「内紛しちゃいかんのか?」「いかんでしょ」(2/5)
少し伸びたので(2/4)から(2/5)に変更しております。
一方で、信孝が領主になった隣国美濃の国の統治は、どうやらあまり順調とは言い難い様子であるらしい。
想像通りというか案の定というか、伊勢での統治をそのまま同じように当てはめて
美濃でも行おうとしているようで、現地の諸将や豪族の戸惑いや反発を招いているらしい。
そもそも、父信長の統治法は美濃と伊勢では行っている事が随分と違う。
分かりやすく言えば寛容と厳粛。融和と圧制みたいなイメージだ。
美濃は義父の斎藤道三からの国譲状や、正室の濃姫、道三の末子の利治などを大義名分とした
斎藤家の後継者争いを名目としており、
他にも諸事情はあるが稲葉山城(後の岐阜城)に本拠地を移転し、
斎藤家の後継者としての立ち振る舞いを行っている。
それもあり、織田家に属した既存の美濃の勢力とは基本的に融和策をとっている事が多く、
斎藤家以来の領土と権益を認めて、
美濃国の織田家はこれまで美濃諸豪族の盟主のような立場で臨んでいた。
(粛清をしていないとは言っていない)
一方で、伊勢はその様相が随分と異なる。
既存勢力は自分の弟、子供を養子に送り、頃合いを見て反対勢力は悉く根切にするなど、
武力をもって反抗的な既存勢力を駆逐し、織田家の勢力下に組み込もうという文字通りの
征服者としての立場で伊勢の諸豪族を屈服させていた。
実際、信雄の北畠家では信雄の義父含め北畠氏の親族、有力家臣を根こそぎ粛清しているし、
信孝の神戸家でも前当主の義父を追放し幽閉し、異を唱える家臣達を粛清している。
時と場所によって硬軟両方を臨機応変に上手く使い分ける事が為政者には必要とされる以上、
そういった意味で織田信長は非常に有能な為政者であったのだろう。
……まあ、表裏が上手すぎたからこそ家臣達も自分がどちらの扱いを受けるのか疑心暗鬼になって、
荒木村重みたいに「お前は有能でお気にいりだから許すよ」→「信じられるか!!」
なんて事もちょくちょく起きていたわけではあるのだけれど。
そんな訳で伊勢と美濃の統治が違いすぎる以上、さらには寛容から厳粛になるわけだから
それまでの統治方法を行っても上手くいくはずもなく、難渋している様子。
「…………」
そういった各地からの不平や陳情がそれまでの美濃の統治の実質的な代表者である
斎藤利治の方にも届いているとの事で、利治さんが会う度にお腹をさすっているのを
よく見かけるようになった。
こうなる事が分かり切っていたから各種引き継ぎ書をあのとんでもなく忙しい中で
作成したのに、それを『不要である』と一顧だにせず破棄されたわけで。
結果案の定美濃が不安定になり、その不平不満が利治さんにも届くと。
これなんて中間管理職?
……この時代、胃薬ってあるんだろーか?
。そんなこんなで時が過ぎていった最中、美濃でとある事件が起きたわけである。
ーーーー織田三七侍従信孝、岐阜にて家臣を粛清。
謀反の疑いにて、織田中将信忠に出頭を指示し、さもなくば追討するとの命を織田政権の名に命ず。




