第六十八話:名古屋方面開発計画その十
陽一さんが牡蠣を持ち帰り、それからさほど待つことなく夕飯の準備ができそうだと藤崎さんが連絡に来た。
「これを焼いてほしいんだが金網は持ってきているよな」
「もちろんです。それで……この物体はその、なんなのでしょうか?」
「人生観が変わるほど美味い食い物だよ――」
怪訝な顔をしている藤崎さんに、陽一さんは得意げに牡蠣の美味さを語っていた。
牡蠣は好き嫌いが激しいからどうなるかは分からないが、今のこの時代、海は恐ろしく清浄だろうし、獲りたてホヤホヤで超新鮮なのは間違いないし、夏牡蠣だからと言って貝毒や食あたりのリスクは限りなく低いだろう。
まぁ、俺には貝毒の知識なんてないし、当たったら当たったで運がなかったということだ。
ひどく他人事のような考え方だが、この時代の人間はそう簡単には死にはしない。
というか死ねない。
だから気にするだけ損なのである。
「夕飯の準備も終わりそうだしそろそろ行きますか? 俺も牡蠣は大好物だし」
牡蠣について講釈を垂れていた陽一さんに催促した。
俺も早く食いたいのだ。
今日は時間もないからと、海の幸を完全に諦めていたが、目の前に大好物をしかも大量に持ってこられたのだから我慢なんてできようはずがなかった。
貝毒にあたるかもしれないなんてことは頭の隅にでも追いやって小さく丸めてポイだ。
あの芳醇で濃厚な味を心行くまで愉しみたい。
「へぇ、空がそんなに食べたそうにしてるのならわたしも食べてみようかな」
「貝毒にあたって気分わるくなったらゴメンだけど、ぜひとも食べてみることをお勧めするよ。毒なんて怖くない。そう思えるくらいに美味いんだ。それこそ中毒になるほどにね。苦手な人もいるけど」
最後の方だけ声が小さくなってしまったが、実際に牡蠣が大嫌いな人はいたのだから仕方がない。
俺には彼らの味覚をまったく理解できないし、しようとも思わないが。
そんなことは置いておくとして、毒にはやはりあたりたくないから、今の時代の綺麗な海に貝毒になる成分が漂っていないことを祈ることにしよう。
と、そんなことを考えていたら、一花が何を言おうかと迷っているような感じだった。
「一花ちゃん、どうしたの?」
「空様がそこまで言うなら私も食べてみようかなって考えてたの。お父様が言うことはあまり信用できないけど、空様が美味しいって力説するくらいだから。でも食あたりはちょっと嫌だなと思って」
「あはは、そんなに気にすることないよ。今の時代の海は綺麗だし、もしあたっても俺が看病するから大丈夫」
俺自身もあたってしまったら果たして一花を看病できるのか?
なんてことは考えないことにする。
これがフラグになってはたまらないからだ。
「――でも、希美ちゃんだけは食べたらダメだからね」
そんなことを考えていたら、陽一さんが希美花さんに注意していた。
注意された彼女は悲しそうな瞳で陽一さんに訴えかけていたが、そういえば希美花さんは妊娠中だったはずだ。
着ているいつものゆったりした服のせいかお腹はあまり目立ってないけど。
「そんな目で見てもダメなものはダメ。もしお腹の子に何かあったらどうするんだ」
「はぁ、わかったわ陽一君。今回だけはあきらめてあげる。この子のためだものね」
お腹をさすりながら悲しそうにそう言った希美花さんが可哀そうに思えたが、今回だけは仕方がないと俺も思った。
とまぁ、こんな経緯で夕メシになったわけだが、ひさしぶりに口にした牡蠣の美味さはそれはもう絶品の一言に尽きた。
バチバチと炎にあぶられ、貝殻の中で湯だつように踊る牡蠣からは、至高の香りが漂ってくる。
その香りは潮の香りとも相まって俺の胃袋を刺激して止まなかった。
冬になったらもっと美味くなることは間違いないし、今から楽しみで楽しみで仕方がない。
「こんな味があったなんて……試さないともったいないですよ。一花様さま」
「ううっ、遥さんがそこまで言うなら私も……」
焼き牡蠣を至福の表情で味わっていた遥は、食べようか食べまいか迷っている感じだった一花にも食べるように勧めていた。
当の一花は遥や俺たちの幸せそうな顔を見て悩みに悩みぬいた末、目をつぶって焼き牡蠣をその可愛い口へと放り込む。
「あふッ! ……」
熱々の牡蠣を冷ますことなく勢いよく口に放り込んだ一花は、相当熱かったのだろうか言葉になっていなかった。
が、その直後目を見開いたかと思うとすぐにそれを閉じて黙々と咀嚼していた。
語らずともそれが美味であることを顔全体で表現している。
それを見て安心した俺は、まだ焼かれていない牡蠣へと手を伸ばす。
「生でも食べられるの?」
俺の行動を見て目を丸くした遥に、俺は自信満々に答える。
焼き牡蠣には抵抗がなかったは彼女も、生には抵抗があるようだ。
普段生食をすることが少ない今の時代では当然の感覚なのかもしれない。
現に、生牡蠣を食べていいるのは俺と陽一さんだけである。
「もちろんさ。ほら、アレを見てみなよ」
そう言って生牡蠣を咀嚼している顎をしゃくってみせると、その先には生牡蠣をすするように、そして美味そうに平らげていく陽一さんと、その様子を羨まし気に眺めている希美花さんの姿があった。
「わたしもやってみようかな」
少しおっかなびっくりにそう言った遥をしり目に、俺の横から白くしなやかな手がスッと出て生牡蠣をつかんだ。
さっきまであれほど躊躇していたのが嘘のような変心ぶりだが、それは間違いなく一花の手だった。
驚いた俺が横に振り向くと、そこには迷うことなく生牡蠣を口にする一花がいた。
「どう、美味しい?」
「……ええ、とても美味しいわ」
のど越しを味わうように余韻を残してそう言い、満足げな笑顔を見せた一花は、次の牡蠣へと手を伸ばした。
それを見ていた遥も我慢できなくなったのか、意を決したような表情で生牡蠣に手を伸ばし、ゴクリと生唾を飲みこんでそれを口に運んだのだった。
翌朝、いつもとは違う潮の匂い起こされたわけだが、昨日牡蠣を食べていた人は元気そうな顔をしていた。
遥と一花はまだ眠そうだったから、昨日寝る前に話し込んだのかもしれない。
それはおいておくとして、幸いにもフラグは見事にへし折られた。
牡蠣にあたった人はいないようだ。
「お早うございます」
「お早う、空君。昨晩話したとおり、場所探しは君に任せていいんだよね」
そう言って陽一さんは申し訳なさそうにしていた。
昨晩牡蠣をたらふく食った後、俺たちは調査班の人も交えて今日の予定を話し合っていた。
そこで俺はこう提案したのである。
『漁村にしたい場所は俺が海側から探します。だからその後の調査はお任せしていですか』
結局この提案は受け入れられることになった。
それが一番効率がいいからだ。
一応西側の海岸沿いをかなり遠くまで調べてというか、牡蠣を探しに行った陽一さん曰く、西側は岩礁だらけで港に適した場所はなかったらしい。
「じゃぁ行ってきます」
「えっ、もう行くのかい? せめて朝食が済んでからにしなよ」
「いえ、朝メシまでには戻ってきますから、俺の分も準備しといてください」
「じゃぁ任された。君に言う必要はないと思うけど気をつけて」
「わかりました。絶対に良い場所を見つけてきますよ。一時間後くらいまでには戻りますから」
そう宣言した俺は、呆れ顔の陽一さんを置き去りにして飛び立った。
現在地は過去の地図によると滋賀県の長浜市辺りだ。
地図上の琵琶湖の形状を見ると、ここから少し東に進めば湾状の港にできそうな地形があった。
ちょうど彦根市のあたりだ。
地形が大きく変動している場合があるので地図をそのまま鵜呑みにすることはできないが、どのみち西側に飛ぶよりは発見の可能性が高い。
そんなことを考えながらしばらく飛んでいたら、予想どおりと言い切る自信はないがちょうど良さそうな湾状の地形が見えてきた。
予想どおりと言い切れないのは、東に飛んでみてわかったことだが、琵琶湖沿岸の地形は残っていなかったからである。
たまたま湾状の地形がそこにあっただけだ。
「ちょっと降りてみるか……」
湾状に窪んだ一番奥。
そこにはちいさな砂浜があってその奥が森になっている。
森の中が山だったり大岩がゴロゴロしていたら漁村には適さないが、パッと見は平地のようだ。
「でもその前に、念のために確認しておくか」
そう独り言ちて森の上を旋回してみる。
地面は見えないが、まず山ではない。
そして大きな岩も確認できなかった。
後は実際に森の中に入って平地であることが確認できれば漁村を造るのはココでいいと思う。
そう思って森に分け入ってみた結果、木々の密度が高く空を見ることはできないが、平地であることに変わりはなかった。
「大変かもしれないけど……伐採と整地の人に頑張ってもらおう。でもとりあえずココは保険かな」
もしかしたらまだいい場所があるかもしれない。
そう考えた俺はここでの調査を一旦切りあげ、さらに東に向かって飛んでみたが、結果は芳しくなかった。
これ以上東を調べてもし良い場所があったとしても、そこまでの道を造るのが大変そうだ。
さっきの場所まで道を通すのが簡単だとも言えないが……。
ひととおりの調査を終えた俺は、皆が待つ場所へと空を急いだ。
体感でだが、時間はまだ一時間くらいしか経っていないから少し遅れるかもしれないが、まだ朝メシには間に合うはずだ。
そう思って戻ってみると、拠点が何やらあわただしい雰囲気になっていた。
「何かあったの?」
「あ、お帰りなさい。空」
近くにいた遥に聞いてみたら、ちょうどそのとき海から海パン姿の男たちが上がってきたところだった。
しかも腰には魚をつり下げている。
俺がいない間にどうやら一戦やらかしたらしい。
先頭にいるのは陽一さんだ。
昨日のうちに何本かモリを渡しておいたのが間違いだったか。
なんてことも考えたが、俺にそれを止める権利はないし、朝から美味い塩焼きが食えるのだからここは我慢しよう。
というのも、せっせとモリを作った身としては、俺自身が一番に獲物をしとめたかったという些細な願望があったからで、特段気に病むようなことではない。
それでも……。
「ズルいですよ、陽一さん。一番モリ突きたかったのに」
笑ってそう声を掛けたら、陽一さんは水滴が滴る爽快な笑顔を見せてくれた。
「いやぁ、悪い悪い。一時間もあったからヒマを持て余してね。兵たちもやりたそうだったから。でも、戦果はあったよ。どうだい、スゴイだろう」
そう言って陽一さんは腰に下げていた大きな魚を見せてくれた。
五十センチはあるだろうか。
よく見ると兵たちの何人かも、サイズはばらばらだが同じ魚を腰に下げている。
他の何人かは、モリの先に魚が突き刺さっていた。
その魚は俺も前に仕留めたことがあるメジナだった。
「たしかにスゴイっすね。でも、ありがとうございます。朝から塩焼きが食えるなんて思ってなかったですから」
「そう言ってくれると嬉しいね。で、調査の方はどうだったんだい?」
「ココから東に五キロ弱進んだところに良い場所がありました。森の伐採は必要だけど、小さな砂浜もあったし、脇の岩場を工事すれば停泊場も造れそうでしたよ」
「それは良かった。皆も喜ぶだろう」
陽一さんとそんなことを話していたら一花から声を掛けられた。
「お疲れさま、空様」
「ただいま、一花」
「朝ごはん、できたみたいだけどもう少し時間がかかりそうですね」
調理場のほうを見てみると、女衆たちが炊き上がったご飯を茶碗によそおうとしているところだった。
味噌汁の準備もできているようだ。
「冷めちゃうから、ご飯よそうの少し待ってもらったほうがいいみたいだね」
「たしかに、そうしたほうが良いみたいですね」
男衆が腰に下げている魚を一瞥した一花は、そう言って調理場へと駆けて行った。
遥も遅れて彼女に続く。
「あはは、彼女たちには悪いことをしてしまったかな」
「そんなことはないでしょう。彼女たちも朝メシが豪華になることは歓迎してくれるはずですよ」
「そうだといいんだが」
すこしバツが悪そうにそう言った陽一さんは、魚を手にした兵たちを集めて調理場へと急いだのだった。
俺は陽一さんたちが女衆に魚を渡すのを見ながら、ひとり海辺で物思いにふける。
振り返って考えてみればこの時代にまきこまれてから今まで、ただただ突っ走ってきたような気がする。
とりあえず今回の俺の役割は果たしたようなものだし、仕事は他の人に任せて今日から数日間は思い切り羽を伸ばしてみよう。
そのほうが一花も遥も喜ぶだろうし、それくらいは皆も見逃してくれるだろう。
「よーし、今回は思い切り楽しむとしようか」




