羽柴秀吉との対面⑤
「中将様、いくつかお聞きしても良いですかの?」
「……?まあ、儂に答えれる事であるなら」
唐突になんだろうと思ったが、先ほどより真剣な秀吉の表情を見て、
答えてほしい質問なのだろうと思った。
「上様は、どんな天下を考えていたと思いますかの」
「父上が考えていた、天下かの……」
流石にわからん。
俺にあの織田信長の天下像を想像してと言われてもわかるわけないんだけどなぁ。
実際に信長がやっていた事から、こんな事したかったんだろうなくらいなら分かるけど……
「そうさなぁ、あの父上のお考え故、完全に理解などできるわけもないが
……そうじゃの、まずは道と、流通からなのかの」
「……道と、流通ですかいの?」
思っていたどの回答とも違ったのだろう。
秀吉は首を傾げて、再度問いかける。
「なんとなくじゃが、父上は日ノ本全土をこの畿内や尾張、美濃のように皆が便良く、
自由に動ける世の中を目指していたように思う」
「自由に、ですかい?」
「筑前も、父上が街道整備をしたり、関所の撤廃などしていたのは知っておろう?」
「そりゃまあ、一時期はわしもその仕事しとった時もありましたしの」
あ、そうなんだ。
街道整備という発想が生まれたのは太平の世になった江戸時代以降、参勤交代で大名が
江戸との往来が一気に増えた時代にようやく大々的に始まったくらいで、
それまでの為政者、権力者が道の整備を行った事は異例中の異例である。
当時の常識としては道は歩きづらく、通りづらい道が良いと言われ、
それをどうこうするなんて発想は武将には基本なかった。
その方が敵も際に敵も通りづらく攻め込みにくいという利点があるためである。
だから街道の整備をすればデメリットとしては当然その交通は敵も使えるわけで、
防衛には不向きになるわけだが、基本的に織田信長は攻勢をメインにしており、
自領で戦をしたのは桶狭間の戦いなど数えるほどしかないから、あまりそこには無頓着であったようだ。
また行ったものとして交通時の関所の撤廃もある。
関所とは交通の道々に作られた門であり、そこを通る際に
身分の確認と関銭という手数料を支払いしなければならないといったものだ。
信長の領内ではその関所を一気に撤廃した。
敵国の密偵や関銭の収入がなくなるといったデメリットがあるのを承知の上で、そのような施策を
実行した辺り、信長が交通を重視していた事が伺える。
「人の往来が増え、住まう民が増えていけば、世の中は自然と良くなる。その事を父上は
自然と知っていたのではないかと思う」
「はあ……」
詳しく話せば流通の話や交易、経済の話になるんだと思うけど、その辺の解説や話は詳しい人に
任せます。
少なくとも織田信長は津島や熱田など当時の海運の要所を信長の父の信秀の時代から抑えていた
わけで、その辺は信秀から流通の大事さなどは教えこまれていたと思うんだよな。
だからこそ織田家は領地の割に他の武将と比べ、経済的に豊かであったわけなんだし。
「あとは天下の街、首都を作る事かの」
「しゅと、ですかいの?」




