第2話 銀の君
突拍子もない発言に凍りつく室内の人間を気にせず、彼は私を見てにっこりと笑う。
こんな美形の人間を見たのも、ましてや微笑まれたのは初めてで、さすがの私も状況を忘れてドキッとしてしまった。不覚。
そうして誰も動けない中で彼は颯爽と机に近づいたかと思うと、おもむろに誓約書を取り上げ真っ二つどころか粉々になるまで破り割いたのだ!
「きっ、貴様!!何をしている!!!」
そこでやっと我に返ったのか、伯爵が肥え太った体を揺らしながら立ち上がって銀色の彼に指を突きつけた。
「誰だ貴様は!!ここがどこだかわかっているのか!無礼者め!!!」
「私は彼女の許婚ですよ、バウワー伯爵」
「「えっ」」
思いもしない言葉に私とお父様が同時に驚きの声を上げた。
念のためチラッとお父様の方を見るとものすごい勢いで首を横に振られる。どうやらお父様も知らないらしい。
そんな私たちに気付かぬ様子で伯爵がなおも喚き散らしている。
「馬鹿なことを言うな!!!そんなやついないことは知っているんだぞ!!」
彼は伯爵から目をそらし、眩しいほど完璧な笑顔を浮かべて私とお父様に向かって礼をする。
「お初にお目にかかります、フィオーレ男爵、ミュリエル嬢」
その優雅で洗練された所作は、高位の貴族であると一目でわかるものだ。
「こちらの事情でご挨拶が遅れましたこと、お詫び申し上げます。許婚として、ミュリエル嬢をお迎えに上がりました」
私とお父様はもう目を白黒させるしかない。頭の中は大混乱だ。
しかしさすがは年の功。先に正気に戻ったお父様が声を上げる。
「お、お待ちください。ミュリエルには許婚などおりません。それに貴方のことも私共は存じ上げません」
それを聞いた彼は少しキョトンとして、やっと今気が付いたかのような顔になる。
ちょっと可愛かった。
「……ああ!気が早ってしまい名乗りを失念しておりました。私はユリウス・ステラータと申します」
相変わらず綺麗な所作と完璧な笑顔。しかし私たちはそれどころじゃない。
「ユリウス…ステラータ…って、えええええええ!???」
「まさか…ステラータ国の王太子殿下…!?」
「なっ…!こんな田舎に隣国の王太子がいるはずない!!王太子の名を騙る偽物に決まっている!!!」
その名前は誰もが知っているものだった。隣国ステラータ国の王太子であり、我が国でも若い女性を中心に大変人気のある『銀の君』だ。絵姿を持ち歩く人もいるらしい。
室内は混乱一色。伯爵は怒鳴り散らすし、伯爵のお付きの人達もザックも右往左往している。お父様なんて今にも卒倒しそう。
「ユリウス王太子殿下!その、何かの間違いだと思いますわ!先ほど父が申したように、私には許婚なんておりません」
「いいや、君で間違いないよ、ミュリエル・フィオーレ男爵令嬢」
「ですが、父も私も何のことだか…」
「もしかして、お爺様から何も聞いていないのか?」
ここに来て初めて困ったような表情になるユリウス殿下。
「お爺様…?」
私のお爺様、先代フィオーレ男爵は現在悠々自適な隠居生活を送っている。それも山の中で。
お爺様が山から下りてくることは滅多になく、必然的に交流もほぼ途絶えている。だからと言ってお互いに疎んでいるとかいうことはなく、会えば孫を可愛がってくれる良いおじいちゃんだ。
昔は伝説と共に黒歴史を量産していたらしいが、誰もが口を閉じるので詳細は知らない。
そんな変わり者が何をしたと言うんだ。
「どうやら初めから話す必要がありそうだね。ご家族も含めて落ち着いて話せないだろうか?」
「は、はい。わかりました!」
この方が本当にユリウス王太子殿下ならば、優先順位はもちろん最上位だ。お父様と一緒に伯爵を言いくるめて本日はお帰りいただくことになった。
「この私にこんな扱いをして許されると思っているのか!!!男爵風情が!!!覚えていろ…!!」
最後まで騒がしく、サラも呼んで総出で馬車に押し込みなんとか帰すことに成功した。
「「「「はあ〜〜〜〜〜」」」」
私とお父様、ザックとサラのため息の四重奏玄関ホールに響き渡る。
「大変なことになったな」
「ええ、大変なことになったわ。サラ、お客様にお茶をお願い、お父様はお相手をして時間を稼いで。私はお母様とカールを呼んでくるから」
「なるべく早く戻ってきてくれ」
「もちろんよ。それとザックはお爺様をお呼びして。…どうやら原因のようだから」
「……はい、かしこまりました」
ため息四重奏が再び響いたところで、各自行動を開始した。
「お待たせいたしました」
お母様とカールを連れて応接室に戻ると、ニコニコしたユリウス殿下と緊張しすぎて固まっているお父様が向かい合っていた。
部屋の隅で気配を消していたサラからは助かったと心底安堵した表情を向けられた。
改めて全員の自己紹介をし直したところで本題へと移る。
「本日は、先ほども申し上げた通り許婚であるミュリエル嬢を約束に従い迎えに参ったのですが、どうやら手違いがあったようで」
「私共といたしましても、先代男爵からは何も聞いておりませんで、詳細の方をお聞かせ願いたいのですが」
「ええ、もちろんです。何も知らなければさぞ混乱されたことでしょう」
そうして語られたのは突拍子もない、けれどあのお爺様ならやりかねない1つの物語だった。




