婚約破棄
「碧嵐海」といわれる魔力嵐が吹き荒れる大海によってこの世界が「東大陸」と「西大陸」の二つの大陸に隔てられてから幾星霜、東大陸最大の国である「神聖ヴァリス王国」で「それ」は起こった。
「アリア! アリア・ド・ヴァルディエ公爵令嬢! この会場にいるのだろう!? 君との婚約は今この時をもって解消させてもらう! 今すぐここに来たまえ!」
煌びやかな照明の元、豪華な食事や飲み物がならぶの王宮主催の夜会会場。
貴婦人方のさやさやと鳴る衣擦れの音と密やかな笑い声、酒杯を傾ける紳士方の落ち着いた音色の会話、楽団の奏でる場の空気にあった演奏、それらを潰すようにその怒声は響いた。
声の主は貴賓席の壇上にいるこの国の王族であるブラン王家ただ一人の王太子、見事な金髪と蒼い瞳を持つカイウス・ド・ブラン。そしてその後ろにはなぜか一人の見目麗しい令嬢が佇んでいる。
ややあってから王太子のその声に応じるように会場の後ろの方から一人の令嬢が静かに歩いてくる。長いブルネットの髪を結い上げたその令嬢はそして貴賓席の前まで来ると壇上にいる王太子と国王、王妃に向かい美しいカーテシーを披露した。
「アリア・ド・ヴァルディエ、王太子殿下のご命令により国王陛下、王妃陛下の御前に参上いたしましてございます」
アリア・ド・ヴァルディエ公爵令嬢――王国内で最大勢力を持つと言われているヴァルディエ公爵家の一人娘であり、今年二十歳になるカイウス王太子の婚約者でもある十七歳の少女が口上を述べた後顔を上げて壇上を見上げて訪ねた。
「それでカイウス殿下、これは一体どういうことでしょうか、突然の婚約解消とは? そしてなぜ殿下の後ろに私の侍女であるセレスティアがいるのですか?」
王太子の後ろにいた見事なプラチナブロンドの髪に緑色の目をした令嬢の名はセレスティア・ベルジュラク。
辺境のベルジュラク男爵家の娘で、行儀見習いも兼ねて数年前からアリアの侍女をしており、歳もアリアと同じことから侍女というよりはまるでアリアにとっては友人同士のように会話ができる少女であった。
「君はセレスティアを友人のようだと言いながら陰で色々と嫌がらせをしていたそうだね」
「私がセレスティアに嫌がらせを?」
「ああ、禄に食べ物も与えなかったり真冬に肌着一枚で過ごさせたそうじゃないか! 他にも色々と聞いているがここでは言うのも憚れるようなことまで! そんな君をこのまま王太子妃になどできるものか! 私は君の代わりにここにいるセレスティア・ベルジュラク男爵令嬢を私の婚約者にすることをここに宣言する!」
カイウスのその発言を聞いて先ほどの婚約解消宣言から水を打ったように静まりかえっていた会場内がにわかに騒がしくなる。
「男爵令嬢が皇太子の婚約者に!?」
「いや、でもあの美しさなら……」
「に、しても突然すぎないか?」
「臨席しておられる陛下が何も言わないというのもどういうことだ?」
「それにほら、公爵令嬢は確かアレだろ? あの――」
そのような周りの声を気にもとめずにアリアは一瞬だけ嘲笑うような目をしてカイウスの後ろのセレスティアを見る。
「まさか私がそのようなことをしたと本気でお信じに? いえ……今ここで、国王陛下と王妃陛下、そして国内の主立った貴族がいるこの夜会でそうおっしゃるということはたとえ真実がどうであろうともそういうことなのでしょう。承知いたしました、まずは婚約解消、謹んでお受けいたします。ですが――いつどこで殿下とセレスティアと通じ合ったのかはわかりませんが、彼女は男爵家の娘。王太子妃はおろか、側室にもなれない身分です。せいぜいが愛妾止まりですがそれでどうやって婚約者になさるおつもりですか?」
ひっ! と怯えた仕草でカイウスの後ろに隠れるセレスティア、そしてそれを庇うかのようにカイウスがさらにきつい口調でアリアに怒鳴る。
「それだ! 君はいつもそれだ! やれ身分だ何だと! それを言えば君だってそうだろうが! 公爵家の娘で膨大な魔力を持ちながらそれを魔法として使えない君に王太子妃としての価値はあるのか!? セレスティアは君ほどではないにせよ魔力量も多いし応用魔法も使える! それだけでも『魔法なし』の君より価値があるだろう!?」
「魔法なし」――その単語が出た時に滅多に感情を表に出さないアリアの顔が歪んだ
魔法が存在するこの世界では魔力の有無、そして使える魔法の数は極めて重要であり、アリアが王太子の婚約者に選ばれたのはただ筆頭公爵家の娘ということだけではなく幼い頃からその身の内に膨大が魔力が宿っていたことが大きな理由の一つでもあった。それほど王侯貴族にとって魔法が使えるか否かは重要なことでもあった。
だが、普通なら成長するにつれて魔法が使えるようになるのにアリアは一向に魔法が使える兆しが見えず、いつしかアリアは「魔法なしの公爵令嬢」と陰口をたたかれることが多くなっていた。
「それにセレスティアの身分のことなら君が気にする必要もない。何せ君の実家のヴァルディア公爵家がセレスティアを養女にしてくれるそうだからな!」
「なっ……! 私の家が、ですか!? それは、父と母も知っていることですか!?」
「当然だろう! 公爵夫妻は先に屋敷に戻って君が帰ってくるのを待っているそうだ」
一介の侍女にすぎないセレスティアが我が家の養女になる話など寝耳に水のことであり、アリアは思わず会場内を見渡したが一緒にこの会場に入ってきたはずの両親の姿がいつの間にか消えていたことにこのとき気がついた。
(ああ、なるほど。魔法なしのことで王家と公爵家が遂に私を切り捨てた、と。これが今回の婚約解消劇の一番大きな理由なのね)
一瞬だけ顔を歪めたアリアであったが、今のことでストンと腑に落ちたのでいつものような冷静な声と態度で答えた。
「承知いたしました。では私はこれで御前失礼いたします。今後のお二人の未来に幸あらんことを願っております」
先程までと打って変わって騒がしい会話が行われる会場の中でアリアは再び美しいカーテシーを貴賓席に向かってすると、まずは家に戻って両親に今回のことを問いただすために出口に向かって歩き出した。




