③これが我らの金ヶ崎ぞ!!!
「これが我らの金ヶ崎ぞ!!!」
そう皆の前で言い放った金ヶ崎の戦、又は金ヶ崎の退き口とは。
信長軍が1570年に朝倉攻めをした際、突如として北近江の浅井家が織田家の背後をつき、
織田家は撤退を決め敗北した戦いである。
この撤退戦、秀吉が出てくる有名な戦の一つではあるのだが、
なにが凄いかと言うと、有力武将の戦死がない事である。
敗戦の後の撤退戦は基本的に悲惨なものだ。
有名どころで言えば
今川義元との『桶狭間の戦い』
浅井長政、朝倉義景との『姉川の戦い』
武田勝頼との『長篠の戦い』
など、どの戦いでも重臣クラスが悉く打ち取られ、後の没落の切っ掛けと
なっている。国を運営する頭脳が根こそぎやられたら、是非もないよね。
基本的に殿部隊は自分の何倍の敵と戦いながら逃げる戦いなため、自然と被害も大きくなる。
十全にそれをこなした秀吉(と実は光秀)がいかに戦巧者だったかが分かるエピソードであろう。
……あと、その多くが信長との戦いである。
どー考えても狙ってたんじゃないですかね、あの人。
『勝っても負けても、相手が弱体化し最後に勝てればよかろう』とか思ってそう。
美濃の斎藤家、近江の浅井家、越前の朝倉家、本願寺、甲斐の武田家。
信長が滅ぼした家って基本的に長い時間をかけてじわじわ弱らせて、最終的にどうやっても
勝てる状況まで持ち込まないと討伐しようとしないんだよな。桶狭間が例外中の例外。
あの人こそ『鳴くまで待とうホトトギス』なんではなかろうか。
……こわいです、信長
閑話休題
というわけで方針を皆の前で示したわけであるが、次に考えないといけないのが
殿部隊だ。
多分、京都を逃げ出すまでは上手くいく。これは歴史的に見ても間違いない。
じゃあ、逃げ切れるかどうかについては全く別問題だ。
一応、既に織田家当主を継いでいる織田信忠が逃げたと知れば、全力で明智軍はこちらを
追いかけてくるだろう。
そこまで俺は明智光秀を過小評価していない。ていうかできない。
……なんで転生?初っ端からこんなハードモードなの、なにこのクソゲー。
というわけで、相手の追撃の時間を稼ぐ殿部隊を決めないといけない。
ーー今周囲の皆の顔を見る。
先ほどの動揺は少し収まり、皆がこちらを見ている。
次になにをしゃべるのかを見定めている視線。
こんな大勢からみられるのなんて当たり前に慣れていない。
さらにこんな状況での殿を命じる?……どうすれば、いい?
人になにかを命じるなんてほとんど経験がない。ましてや「死ね」なんてあるわけない。
次の言葉がなかなか出てこない。
「それでは、一つ、私から献策しとう存じます」
そんな中、今までほとんど話さなかった織田勝長が発言する。
「次は殿部隊の話でしょうが、殿ではなく籠城部隊の方がいいでしょう」
「ーーーー私を、中将様の影武者としてこの妙覚寺に置いてくださりませ」




