第10話 ファミレス
八月四日、午後二時。
玲子が一人で歩いていくのを見送ったあと、直人は佐伯と莉子を呼び止めた。
「二人とも、今から時間あるか?」
「私はあるよ」
莉子が答えた。
「俺も、特に予定はない」
佐伯も足を止める。
「じゃあ、少し付き合ってくれ」
「どこへ?」
「ファミレス」
莉子が笑った。
「直人君のおごり?」
「何で俺がおごるんだよ」
「誘ったのは直人君だから」
「話を聞きたいだけだ。自分の分は自分で払え」
「話って、白鷺館のこと?」
「それ以外に何があるんだよ」
直人は二人を交互に見た。
「俺は白鷺館って名前しか聞いてないんだぞ。それなのに、今日の夜に連れていかれることだけ決まってる」
「詳しい説明は、出発する前に玲子先輩がする」
佐伯が言った。
「午後八時まで何も知らないまま待ってろっていうのか?」
「玲子先輩の説明を待てばいいだろ」
「お前たちが知ってるなら、今聞いた方が早い」
「私は全部知ってるわけじゃないよ」
莉子が言った。
「佐伯君の方が詳しいんじゃない?」
「だから、ファミレスで聞かせろ」
「友蔵君、どうする?」
「友蔵って呼ぶな」
「部員同士は名前で呼ぶんでしょ?」
「お前は佐伯でいい」
「玲子先輩の命令に逆らうの?」
「そういう意味じゃない」
「じゃあ、友蔵君」
「わざと呼んでるだろ」
直人は歩き出した。
「その話は店でやれ」
三人は、大学から少し歩いた場所にあるファミリーレストランへ向かった。
◇
三人は店の奥にある四人掛けの席へ座った。
直人と佐伯が向かい合い、莉子は佐伯の隣に座っている。
直人はアイスコーヒー、佐伯はホットコーヒーを注文した。
ドリンクバーだけにすると言っていた莉子は、メニューを見たあと、チョコレートパフェも追加していた。
「ドリンクバーだけじゃなかったのか」
「見てたら食べたくなったの」
「自分で払えよ」
「分かってるよ」
莉子は運ばれてきたパフェを自分の前へ引き寄せた。
直人はストローでアイスコーヒーを混ぜながら、佐伯を見る。
「それで、白鷺館って何なんだ?」
「大学から歩いて行ける場所にある、古い集合住宅だ」
「集合住宅?」
「アパートというより、マンションに近い建物だな。何棟かに分かれている」
「人は住んでるのか?」
「今は誰も住んでいない」
「じゃあ、何を調べるんだよ」
「二号棟だ」
「二号棟に何があるんだ?」
「洗濯物が干されている」
直人は佐伯の顔を見た。
「洗濯物?」
「そうだ」
「誰も住んでないんだよな?」
「住んでいない」
「なのに、洗濯物が干されてるのか?」
「夜に二号棟を見ると、洗濯物が干されていることがあるらしい」
「それだけ?」
佐伯が眉を寄せた。
「それだけとは何だ」
「ほかにも何かあるのかと思ったんだよ」
「誰も住んでいない建物に、洗濯物が干されているんだぞ」
「誰かが間違えて干したとか」
「誰が、どこをどう間違えたら、使われていない建物に洗濯物を干すんだ」
「管理してる人かもしれないだろ」
「管理会社は、洗濯物を干していない」
「それは確認したのか?」
「玲子先輩が見つけた情報に書いてあった」
「直接確認したわけじゃないのかよ」
「だから、今日確認しに行くんだ」
佐伯は当然のように答えた。
直人はアイスコーヒーを一口飲んだ。
「どうして玲子先輩は、そんな話を調べようと思ったんだ?」
「最近、怪異らしい話がなかったからだ」
「なかった方がいいだろ」
「玲子先輩は退屈していた」
莉子がパフェを食べながら笑った。
「ここ最近、部室でもずっと機嫌が悪かったんだよね」
「怪異が起きないから?」
「調査するものがないから」
「平和でいいじゃないか」
「オカルト探究会としては、活動することがなくなるからな」
佐伯が言った。
「白鷺館の噂を見つけてから、玲子先輩はかなり楽しみにしている」
「誰も住んでないマンションの洗濯物を見に行くことを?」
「そうだ」
「変わってるな」
「玲子先輩は、怪異に対して真剣なんだ」
「お前が玲子先輩に対して真剣なのは分かった」
「何がだよ」
「白鷺館の説明をしてるのに、ずっと玲子先輩の話しかしてないだろ」
「部長がどう考えているのかを説明してるだけだ」
莉子が佐伯の顔を見る。
「友蔵君、顔が赤いよ」
「赤くない」
「玲子先輩の話になると、すぐ赤くなるよね」
「なってない」
「本人の前では敬語になるし」
「部長だからだ」
「私は部長に敬語使ってないけど」
「お前は先輩に対する態度を改めろ」
「玲子先輩は気にしてないよ」
「お前たち、その話はあとにしてくれ」
直人が止めた。
「今夜は、具体的に何をするんだ?」
「午後八時に正門前へ集合して、四人で白鷺館まで歩いて行く」
「近いのか?」
「歩いて行ける距離だ」
「それで?」
「敷地の外から二号棟を確認する」
「中には入らないんだな?」
「許可を取っていないからな」
「絶対に入るなよ」
「俺に言うな」
「玲子先輩が入ろうとしたら止めろ」
「玲子先輩も、今回は外から確認するだけだと言っていた」
「今回は、って何だよ」
「何か見つかれば、改めて調査するかもしれない」
「今日だけで終わらせろよ」
「始める前から終わらせようとするな」
「俺は行きたいなんて一度も言ってないからな」
「正式な部員になっただろ」
「さっき無理やり入らされたばかりだ」
「自分から入部させてくださいって言ってたよ」
莉子が言った。
「言わされたんだよ」
「でも、きちんと言ってたよね」
「お前が紙袋を落とさなければ、言ってなかった」
「たまたまだよ」
「まだ言うのか」
莉子は何も答えず、パフェを口へ運んだ。
直人は佐伯へ顔を戻す。
「何か持っていく物は?」
「懐中電灯はあった方がいい」
「持ってないぞ」
「帰りに買えばいいだろ」
「名前を貸すだけのはずだったのに、もう金までかかるのか」
「懐中電灯くらい、持っていても困らない」
「今まで困ってなかったんだけど」
「今日から必要になった」
「勝手に必要にするな」
「飲み物も持ってきた方がいいよ」
莉子が言った。
「夜でも暑いから」
「外から見るだけなんだろ?」
「玲子先輩が、すぐ帰るとは限らないから」
「何時間見るつもりなんだよ」
「それは玲子先輩に聞いて」
「今聞けないから、お前たちを連れてきたんだろ」
直人が言ったとき、店の入り口の方から女性の声が聞こえた。
「直人先輩!」
直人は反応しなかった。
同じ名前の誰かを呼んでいるのだと思い、アイスコーヒーへ手を伸ばす。
「直人先輩!」
声が近づいてきた。
莉子が直人の後ろを見る。
「直人君」
「何だよ」
「呼ばれてるよ」
「俺を?」
「こっちに来てる」
直人が振り返った。
一人の女子学生が、こちらへ向かって歩いてきていた。
直人たちより一つほど年下に見える。
肩から鞄を掛け、直人と目が合うとうれしそうに笑った。
「やっと見つけました」
女子学生は迷うことなく、三人の席まで来た。
直人はその顔を見た。
誰だったか。
大学ですれ違ったのか。
以前、どこかで会ったのか。
顔を見つめても、何も浮かばない。
「久しぶりですね、直人先輩」
女子学生は、空いていた直人の隣へ座った。
そのまま身体を寄せ、直人の腕へ自分の腕を絡ませる。
直人は絡みついた腕と、女子学生の顔を交互に見た。
やはり、思い出せなかった。
「私もこの大学に入ったんですよ」
女子学生は、うれしそうに直人を見上げた。
「直人先輩の一つ下だから、これからは本当に先輩ですね」
直人は何も答えられなかった。
相手は直人のことを知っている。
それも、かなり親しい様子だった。
しかし、直人の記憶には何もない。
佐伯と莉子も、目の前の二人を見ていた。
莉子がスプーンを置く。
「直人君」
直人は莉子を見る。
「この子、誰?」
直人は答えなかった。
まだ女子学生の顔を見ながら、記憶を探していた。
佐伯も直人を見る。
「長野、知り合いなのか?」
直人が何か答えるより先に、女子学生が二人へ笑顔を向けた。
「あ、自己紹介がまだでしたね」
彼女は直人の腕を抱いたまま、軽く頭を下げる。
「初めまして。白石七海です」
そして、何でもないことのように続けた。
「長野直人先輩の彼女です」
一瞬、三人とも動かなかった。
佐伯と莉子が、同時に直人を見る。
直人は七海を見た。
二人よりも、直人の方が驚いていた。
白石七海。
頭の中で、その名前を繰り返す。
中学。
高校。
大学。
名前を聞けば、何か思い出すかもしれないと思った。
だが、どこを探しても、白石七海という名前は出てこなかった。
付き合った記憶もない。
隣にいる七海は、直人が何も思い出せずにいるとは気づいていないらしい。
うれしそうに腕を抱いたまま、莉子と佐伯を見ている。
「直人君、彼女いたんだ」
莉子が言った。
直人は答えなかった。
「長野、お前、何で黙ってたんだよ」
佐伯も尋ねる。
直人は七海の顔を見たまま、何も言えなかった。
そのとき、七海の鞄の中でスマートフォンが鳴った。
「あ」
七海は直人の腕を離し、スマートフォンを取り出した。
画面を確認すると、少し困った顔になる。
「すみません。ちょっと用事ができちゃったので、行かないと」
七海は慌ただしく席を立った。
「また来ますね、直人先輩」
莉子と佐伯へ軽く頭を下げる。
「お邪魔しました」
直人が何か言うより早く、七海は店の出口へ向かっていった。
途中で一度だけ振り返り、直人へ手を振る。
そのまま、足早に店を出ていった。
三人の間に、沈黙が流れた。
直人は七海が出ていった方を見たまま、動かなかった。
莉子が口を開く。
「直人君」
「……何だよ」
「彼女がいたんだね」
直人はゆっくり莉子を見る。
「……誰だったんだよ、今の」
「彼女じゃないの?」
「全然覚えがない」
佐伯が眉を寄せた。
「名前もか?」
「白石七海なんて、聞いたこともない」
「向こうは、お前のことを知ってたぞ」
「だから分からないんだよ」
「直人君が忘れてるんじゃない?」
莉子が言った。
「付き合ってた相手を、名前も顔も全部忘れるわけないだろ」
「でも、すごく自然に腕を組んでたよ」
「向こうが勝手に組んできただけだ」
「本人は彼女だって言ってた」
「俺は知らない」
「それ、かなりひどい男みたいに聞こえるぞ」
佐伯が言った。
「事実を言ってるだけだ」
「本当か?」
「お前まで疑うのかよ」
佐伯は少しだけ考えるように直人を見る。
「でも、長野って他人のこと、あんまり気にしないよな」
「何だよ、急に」
「いや。今の見てて思っただけだ」
「どういう意味だよ」
「さっきも二回呼ばれてたのに、全然振り向かなかっただろ」
「知らない声だったからだよ。俺を呼んでるとは思わないだろ」
「そういうところ」
「何がだよ」
莉子が笑った。
「直人君、自分に関係ないと思ったら、本当に見ないよね」
「別に、人に興味がないわけじゃないぞ」
「じゃあ、興味あるの?」
「知らない人のことまで、いちいち気にしてないだけだ」
「それ、あんまり変わらないんじゃない?」
「全然違うだろ」
佐伯が言った。
「まあ、彼女だった相手まで忘れるとは思わないけどな」
「当たり前だ」
「じゃあ、やっぱり人違いか?」
直人は少し考えた。
「……たぶん、それが一番ありそうだろ」
「でも、直人君の名前まで知ってたよ」
莉子が言った。
「同じ大学なら、どこかで聞いたのかもしれない」
「顔まで間違える?」
「知らないよ。だから俺も分からないんだって」
莉子が笑った。
「白鷺館へ行く前から、面白いことが起きたね」
「面白がるな」
「また来るって言ってたよ」
「来なくていい」
「冷たいな」
「知らない相手にどうしろっていうんだよ」
「次に来たら、もう少し話を聞いてみようよ」
「お前が楽しみたいだけだろ」
「少しはね」
「否定しないのかよ」
直人はもう一度、店の入り口を見る。
七海の姿は戻ってこなかった。
名前を聞いても、何も思い出せない。
人違いだと考えるのが一番自然だった。
だが、あれほど迷いなく近づいてきた相手が、顔まで間違えるものなのか。
考えても答えは出なかった。
「とにかく」
直人は佐伯へ顔を戻した。
「白鷺館は、敷地の外から二号棟を見るだけなんだな?」
「その予定だ、」
「絶対に中へ入るなよ」
「何度も言うな」
「お前たちは、信用できないんだよ」
「失礼だな」
「数十分前に、名前を貸すだけって話を破った人間が言うな」
午後三時を少し過ぎたところで、三人は店を出た。
大学の近くまで戻り、そこで別れる。
「じゃあ、午後八時に正門前ね」
莉子が言った。
「遅れるなよ」
佐伯が続ける。
「まだ五時間近くあるだろ」
「玲子先輩を待たせるな」
「お前は何時から待つつもりなんだよ」
「十分前には行く」
「三十分前からいそうだけど」
莉子が笑う。
「いない」
「玲子先輩が早く来てるかもしれないよ」
「なら、少し早く行く」
「結局、早く行くんじゃないか」
「うるさい」
三人は、それぞれ別の方向へ歩き出した。
◇
直人は帰宅する途中、駅前の店へ寄った。
小さな懐中電灯と予備の電池を買い、ペットボトルの水も一本購入する。冷蔵庫も引っ越したばかりで中身が心もとなかったので、思い切ってついでに食料品を色々買いこんだ。買い物袋は黒と赤の太いストライプ柄で、厚手の布地を使った大きな袋だった。
敷地の外から建物を見るだけなら、ここまで用意する必要があるのか疑問だった。
だが、玲子と佐伯が一緒にいる以上、予定どおりに終わる保証はない。
直人は買った物を袋へ入れ、どこか嫌な予感を抱えながら自宅へ戻った。




