幕間 松姫様は恋をしたい(後編)
わたくしたちが岐阜城下に着いた事を城の方に伝えると、しばらく後迎えの方がいらっしゃり、
現在城の留守居役を務めていらっしゃる斎藤利治様が対応くださる事となりました。
偶然にも元々わたくし達の捜索の責任者であったようで、その縁ですんなりと
わたくしがここにいる経緯は理解いただけたようでした。
後から聞けば、その時期の利治様は、本能寺の後日野から岐阜に戻り、
主なき美濃で起きている諸問題を解決するため寝ずに仕事をされている中であったとの
事。
知りようのなかった事とはいえ、仕事を増やしてしまい、申し訳ない事をしてしまいました。
そしてそこで、信忠様が今現在近江の日野城にいらっしゃる事、
京都から脱出する道中で負傷し、現在は日野城て療養されている事を教えていただきました。
「はよう、おゆきなされ……今なら、まだ間に合いますゆえに」
詳細はこの場では言えないとの事でございましたが、利治様の深刻そうな表情と言葉から、
芳しくない事が起きた事は一目瞭然でございました。
明智殿の謀反は羽柴様始め織田家の諸将により鎮圧されたとの事でしたが、
道中はまだ危険との事で、籠と護衛を付けて頂き、
信忠様がいらっしゃるという日野城まで向かう事になりました。
…早く信忠様のお側に参りたい思いと、知りたくない事を知ってしまうのではといった
複雑な思いが混じった道中であった事は覚えております。
道中は特段問題なく、日野城に無事辿り着き。
なんとなく、沈んだ城の中を歩く事しばし、城でも奥の一室を案内され、
ーーーその一室に、一人の若い男性が寝ておりました。
「のぶただ、さま」
心の臓が、止まる思いでございました。
声をかけても、反応なされる事はありません。
少し苦し気な表情で、彫像のようにしん、と動かぬ姿。
呼吸で布団が僅かに上下していなければ、死んでいると勘違いしてしまうようなお姿でした。
きけば、もう、2週間近くも目を覚まさないとの事。
家臣の皆様も、どこか諦観の念を抱きながらも、それでも一縷の望みを抱いて
看病なさっているとの事です。
信忠様の近習は皆、信忠様とわたくしの事情は知っているとの事です。
少しだけ恥ずかしくはありましたが、それよりも、
「あの……わたくしに、信忠様の看病をさせていただけないでしょうか」
少しでも、信忠様の側で、信忠様のためになにかできないだろうか。
その日から、信忠様の面倒を見るお手伝いをさせていただく事になりました。
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それからの日々は、信忠のお側で看病する日々でした。
とはいえ、そう多くの事をするわけでもありません。
寝ている信忠様の寝間着のお着替えと、粥やお水を飲ませる事をするくらい。
口元に顔を近づければ、口から呼吸の吐息を感じる。
水や粥などは口に近づけると、嚥下してくださる。
信忠も生きようとされていると思うと、少しだけ気持ちが安らぎます。
「信忠様、今日は天気が良い日ですね」
それに、時折信忠様に話しかけます。
「近江とは、なんと平地が多い土地にございますね。山が多い甲斐や信濃とは
まるで違う」
反応はなくとも、きっと聞いてくださると信じて。
わたくしの声が、届いていると信じて。
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ーーーそれでも、そんな日々が2週も続くと、
少し心が弱くなってしまいます。
夜になると、もうこのまま戻らないのではと、不安でいたたまれなくなってしまいます。
信忠様、申し訳ございません。
まつは、心弱き女子にございます。
「……信忠さま」
……一目、会うだけでいいと思っていたのです。
会えずに生涯が終わると思っていた、ですから
信忠様のお姿を見る事が叶うだけでも、願いが叶ったのだと思いました。
ーーーけれど、貴方のお姿を見てしまったら、願いは次々溢れてとまらない。
信忠様の声がききたい。
どんなご飯が好きだろうか。どんな景色が好きだろうか。
どんな事を思い、どんな事を考え、わたくしに語りかけてくださるのだろうか。
ーーーずっと昔から、一緒に、このお方と、同じ日々を歩むことを願っていました。
叶わない夢だと思っていました。
それが、あとほんの少しで、夢に手が届くところまできたのです。
「信忠様、おきて下さいませ」
両手で、信忠様の右手を包んで握る。
ひんやりした、手を両手で暖める。
「信忠様、わたくしです。まつです。ようやく……ようやく、お会いできたのです」
ほんの少し前、叶わない夢が叶うと思わされた。
「『まだ、儂の事を夫婦と思ってくれるなら、一緒に共に、時を過ごそう』ーーーそう、言ってくださったではないですか」
その夢に手を触れた瞬間、その願いは泡のように消えていった。
……それだったら、最初から叶わぬ夢のままのほうがよかった。
「貴方と、共に同じ時を過ごしたい」
わたくしの夢は、ずっと昔から、
「まつは、信忠様と、恋がしとうございますーーー」
……儚い、夢に終わるのでしょうか。
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うつら、うつらとしてしまったのでしょう。気が付けば、
明け方近くになっていました。
朝日が部屋の中に差し込み、暗かった部屋も燭台なしで見えるようになっています
(いけない……寝てしまった)
信忠様の御様子をと思うと同時に、なにやら視線を感じます。
目をしばたたかせて眠気を飛ばし、視線の先に目をやると
(えーーーー?)
信忠様の目がうっすら開いているように見えました。
(のぶ、ただ様?)
現実なのか、自分の願望が映した夢なのか、正直自信が持てません。
そのわたくしに現実だと教えて下さるように、
「…………松姫?」
かすれた声で、それでも確かに聞こえる声で、
わたくしの名前を、呼んでくださいました。
「っーーーーー!!!」
全身に甘い感動が響き渡る。
気づいて、下さった。
初めて見るはずなのに、わたくしの事に気づいてくれた。
……それは、本当に、奇跡のような、瞬間でした。
「……はい、まつにございます」
「ーーーお会いしとうございました、信忠様」
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「きみょうまる、さま?」
「へんなおなまえ!」
ーーーあの日から15年経った9月某日。
わたくしの夢は、かなったのです。




