第五十三話:妖魔討伐作戦その二
一花を抱きかかえ、空高く舞い上がった俺は、かつて富士山があった上空を目指した。
かねてから特訓してきたこの飛行術が、”気”の翼を形成することで遂に完成を見た。
もちろん翼の制御は難しいが、そこは特訓で何とかなった。
”気”の翼を使って飛行するときは、かつての浮遊術より何倍も”気”の消費が少ない。
翼を形作る際に”気”力の三分の一ほどを犠牲にしてしまうが、一旦翼を形成してしまえば、それ以上の消費がないから浮遊術の何倍もの時間を飛ぶことができそうだ。
まだ試したことがないから絶対にとは言いきれないが、燃費についてはいずれ試してみようとは考えている。
さておき、はじめて人を抱えて飛行していることもあって、速度はかなり抑えめにしていたのだが、しばらくすると眼下に見える景色が一変した。
ずっと続いているように思えた草原から、荒涼とした岩と枯草の大地へと変貌を遂げ、しまいには枯草すら姿をみせなくなった。
代わりに妖魔が点在しているが、よくよく観察すると、円弧状に連なった丘を越えたあたりから景色が黒に近い灰色へと急変していいる。
なんだろうと思い、高度を上げてみたらその原因がわかった。
「クレーター…… だよな」
飛び立ってからずっと、俺の顔をうっとりと見つめていた一花がようやく視線を外してくれた。
こうまでも見つめられ続けると、嬉しい反面かなり照れ臭かったので、少しだけホッとしているが、今はそれどころじゃない。
「……そうみたいね。それに、”妖気”と妖魔がものすごいわ」
一花が言ったとおり、眼下数百メートルの地上には直径五キロ強はあろうかという巨大なクレータと、その内側では、ゴツゴツと冷え固まった溶岩らしき岩の間のいたるところから”妖気”が漏れ出していた。
そしてその周囲には、おびただしい数の妖魔が確認できるが、中心部に近づくにつれ、その密度は高くなっているようだった。
おそらく、地下には高濃度の”妖気”だまりがあるのだろうが、これだけの数の妖魔がいて、高濃度の”妖気”がそこら中からあふれ出しているとなると、とてもじゃないが地上から中心部へと侵攻することは難しいと思えた。
「無駄かもしれないけど、このまま中心部まで飛ぼうと思う。いい?」
「ええ、今後のためにも見ておきたいわ」
一花の同意を得た俺は、地上五百メートルほどの高度を保ったまま、傾きかけた陽を横手に中心部を目指した。
中心部と思わしき所までは、時間にすれば十数分の飛行だったが、いざその上空まで到達してみれば、地上に見えるそこはまさに地獄絵図だった。
「…………」
その光景を見た俺も一花も、息を飲むことしかできない。
固まった溶岩から顔をだした漆黒の巨岩。
その巨岩からにじみ出る禍々しい”妖気”。
そしてその巨岩の周囲にうごめくおぞましい何か。
五百メートルの上空からでもはっきりと視認できるウネウネとうごめく巨体。
その巨体はワームと言ったらいいのだろうか、山ヒルのようにも見えるが、漆黒の巨岩に吸い付くように十数匹が集まっている。
「あれって妖魔だよな」
「間違いないと思うけど…… あんな妖魔は軍の記録にもないわ」
「あれって俺が今まで戦ってきたカテゴリー五よりもはるかに強そうなんだけど。それにあの黒い大岩はなんなのかな」
「…………」
一花は何も答えなかった。
いや、答えられなかったのだと俺は思う。
ぬめるような黒く長い巨体をうねらせている不気味な妖魔からは、今までに感じたことがないような濃縮された”妖気”を感じることができた。
まるで”妖気”の結晶のような黒い巨岩に吸い付き、にじみ出す”妖気”を直接その体内に溜め込んでいるようにも思えるが、巨岩にしろ妖魔にしろ、決して近づいてはいけないとだけは確信できた。
あれは俺のような素人が関わって良いものじゃない。
あの不気味な巨岩が移動することはないだろうが、あの妖魔をうかつに刺激してもしものことがあったら、皆を守りきる自信が俺にはない。
というか、俺や一花だってどうなるか分からない。
「戻ろうか、一花ちゃん」
「ええ、早急に対策を考えないと」
「作戦はどうなるのかな」
「少なくとも、クレーター内部への侵入は中止にするしかないでしょうね」
俺と一花が陣に戻ったときにはすでに陽が沈みかけていた。
上空から舞い降りた俺と一花を、遥と数名の将校たちが出迎えてくれた。
が、驚き、称賛の声をあげてくれた将校たちも、一花の厳しい顔をまのあたりにして表情を引き締めた。
「皆に相談したいことがあります。早急に将校会議の準備を。騎士階級の者には全員招集をかけてください」
「ハッ」
一花の命令にいち早く反応した藤崎さんが走り去った。
集まっていた他の将校たちも、それぞれの隊へと散っていった。
大公国軍の将校たちが集まる軍議に、部外者である俺と遥が参加することはできない。
悲しそうにそう告げた一花は、案内役の兵士をひとり残し、名残惜しそうに大きめの天幕の中へと消えていった。
「食事の準備ができております」
一花たちが入っていった天幕から少し離れたところに用意された、おそらく幹部専用の食事スペースに俺と遥は案内された。
屋根だけが張られたテント中に設置された簡素な長いテーブルに、出来たての食事が二人分すでに用意されている。
「冷めないうちにお召し上がりください」
「ありがとう。私的な話をするから外してくれないかな」
「はっ、了解いたしました」
案内役の兵士は、外してくれたとはいっても少し離れたところで背を向けている。
一花に案内役を命じられ、たいそう感激していたようだったから、役目を忠実に守って俺たちの視界から彼が消えることはなかった。
しかしながら、今から話す内容を彼に聞かれてしまうのはマズいだろう。
そう考えて、夕食をとりながら、俺は遥に事のあらましを小声で説明した。
「――とまあこんな感じだったんだ」
「それで一花様があれほど厳しい顔に…… 作戦はどうなるのかな」
「うーん、正確なことは分からないけど、やるにしても派手なものにはならないんじゃないかなぁ」
「わたしたちの出番はなさそうだね」
「うん、よほどのことが無いかぎり無いと思う」
ここに来る前までは訓練の成果を試したいような口ぶりの遥だったが、俺の話を聞いたあとでは、出番がないだろうことに安堵しているような感じだった。
食事を終えた俺と遥は、その後しばらく雑談しながら一花を待っていたが、彼女が食事に表れることはなかった。
それどころか、将校たちの姿を見かけることもなかった。
たぶん方針が決まらなくて会議が長引いているのだろう。
結局、一花の姿を見たのは翌朝になってからだった。
残念なことに、俺は一花や遥とは別のテントで寝ることになったのだが、大公国軍の作戦時なのだからそれも仕方がないことなのだろう。
どんよりと曇った空が、俺の残念な気持ちを代弁しているようでもあった。
「おはようございます」
「おはよう空」
「おはよう一花ちゃん、遥」
作戦決行日の早朝、俺の前に遥とともに表れた一花は、睡眠はとれたようでさわやかな笑顔だった。
いつもより少しだけ引き締まった顔をしているが、昨日のような厳しさはすでになくなっている。
「方針はきまった?」
「ええ、中止にするかしないかで揉めたけど、決行することになったわ――」
一花に詳しい話を聞いたところ、作戦を完全に中止にしてしまうことは軍の力だけでは難しいということだった。
俺にはよく分からない理屈だが、一度正式に決定した作戦を敵が強いからというだけで中止にしてしまうと、兵士たちの士気に悪影響が出るのだそうだ。
作戦が終了した後も戦線を維持しなければならない大公国軍にとって、兵士の士気低下がおこると、後々マズいことになるらしい。
さらに、最高評議会にたいしての大公国軍の立場が弱くなるとも一花は言っていた。
軍には軍の事情というものがあるのだろう。
富士山跡地のおぞましい状況については、将校以外の兵士たちには伏せられることが決まったらしく、その理由を聞いてみれば、大公国で暮らしている国民に余計な不安を与えないようにするためということだった。
人の口に戸はたてられないというが、良くない噂ほど早く広まって国民の不安を煽ることを危惧してのことらしい。
ただし、国の首脳部には昨晩の時点で事の詳細が報告されており、早急に今後の方針というか対策を講ずるべきだということも併せて進言されたそうだ。
もちろん、当初の作戦案にも大幅な変更が加えられたということだった。
昨日偵察して分かったことだが、クレーターの外部にも数は少ないが妖魔が徘徊しており、その中から弱そうな個体だけを選んで誘い出すらしい。
今俺たちがいる前線からクレーターの外縁までは、七、八キロの距離があるが、主戦場となる前線の位置を一キロほど前進させて妖魔の巣へ侵攻したという既成事実をつくり、最高評議会への体面を保つことになったらしい。
政治的なことは俺には分からないが、軍には軍のプライドというか立ち位置というか、そういった面倒なことも考えないといけないそうだ。
一花からそんな話を聞いたあと、作戦は予定通りに、そして静かに決行の時をむかえた。
二万を超える兵士たちが扇状に広がり、包囲網を狭めるかのごとく長い前線を富士山跡地に向けて前進させていく。
とはいっても、その前進も予定どおり一キロ弱て停止したわけだが、前線のほぼ中央後方にいる俺たちに、その全容を視認することはできない。
作戦では前線の兵士たちが停止したのち、あの女小隊長が率いる遊撃小隊の面々が弱い妖魔を誘い出すべく動き出すことになっている。
「あの小隊長さんにはすべてを話したの?」
「ええ、彼女にだけは伝えました。ですから無謀に奥深くまで侵入することはないでしょう」
俺たちの前方百メートルほどに展開する前線の兵士たちのさらに向うに、遊撃小隊の誘い出し役がいるはずだ。
俺は妖魔に余計な刺激を与えないように、いつもより薄く”気”のレーダーを広げて彼、彼女らの動きを追ってみることにした。
もちろん妖魔の位置も把握すべく察知には細心の注意を払っている。
一花と偵察した時のままだとすれば、今の前線の位置から一キロほどで妖魔に出くわすはずだ。
そのあたりにいる妖魔は、極々少量の”妖気”が湧き出す場所に点在していた。
「お、さっそくコンタクトしたみたいだ」
「えっ!? 空様には遊撃小隊の様子が見えるのですか?」
「一花様、空の察知能力は発掘師のなかでも桁外れにずば抜けていますよ」
驚く一花に遥が説明している構図だったが、前方一キロ強に広がっている遊撃小隊の面々と、彼、彼女らがコンタクトしようとしている妖魔の位置を、俺は把握することができた。
凹凸がある地形やいたるところに顔を出している岩、そして点在する木々や林のせいで、俺の超強化された視力でも直接視認することはできないが、”気”のレーダー網にはクッキリと妖魔と小隊の面々の動きが映し出されている。
「じっとしている妖魔に、離れたところから石を投げているみたいだね。おっ、妖魔が動き出した」
「流石は空殿ですな。そこまでお解りになるのでしたら、今後とも我々に協力願いたい」
「まったく藤崎候のいうとおりだ。飛行することもできる空殿は、ぜひとも軍に志願してほしいものだ」
「藤崎、鵜ノ木中将、無理を言ってはなりませんよ。空様には貴族として、そして私の夫としての務めがあるのですから」
みんなに知らせようと状況を口走ったら、ともに前線を注視していた藤崎さんと凛さんに感心されてしまった。
一花はその二人をたしなめるような口ぶりだったが、顔だけは得意げであり、そして嬉しそうでもあった。
一花はすぐに顔を引きしめて前線に視線を戻したが、俺としては、その掛け合いで彼女の表情に明るさが一瞬でも戻ったことが嬉しかった。
横にそれた意識を妖魔と遊撃小隊に戻してみれば、各隊員がそれぞれ二匹から三匹ずつ妖魔の誘い出しに成功していた。
しかも彼、彼女らが誘い出した妖魔は、ほとんどがカテゴリー三までの弱いものに限られており、各隊員が示し合わせたかのように扇状に延びた前線へと散らばっていった。
そして、ついに俺たちの正面の兵士たちが殺気立ち、そして雄たけびが上がった。
「誘い出しは成功したみたいだね。実に見事だったよ。綺麗に分散させているし」
「当然ですよ。彼らは大公国軍のなかでもエリートの集団なのですから」
そう言って満足そうに口の端を上げた一花が見守るなか、ついに妖魔との戦端が開かれたのだった。