羽柴秀吉との対面⑥
「あとは天下の街、首都を作る事かの」
「しゅと、ですかいの?」
「うん」
そう言いながら、考えている事を説明する。
信長ならやったであろう事を考えると、天下を統一したら新しい本拠地に
自分が考える理想の街作り、首都を作ったんじゃないかなーと考える。
織田信長が他の諸大名よりも優れていた点を考えるなら、領土というものにとらわれず、
合理性に関して敏感であった所が言えるだろう。
那古野に始まり清州、小牧、岐阜、安土……と勢力が伸びるにつれ本拠地を次々と
移転しており、これは他の戦国の諸大名にはない特色となっている。
影響を受けたのか、徳川家康も岡崎、浜松、駿府……と本拠地を移していっている。
他に有名な所で言えば、足利義昭を将軍位につけた際に望んだ恩賞として堺、大津、草津を
望んだ事だろう。
当時の最大の貿易拠点の堺、当時の主要な運輸の海運を考えて、
京都への物が運ばれる流通の要所の大津、草津を望むのは、当時の武士階級の人間としては
経済観点の着眼点が優れている代表だと言えるであろう。
共通して言えるのは基本的に先進的で効率が良いと思ったらそちらを選ぶ事に躊躇いがない事。
そして、その当時の日本の中では稀有の、日本という国全体から俯瞰して、自分の領土や各国を
見ていたように思う。
地球儀や日本全国が描かれた屏風を好んでいたとも言うし、
本当、目線や視点が時代外れと言うか、あの時代の人間としては進みすぎと言うか。
あの人こそ、リアル転生者なんじゃないかって思うレベル。
「太平の世になれば軍事の要所よりも経済の要所に本拠地を置いた方が効率がいいからの。
そこで経済、文化を発展させて全国に波及させていけばよいと思うが」
実際にそれは織田家の家臣にも影響が出ており、秀吉の大阪(一説には信長の事業を引き継いだとも)、
前田利家も金沢に同じように経済人、文化人を招聘し、それまでになかった都市の原型となる
ものを作っている。
そこまでできれば現代には劣るとしても結構時代的には時計の針を進める事ができるんじゃ
なかろうか。
そんな事ができればいいな、と思う。
「いずれ平和な世になれば、琉球や蝦夷にも行ってみたいしな」
「琉球や蝦夷…ですかいの…」
時代が違うから俺が生きていた時のようなものはないとは思うけど、景色や食べ物はある程度
近いものはあるだろう。
北海道に行って海鮮堪能したり、沖縄行って泡盛と豚料理食べながら海辺でのんびりしたいよね。
「も、もう十分で。中将様が色々考えとる事は十二分によー分かりました」
もうお腹いっぱい、といった顔で秀吉が言ってくる。
「ちなみに、言っている内容って、伝わっているかの?」
「正直、半分も分かりませんな」
あ、やっぱし?
秀吉でも半分なら、他の人ならもっと伝わらないだろうな……反省。




