第3話 眠れぬ夜の
昔話。
長くなったので分けました。
今から約40年前、ステラータ国とルーナリア王国はその国境線を巡り争いの真っ只中であった。
当時まだ20代であったステラータ国国王エルハルトは、王太子として軍を率い戦場へ出ることとなった。
軍を率いるとは言っても名誉の為の上部だけであり、実際は周囲の人間が策を練り指示を考え、そうして用意されたセリフを厳かに口にするだけの仕事であった。
天幕の中にわざわざ持ち込んだチェス盤を挟み、従者のアランと会話を交わす。
「これは楽でいいが暇だな。おいアラン、何か面白い話はないのか」
「10分前にも同じことを聞かれましたね。戦場に面白い話がそういくつも転がっているわけないでしょう」
「わかっている!でも暇なものは暇なんだ!」
「大人しくしていてください。貴方が後方で見守っていることで兵たちの士気が上がるのです」
「……くそっ」
そんなこと言われなくても分かっている。守られるべき将が前に出ることがあってはならない。
でも私だって幼少の頃より騎士団長に稽古を付けてもらい、この国では5指に入る実力だという自負がある。だからこそ、こんな後方で全てを人に任せ戦局を見ているだけというのが悔しくてならないのだ。
王太子だからとなぜ守られてばかりいなければならない?敵陣に飛び込み颯爽と首を取ってくる王太子がいてもいいではないか!
つい力が入った手元でルークがギシリと音を立てた。
「ああ、そういえば1つ、かなり誇張されているのだと思いますが興味深い噂がありました」
「……何だ?」
「なんでも、敵方にはどれだけ打たれても倒れない岩のような体を持つ男がいるのだとか。その拳は地面を割り、その体は何者をも跳ね返すらしいですよ」
「は?そんな人間いるわけないだろう」
「まあそうなんですけど。うちの兵には本気にする奴がそれなりにいるようで、頑健のモルドーと言えば皆避けたがるそうです」
「そんな噂に踊らされるなど、我が国の兵として情けないにも程がある。どうせルーナリアがこちらを怯ませようと流した嘘にすぎん」
「だから最初に誇張されてると思うって言ったじゃないですか」
「ふんっ」
国境にある大きな平原で敵を迎え撃つこととなり、陣を構えたのが1週間前のこと。
両国の陣が形成され睨み合いからの膠着状態になってしまっている。
小競り合いはあるものの、大きな衝突にはならない。
「どうせ今日もこのまま動かないだろう。私はテントに戻る」
「戻るのはいいですけど寝ないでくださいよ。夜寝られなくなっても知りませんからね」
「わかってる!」
アランは私の乳母の息子で、本当の兄弟のようにして育ってきたからか王太子であるこの私に遠慮も何もない。
「全く、私のことを何だと思っているんだ。幼い子供じゃないんだぞ」
王太子用に用意されたテントは大きく、簡易だが質の良いベッドも置かれている。
思い通りにいかないことばかりで苛立っていた私は、傍に置かれていた兵法書を手に取り眺め始めると、幾ばくもしないうちに夢の中へと落ちていったのだった。
気がつけば既に夜も更けて、テントの中は真っ暗になっていた。夕食の時間も忘れて寝てしまっていたことに羞恥を覚える。
これは明日、アランに間違いなく嫌味を言われる。
もう一度寝直そうにも数時間しっかり寝てしまったせいで眠気など欠片も残っていない。それに空腹を訴える腹をこのままにして寝付けるとも思えなかった。
「よし」
そうとなれば行動あるのみだ。
さっと支度を済ませてテントの外の気配を探る。王太子のテント前だから巡回の回数が多いはずだ。鉢合わせるわけにはいかない。
入り口の前を通る足音が去って行ったところでそっと顔を出して辺りを伺う。大丈夫そうだな。
まずは糧食を置いてある場所へ向かう。
王太子用に用意されている新鮮な食材の方が美味しいのは確かだが、そこは警備が厳重だし1つでも失くなればすぐに気付かれる。
しかし一般兵用の糧食は夜中に摘む者がいるのは暗黙の了解であり、1つや2つ減ったところで目くじらを立てる者はいない。もちろん見張りの目も緩いものだ。
糧食の硬い、それはもう歯が折れるんじゃないかと思うくらい硬いクッキーのような物をいくつか拝借して、私は陣地を抜け出した。
ここから少し離れた先、草原の端にある国境を形作る山脈の裾の森。そこには少し入った所に小さな湖があるのだ。
真夜中の脱走劇に少しテンションが上がっていた私は、月夜の散歩に洒落込もうとそこまで足を延ばすことにした。
足取りも軽く湖に着いた私は、周囲の枯れ枝を集め火をつけ、そこに持ってきた鍋を置いた。さすがに湖の水を使うのが良くないことはわかっているので持参した水袋の水をそこに入れ、沸騰したら糧食も入れてしまう。
しばらくすればふやけた糧食から味が染み出し、即席スープの完成だ。まあ、野営でよく行われる調理法である。
日から下ろして少し冷まし、鍋から直接食べようとしたその時、背後の茂みから音がした。
「誰だ!」
誰何の声を上げると、暗闇から1人の男が出てきた。
「いや、すまん。暇だったんでちょっと散歩してたら明かりが見えたもんでな」
火の光に照らされる位置まで出てきた男は、どうやら傭兵のようであった。一本の太い剣に革鎧のみという武骨な出で立ちだが、案外顔は悪くない。
「それ飯か。良かったらちょいと分けちゃもらえねえか。お貴族様達がこっちへの食料をケチるもんで腹減ってんだ」
「……そうか、だが食器は私の分しかないからな、私が食べた後でよければ分けよう」
「おお、恩に着るぜ」
男はさも嬉しそうに、湖に向かう私の人1人分空けた隣に座り込む。
彼は恐らくルーナリアに雇われている者だ。そしてたぶん彼も気付いている。私がステラータの貴族であることに。
しかし私たちはお互いにそれを口にしようとはしない。何故だろうか、本来ならこの場で斬って捨てるべき相手を前にしても、そうしようとは思えなかった。
むしろ穏やかな心持ちで、相手を眠れぬ夜の供に受け入れたのだ。
その夜は無言でスープを啜り、暫く湖を眺めた後どちらからともなく立ち上がり陣へと戻っていった。
森を抜けた後、やはり彼とは同じ道を歩むことはなかった。
翌日、夜中に腹を空かせてしまった私はまたもや糧食を掠めて湖へとやってきた。
昨夜と同じくスープを準備をしていると、背後からやってくる男がいた。
そいつは湖に向かう私の人1人分空けた隣に座り込むと無言で器を差し出した。
「なんだ、準備がいいじゃないか」
「だろう?あんたはきっと今日も食わせてくれるだろうと思ってな」
私は昨日よりも多く取ってきた糧食を鍋に入れかき回し、男の差し出す器に半分写してやる。
「適当に取ってきたら昨日よりも多くなってしまった。ちょうど私1人では食べきれないと思っていたところだったんだ。お前は運が良い」
「……ははっ。そりゃあ良かった!」
「ふは、己の運の良さに感謝して食べることだ」
そこからは昨日と変わらず、私たちは無言で湖を眺めてから帰路に着いた。
夜中の散歩も3日目となると慣れたもので、危なげもなく湖へと辿り着いた。
枯れ枝を集め鍋を火にかける。そうしていると背後からやってきて私の人1人分空けた隣に座る者がいた。
「今夜の俺の運はどんな感じだ?」
「そうだな、今日もどうやら運が良いらしいぞ。昨日と同じくらい手に入ってしまった」
「くははは!運が良いに越したことはないからな!」
「ああ、運の良さに感謝しろ」
男の差し出す器に半分を移し、この2日続けたように無言で食べる。
暫く湖を眺め、今日も戻るかと思った時、隣の男が口を開く気配がした。
「どうやら明日は動きそうだな」
主語がなくても分かる。これは今の膠着状態に陥っている戦局のことだろう。たしかに明日には動きそうだとアランから報告を受けている。
「それがどうした」
「俺ぁよ、己の運ってやつに感謝してるわけよ」
「……」
「あんたのこと、気に入ってるんだ。だからよ、俺が行くまで死ぬんじゃねえぞ」
男は笑っていた。
「ははっ、お前こそ、雑兵なんかにやられるなよ」
「誰に言ってやがる」
「「お前を倒すのは私(俺)だ」」
目を見れば分かる。私たちはあの瞬間、同じ気持ちだった。
血湧き肉躍るような奇妙な興奮と、対等に戦う友を得た喜び。
明日には彼の名を知れるのかと思うと、どこか寂しいような気もした。
視線を交わしたのを合図に、私たちは立ち上がった。きっともう、あの湖に行くことはないだろう。




