幕間:丹羽長秀と織田信孝の会合(中編)
「ーーー侍従様、丹羽五郎左衛門がまかり越してございます」
信孝のいる部屋の前につき、近習が室内へ到着した旨を呼びかけるも、
うんともすんとも室内からの反応がない。
なにをしているのか、と長秀は襖を開けて三七信孝のいる部屋に入った。
ーーー部屋の真中にある机にうつ伏せになって、三七侍従信孝がいた。
寝ているわけでもなく、灯りも碌に点けないまま、呆と、
なにをするわけでもなく虚ろな目をして宙を見ている。
当然本能寺の件は彼の耳にも届いているのだろう。
父であり主君でもあった織田信長が、信頼していた重臣の明智光秀に謀反によって討たれたのだ。
自分ですら動揺を抑えるのに相当な時間を要した故に、20をいくつか越えたばかりの
信孝のこの様子も致し方ない事とは思う。
……だが、自軍の大将である者がこれではと思うと、この先の苦労が思いやられた。
「…………ここまできて……わたしの苦労は……」
こちらに気づいていないのか、机にもたれかかり、なにやらブツブツと同じ事を繰り返している。
(……一体なにを苦労してきたと言うのやら)
喉元まで出かかった苦言を留め、嚥下する。
信孝の父である信長の家督継承争いの頃より側近として何十年も付き従ってきた長秀からすれば、
織田の貴公子である信孝の苦労など取るに足らない片腹痛いものに思えた。
ただ、そのような事を言ってしまえば切りがない。
彼も幼少の頃は神戸家に養子に出され、冷遇されそれなりに苦労をしていたとも聞く。
彼には彼の立場なりの労苦があると思えば、それを言うのも憚られた。
「ああ………五郎左か」
ようやくこちらが部屋に入っている事に気づいたようで、覇気のない虚ろな目をこちらに向ける。
「上様の件、お耳には」
「ああ………まあ、の」
「それで、今後どうなさる」
「……どう、とは」
「現状、兵の逃散が止まりませぬ。その対策と、明智めの対応をどうするかを
考えねば」
「……五郎左の思案通りでよかろう」
変わらない表情のまま、考えるのも物憂げに
「侍従様。信じて委ねるのと、考えを放棄するのは違いますぞ」
「……任せると言うておろうに」
「今後の織田家の大切な立場の御方が、そのような態度ではいけませぬ」
子を窘めるように言う長秀が不愉快であったのだろう。
机から起き上がるとばんっ!と叩き、
「父上が明智めに討たれたのじゃぞ!恐らく兄上も討たれているであろう!
織田の頭と譜代が悉く討たれた今、今後の織田家もへったくれもあったものか!!!」
長秀に向かって激高した声で言い放った。
(……惜しいの)
そう思えた。
誰に言われるでもない、現状の認識は十二分にできている。
惜しむらくは総大将としての責任と覚悟が足りないだけなのだろう。
どこか人任せな部分があるが、連枝衆として大将の経験がない分致し方ない部分もあるのだろう。
(上様は、この四国征伐でその経験をさせたいと思っていたのであろうが……)
もはやそれどころではない以上、それは考えても詮無き事である。
「侍従様。繰り返しますが、今の御立場の方がそのような物言いでは困ります!
ーーー場合によっては貴方様が今後の織田家を継がねばならぬのですぞ!しっかりなされい!」
丹羽長秀が言った一言は、だからこそ信孝を叱咤激励する為の、
立場と責任を自覚して貰うための一言であったのだろう。
「…………私が、織田家を?」
「そうです!その可能性のある御立場の方が、なにを呆とされているのか!」
ーーーだから、その話を振った瞬間、信孝の目に灯った怪しげな揺らめきに気づかなかった事は、
流石に致し方ない事であったのだろう。




