レオン・ド・ガルシア
「アリア嬢! アリア・ヴァルディエ公爵令嬢! お待ちください!」
会場を出て馬車乗り場までの王宮の廊下を歩くアリアの背後から彼女を呼び止める声が聞こえた。聞き覚えのある声なのでアリアは立ち止まると静かに振り返りわずかに微笑みながら答えた。
「まあ、そんなに息せき切って何のご用でしょうか? ガルシア大公令弟様」
ここまであの会場から走ってきたのであろう、はぁはぁと荒い息をしながらようやくアリアを引き留めることに成功した青年がアリアを見て泣きそうな顔をする。
この青年の名はレオン・ド・ガルシア。王弟であった前ガルシア大公フェルナンド・ド・ガルシアの次男で王太子であるカイウスと従兄弟にあたる。そして彼はカイウスと同い年ということもあり王太子付き最側近というポジションに着いていた。
「こ、此度のこと、殿下を止められずに申し訳ありませんっ!」
そう言って短くそろえた榛色の髪の毛を持つ頭をこれ以上ないほどに下げるレオンにため息を一つくと静かにアリアは話しかける。
「いえ、今夜のことはすでに王家内部と私の両親の間でできあがっていた筋書きなのでしょう。今更貴男が止めようとしても止められるものではなかったと思います。ただ……そうですね、それでも貴男が私に対して少しでも申し訳ないと思っておられるのでしたら一つだけ教えていただけるかしら?」
「はい、私に答えられることでしたらなんでも」
「王太子殿下とセレスティア、このお二人は一体いつ頃から、そしてどこで情を交わし合うような関係になったのでしょうか?」
「それは……その……殿下の婚約者に決まり、王太子妃教育のために王宮に来るアリア嬢の付き添いという形で一緒に登城するようになってからまもなくの頃からです」
「……え? なんですって? それは本当なのですか? もしそうならほぼ私と殿下の婚約期間と同じ頃からだということではありませんか!?」
「はい、あの侍女はアリア嬢が王太子妃教育を受けている時間の隙を突いて殿下の執務室にやってきていたのです。もちろん我々側近は止めようともしましたが婚約者であるアリア嬢からの連絡があると言われれば無下にすることもできず、いつの間にかずるずると……本当に狡猾な侍女です」
セレスティアの名前を口にするのも嫌なのか、アリアの問いに「侍女」と答えるレオンを見てアリアはあまりにも予想外のことだったので唖然としてしまった。
アリアとカイウスの婚約が整ったのは今から二年前、カイウスが十八歳でアリアが十五歳の時であった。そしてそれとほぼ同じ頃に王太子婚約者として多忙になるアリアのために精神的安定もかねてわざわざ同じ年頃のセレスティアが侍女として召し抱えられたという経緯があった。
実際、セレスティアは細々としたところまでアリアの面倒を見て、ここ最近では友人のような気安さで接する時もあったくらいだ。だが、今のレオンの話を聞くとセレスティアは最初から、そう――まるで最初から王太子を狙って自分の侍女になったのではないか? そう思えてきた。
「それと、これは国王陛下、王妃陛下、そして最側近の私とヴァルディア公爵ご夫妻――つまり、王家に連なる者とアリア嬢のご両親しか今は知らないことなのですが」
「え? ああ、なに?」
つらつらと考え込んでしまったアリアに先程よりも言いにくそうな顔をしてレオンが小さな声で辺りを憚るようにこっそりと告げた。
「あの侍女は、カイウス殿下の子供を妊娠しております。現在妊娠二ヶ月になるそうです」
その一言を聞いた時のアリアの驚いた顔は今度こそ本物であった。
「まったく、今日は何という日かしら」
王都にある公爵邸へ帰る馬車の中でアリアは思わずこめかみを押さえた。ちなみに今アリアが乗っている馬車は公爵家の馬車ではなくガルシア大公家のものである。
先程レオンがアリアの元へ来たのは謝罪するためでもあったがもう一つ、ヴァルディア公爵家が今日の夜会のために乗ってきた馬車は公爵夫妻が先に帰る時に乗っていってしまったためアリアが帰るための馬車として自分の家の馬車を貸し出すためでもあった。
「本当にごめんなさいね、レオン様。そしてありがとう」
「いえ、このようなことしかできなくてこちらこそ申し訳ないです」
形だけのものではない、心からの謝罪と感謝の言葉を述べるとレオンの顔がふっと和らいだ。が、アリアの次の一言で再びその顔が曇る
「そういえばガルシア大公様――お兄様のお加減はいかがですの? 今は領地で静養中だと伺いましたが」
「兄は――今はなんとか生きているという状態です。侍医の話ではもってあと一年ではないかと」
「まあ、それは……いえ、でも希望を捨ててはいけませんわ。きっと良くなりますとも」
「ありがとうございます、今度領地に戻った時には兄にそう伝えておきます」
こうして無理に微笑むレオンに別れの挨拶をし馬車に乗り込むとアリアは頭をフル回転させて先程レオンが離してくれたことを考えていた。
セレスティアのあからさまなカイウス狙いの行動、また自分の実家であるヴァルディア公爵家のセレスティアに対する厚遇、さらには王家の反応――何もかもが異常すぎた。なのでアリアは最初から、つまりセレスティアとの出会いから思い出してみた。
セレスティア・ベルジュラク男爵令嬢――彼女がヴァルディア公爵家へアリア専属侍女としてやってきたのは先程レオンとも話したとおりアリアがカイウス王太子の婚約者として内定した十五歳の時である。
(確かお母様の遠縁にあたる辺境の男爵家の娘だったはず)
アリアの母であるエレノア・ド・ヴァルディア公爵夫人に連れられてヴァルディア家にやってきた時からセレスティアは田舎から出てきた男爵令嬢にしては垢抜けた美しさを持ち、所作もほぼ完全にマスターしていた。あの頃はそのように辺境の低位貴族の娘の中にも優秀な者がいるものだな、としか思わなかったが今改めて考えてみると少々、いやかなり不自然だ。
(帰ったらまずはそのあたりのことから調べてみる必要がありそうね)
ひとまず館に戻ってからの方針を決めたアリアは馬車の背もたれに体を預ける。上質な素材を使っているのであろう、ガルシア大公家の馬車のクッションは先程の出来事で疲労困憊であったアリアの体を優しく受け止めた。
(さすがはガルシア大公家の馬車だわ。でも、先程のレオン様のお話では大公家はこれから大変そう)
アリアはふと先程レオンが見せた辛そうな顔を思い出す。
ガルシア大公家は現王アンリ・ド・ブランの弟であったフェルナンドが起こした大公家である。
今から十六年ほど前、そのフェルナンドが軍事演習中に亡くなったことにより彼の長男が大公家を継いだが、生来の体の弱さ故婚姻することもなく、ここ最近はずっと領地で伏せっているともっぱらの評判であった。
(もし現大公が亡くなってもレオン様がガルシア大公の地位を引き継ぐのはおそらく無理でしょうね)
アリアは思わず渋い顔をした。レオンは軍事才能の高かった前大公の能力を色濃く残していたが、それ故に王家が王太子カイウスの最側近として手放す可能性はないだろう。
(なまじ才能があるだけにレオン様もおかわいそうに、本来なら愛する領地に戻りたいでしょうに……ああ、でもそれを言ったら私もそうなのかも)
もともと公爵家の一人娘であったアリアが王家に嫁ぐということはなかったはずなのに、アリアが膨大な魔力をその身に宿しているために半ば強制的にカイウスの婚約者に選ばれたのだから。
おかげで公爵家は親族の中から後継者となる男子を養子にとろうかと考えねばならなくなったくらいである。
まあ、それも今回の婚約解消でどうなることやら。本来なら私をもう一度後継者に据えるのが筋であるが、どうもそうはならない気がする。最悪修道院送りも覚悟しておかないと……いや、しかしそれよりもまずはセレスティアについて調べねば。
そこまで考えた時に馬車の速度がゆっくりと落ちヴァルディア公爵邸の門をくぐる。
さあ、両親に会って話を聞かねば――アリアは気を引き締めて馬車から降りた。




