第六十九話:名古屋方面開発計画その十一
調理場の方から魚が焼ける香ばしい匂いが漂ってきた。
少しおいて、女衆から声がかかる。
「朝食の準備ができましたよー!」
小さめの魚は塩焼きにされ、大き目の魚は綺麗な刺身になっていた。
今回はワサビももちろん用意してある。
今の時代、ワサビは高級品であり和国からの輸入に頼るしかなかった。
だからワサビは一般人にはなかなか手が出せない代物なのだが、そこはそれ、貴族としての財力とコネを使えば割と簡単に入手できた。
「塩焼きも旨いけど、ワサビの効いた刺身はたまらないっすね」
「いやぁ、ワサビまで用意しているとは、心得てるねぇ。空君は」
「当たり前じゃないっすか。海に来ることは分かってたんだし、刺身を美味しく食べるのもここに来た目的のひとつでもあるんですから」
陽一さんも俺と同じくワサビの効いた刺身に満足そうだ。
横を見れば、一花も遥も希美花さんもうっとりとした表情で刺身を堪能しているところだった。
一花と希美花さんは身分的に刺身をワサビで食べることがあると聞いていたし、遥は実家が食堂だから過去に何度か食べたことがあるらしい。
「藤崎さんもワサビで刺身を食べたことあるんですか?」
美味そうに食べていた藤崎さんに聞いてみた。
「年に一度くらいですかな。しかし、これほど新鮮で美味い刺身ははじめてですなぁ」
と、ここまでは美味そうに刺身を食べていたわけだが、その他の面子はなかなか手を出そうとはしなかった。
少し遠慮がちなのは気になるが、塩焼は美味そうに食っているのにだ。
「みんな、どうして刺身に手をつけないんすかね? 前に一緒に来た人たちは美味しそうに食べてたのに」
「あはは、生ものだからねぇ。いくら新鮮だと分かっていても、度胸がいるんじゃないかな。あるいは――」
俺の疑問に答えてくれたのは陽一さんだったが、いつものように長くなったので要点をまとめると、漁業を営む者が居ない大公国では、刺身を食べたことがあるのはよほど身分が高い階級の者か、和国出身者に限られるそうだ。
要するに、生食の文化が無いと言ったら言い過ぎかもしれないが、とにかく大公国では一般階級の者たちの間に刺身を食する習慣はほとんどなく、刺身は貴族階級の者たちが食べるものという認識があるのではないかということらしい。
前回ココに来た時は、たしかに同行者に和国出身者がいて、その人が率先して食べていたから皆も倣ったということだろうということだ。
ということは、兵たちの誰かが手をつければ皆も食べてくれるはずである。
「藤崎さん、せっかくの場ですから兵士の皆さんにも刺身を勧めてもらえませんか? 皆遠慮しているみたいだし」
「なるほど、皆が箸をつけぬのはそういうことだったか」
どうやら藤崎さんも俺と同じような疑問を持っていたようだ。
悪い意味で言う訳じゃないが、藤崎さんみたいな元々貴族階級の者には俗に言う平民の感情は分かりにくいのかもしれない。
「この場では一介の兵士であろうと遠慮など要らぬ。身分など気にせず食事を楽しみ、すべての料理を食すがよい。この刺身もまっこと美味であるぞ」
本来なら一花か陽一さんに促してもらおうかとも思ったが、逆に委縮するのではないかと考えて藤崎さんに頼んだら、兵士の人たちも調査員の人たちも恐る恐るではあるが、刺身に箸をのばしはじめた。
そして咀嚼した瞬間、皆の顔に笑みが灯るのがありありと分かった。
大義名分はどうあれ、せっかく皆でバカンスに来たのだ。
存分に楽しんでいって欲しいというのは偽らざる気持ちだった。
開けて翌日、俺は朝早くから調査隊の皆を昨日見つけた場所に案内した。
全員を連れて飛ぶことはできないから、陸路を案内したわけだが、帰りは飛んで帰って来たのでまだ午前中のうちに陽一さんたちに合流することができた。
この場所に残っているのは高科家の者達と俺と遥だけだ。
藤崎さんと兵三名が残って俺たちのというか、主に妊婦である希美花さんの護衛にあたっている。
「さぁ、存分に楽しもうか」
俺はハーフパンツの海パンに着替えて釣り道具一式とモリを持ち、皆が待つ海辺に急いだ。
そこには大きな白いパラソルの下に芦の御座を敷いて優雅にくつろぐ希美花さんがいて、藤崎さんたちがその周りを固め、陽一さんは俺と同じような海パン姿で準備運動に励んでいる。
藤崎さんたちも雰囲気を壊さないためだろうか水着姿だ。
帯刀はしているが……。
「スゴク可愛いよ。それ、地下街で見つけたヤツじゃない?」
「ありがとう空。そうよ、一花様にも差し上げたの」
日に焼けてはいないが、健康的で張りのある肢体を申し訳なさそうに隠している白いビキニ姿の遥が眩しい。
対して、薄いパステルグリーンの水着を身につけた一花は、透き通るような白い素肌も相まって精霊とか妖精を思わせる美しさだった。
「そんなに恥ずかしそうにしていないで一花ちゃんもこっちにおいでよ」
「似合ってるかなぁ……」
「うん、とっても似合ってる。」
恥かしそうにモジモジしている一花の何と可愛らしいことか。
このままどこかに連れ去って、いけないことをしてしまいたい衝動に駆られたのは彼女たちには黙っておこう。
「俺はコレから潜るけどふたりはどうする? 釣り道具なら持ってきたけど」
「空がせっかく用意してくれたんだから、わたしは魚釣りしようかな」
「どうしようかな。私も潜ってみたい気はするけど、魚釣りもしてみたいし……」
いつもは自信に満ちた感じの一花も、今日はしおらしく迷っている。
そんな彼女をずっと見ていたい気もするが、せっかくだからと釣りを勧めることにした。
「ふたりで勝負すればいいよ。より大物を釣った方が勝ちだ。勝った方には何か好きなものをプレゼントでもしようかな」
俺がそう言ったとたん、一花の口の端が吊り上がったような気がした。
うつむき加減にしているから良く見えないが、モジモジと恥ずかしそうにしていた雰囲気が消え去っている。
遥の方も目に闘志をみなぎらせているのが分かった。
「分かりました。約束ですよ。さぁ遥さん、勝負です」
顔を上げた一花は、まるで言質を取ったと言わんばかりに瞳を輝かせ、遥に向かって宣言した。
が、遥も負けていない。
「受けて立ちましょう。たとえ相手が一花様でも、この勝負だけは譲れません」
バチバチと視線がぶつかり合ってふたりの闘志が伝わってくる。
下手な約束しちまったかな。
なんてことも頭をよぎったが、彼女らが楽しんでくれればそれでいいと俺は思った。
「エサは岩にへばりついてる貝とか岩場にいる虫を使えばいいから」
「虫は気持ち悪いから貝を獲ることにするわ。さぁ遥さん、行きますよ」
「ええ、望むところです」
闘志をみなぎらせているふたりを見て、俺の気分も盛り上がってきた。
ふたりに釣り道具を渡し、俺も軽い準備運動をして海に入ろう。
そう思っていたら、陽一さんが声を掛けてきた。
「空君はこれから魚突きかい?」
「はい。今日は少し沖の方まで行ってみようかと」
俺がそう答えたら陽一さんの目が輝いた。
「ほう、大物でも狙うのかい?」
「もちろんそれもありますが、深いところに潜ってみようかなと」
「なるほど。それは楽しそうだね」
「陽一さんも一緒にどうですか?」
「いや、今回は遠慮しておくよ。僕はこれから牡蠣を獲りに行こうと思っているんだ」
「陽一さんも好きですねぇ。期待してますよ」
「はははは、期待に添えるように頑張るとするか」
そう言って陽一さんは西に向かって歩き出した。
陽一さんを見送った俺はモリを右手に持ち、腰には獲物をつなぎとめるための細めのロープを携えて空へと舞い上がった。
陽一さんにも答えたとおり、今回は海の深いところに潜ろうかと思っている。
そのためには沖に出る必要があるのだ。
とは言っても水深百メートルも潜ると何も見えなくなるだろうし、水圧も半端ないだろう。
だから潜るのは陸からそんなに離れてはいない沖だ。
そんな理由で俺は高速で西へと向かって飛んだ。
向かう場所は日本海。
そこがかつての日本海と同じ生態系だとは思わないほうが良いかもしれないが、魚種が減ったとか魚が少なくなったとかは無いはずである。
水中は地上より”気”の影響が少ないから、地上ほど生態系が変っているとは思わないが、それでも二十一世紀の常識は捨ててかかったほうがいだろう。
狙いはもちろん大型魚。
とは言ってもマグロとかブリとかは泳ぐのが早すぎて突ける自信がない。
だから根魚か、海底に住む魚を突こうと思っている。
「この辺りでいいかな」
特に理由はないが、しばらく西に飛んだところで一度潜ってみることにした。
海岸線からは数百メートル沖に出た場所だ。
「よし、いっちょ行くか!」
そう言葉にして踏ん切りをつけ、空気を目一体吸い込んで勢いよく頭から海中へとダイブする。
いざ水中に入ってみると、さすがに海底をはっきり見ることはできなかった。
が、ままよとそのまま潜り続ける。
すると、しばらくして青白い海底がはっきりと見えてきた。
感覚的なもので自信を持って言えることではないが、水深はおそらく五十メートルを超えたあたりだろうか。
海底はゴツゴツした岩が砂地から顔を出し、岩にはサンゴみたいなものが密集していた。
岩場の傍にはもちろん大小さまざまな魚も泳いでいる。
海底に近づき、まばらに海藻が生える足元の砂地を見下ろしてみれば、俺が近づきすぎたからだろうか砂煙を上げて何かが飛び出し、一目散に逃げていった。
しかもかなりデカイ!
確実に俺より大きい。
しかもあの平べったい形はヒラメだろうか。
俺は反射的にそれを追いかけた。
海底から跳躍するように素早く泳いて着地し、砂の中に姿を隠す。
俺が近づくと、勢いよく砂の中から飛び出して逃げる。
その泳ぐ速度は俺より明らかに早かった。
何としてもあの魚を突いてやる。
そう思ってしばらく追いかけっこを続けてみたが、ついには息が苦しくなり断念せざるを得なかった。
が、諦めることなんてできない。
俺は最後に獲物が姿を隠した位置を覚え、一度海面へと浮上したのだった。
「あれはヒラメかカレイだよな。意地でも仕留めてやる」
海面から顔を出し、荒い息づかいでそう独り言ちた俺は、どうやってあの獲物を仕留めたらいいか考えた。
泳ぐ速度は俺よりも明らかに早かった。
まともに追っていては絶対に逃げられる。
気付かれずに近づくいい方法はないだろうか?
「普通に近づいてもダメだよな……」
俺の目では分からなかったが、アイツは砂地から目だけを出して周囲を窺っているはずだ。
ということは、無策で泳いで近づいても見つかって逃げられてしまうだろう。
俺が透明になれれば何とかなるかもしれないが、当然そんなことはできない。
ならば……見つかることを前提として作戦を考えねばなるまい。
水面から顔を出し、波に揉まれながらもプカプカ浮いてしばらく考えてみた。
見つかって逃げられるのは仕方がない。
ならば、俺に向かって飛び出させることはできないだろうか、前にイノシシを”気”で誘導したみたいに……。
いや、あの速度で突っ込んで来られても動きが鈍る水中で正確に突くことは難しいかもしれない。
が、やってみる価値はあるだろう。
他になにか方法はないだろうか。
あまりのんびり考えている余裕はない。
あの魚がいつまでもあの場所に潜っているとは考えにくいからだ。
ならば、今は時間が惜しい。
さっきの作戦をとりあえず試してみるとして、その間に考えるとしようか。
そう思って大きく息を吸い込み、再び俺は海底へと潜った。
魚の位置は大まかにしか分からないからとりあえずは海底へと近づいてみて、一度逃げ出したところを追いかけるとしよう。
そう考えて海底に近づくと、まださっきの場所に潜んでいたようで、勢いよく砂の中から飛び出して泳ぎ去った。
俺はその様子を見定めて再び魚が砂の中へ潜った場所へと近づいた。
今度は”気”を回り込むように操作して、魚の向う側から着弾させる感じでぶつけてみた。
すると、俺の予想どおりこっちに向かって突っ込んでくる。
が、平べったくて正面からは的が小さすぎた。
ままよと、俺の下を通り過ぎるところを狙ってモリを突いてみたが、見事にヒラリと躱されてしまう。
が、今のはいい感じだった。
と思ったところで閃いた。
動きが早すぎるなら止めてしまえばいいのでは?
そう思ったが吉日。
再度”気”弾を操って、魚が潜む後方に着弾させる。
同時に、俺の真下にも見えない”気”の壁を作って待ち受けた。
さっきと同じように飛び出してきた魚は、その見えない壁に思惑どおりブチ当たる。
そして動きを止めたその一瞬を俺は見逃さなかった。
”気”でじゅうぶんに加速したモリを獲物の頭めがけて突き刺す。
すると、狙いどおり突き刺さって恐ろしい力で暴れ出した。
が、”気”で強化された俺の膂力を凌ぐことなどできようはずがない。
魚はしばらく暴れたのち、ついには大人しくなってその身を俺の手に委ねたのだった。




