレベルってどのくらいだろう? 筑紫なら、ここまで戦ってきたのを見て判断できないか?」
「うーん。難しいけれど、私のレベルが76で、ランク7と呼ばれるんだけれど、同じくらいが多いかも。もっと強い人もいそうだから、数人はレベル80台のランク8だと思う。わかるのはこれくらいかな?」
「なるほど。かなりの実力者たちなんだな」
「春日井君よりは2ランクくらい上だと思うよ」
「う、うるせえ……」
「だから、ボスのいる部屋に湊を連れて行きたくはないよね。もちろん春日井君も」
春日井君は嫌そうに手を振りながら顔を歪めた。
「わかった。わかったよ。俺のことはもういいよ……。だからって、1人で行くなよ、筑紫」
「行くわけないよ。ここはミランダさんだって単独では危険な場所なんだよ。今いるこの場所だって安全じゃない。ダンジョンデバイスのマップで近くにモンスターがいないことがわかっているから、こうして呑気にしていられるんだし」
「周辺のモンスターは民間組織があらかた倒してくれたからな」
「だからまあ、あの人たちが逃げるということはないと思うんだけど……」
「時間がかかり過ぎているのがやっぱり気になるよな……」
「それでも下に行くというのはリスクが高いと思うんだ」
「筑紫はそう判断するのか。じゃあ、直接行くという選択肢はなしだな」
「そうだね。行くことはできない。やめておいたほうがいい」
いつしか私たちは声のボリュームを下げて、顔を近づけながらこそこそと話していた。
「行けないか」
「行けないね」
「筑紫と行くことも考えていたんだけど」
「もう少し成長したらね。そうしたら春日井君と行けたかもね」
「ずっと最後尾でもんもんとしてた」
「最後尾?」
私たちは民間組織の後ろを歩いてきた。そのことだ。
「欲求が溜まっていたのかもしれない」
ハンターたちが戦っているのを見ているだけで、私たちは戦うことはなかった。自分も戦いたいという欲求が募るのはよくわかる。
「だからって、突っ込むのは無しだよ……春日井君……」
私は自分でも驚くくらいにか弱い声になっていた。
170階のボスに突っ込むなんて、自殺行為だからだ。
春日井君と小さな声で話していたところ、別の場所から声が聞こえてきた。
「ツ……ツッコム……」
ミリアの声だった。振り返ると通路の角から、2人分の頭が覗いていた。
「イ……イク……交尾……欲求……突っ込む……お姉様たちはいったい何を……」
通路から顔を出すミリアを、慌てて引っ込める湊ちゃんがいた。
「ミ、ミリアちゃん……。春菜にバレるから!」
残念ながら、行動が遅い。しっかりこちらにバレていた。
バレはしたが、いつからそこにいたのだろうか?
湊ちゃんに頭を引っ込められたミリアだったが、再び顔を出した。
その目はギンギンだった。頬は興奮により紅潮していた。
「再交尾というのは、お姉様たちの交尾は初めてではないという意味……。きっと今から交尾をするところ……。ミリアは今からお姉様の交尾を目撃するのです……。すごい場面に遭遇してしまったのです……」
ミリアは完全に聞き違いをしている。
再交尾じゃなくて「最後尾」だ!
「行く」とか、「欲求が溜まって」とか、「もんもん」だとか、春日井君が紛らわしいことを言うからだ!
遅れて、申し訳なさそうな顔で湊ちゃんが頭を出した。
通路の先から目だけを覗かせている。
「ご、ごめん。春菜。ミリアちゃんが2人のことが気になるからって。私は覗き見とか良くないって言ったんだよ。寝たふりをして2人きりになろうとしたのを、知らないふりしたんだけど。ミリアちゃんが気づいちゃって。それで……」
湊ちゃんはしっかりと気がついていたのだ。スマホで音楽を聴いていたのはフェイクだった。目をつぶって寝たふりを装っていた。
湊ちゃんは手のひらを上に向けてこちらに差し出す。
「あ……、ええと……。ごめんね……。続きをどうぞ」
私は湊ちゃんに言葉を返せない。
続きもなにも。
なにもないし……。




