幕間 松姫様は恋をしたい(中編)
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時が過ぎるのは早いもので、あれからもう5年の歳月が流れました。
わたくしの年も20に近づき、何度か内々に縁談の話もきました。
曰く、もう織田と武田の和睦はありはしないと。
曰く、このまま一生、お一人で過ごされるつもりかと。
全て、丁重にお断りさせていただきました。
向こう方も、父上、信玄公のお言葉もあり、
それ以上強く言われる事もなく、
今を過ごせております。
……ありがたい事でございます。亡くなった後も、わたくしは父上に助けられている。
一度だけ、勝頼兄上からもそういったお話がありました。
誰に言われても、返す言葉は変わりなく。
その際に、思わず信忠様のお話を知る事ができました。
『そなたも強情ならば、向こうも強情よな。信忠も、「私の正室は松姫です」と言い、未だに正室を持とうとしないらしい』
『…………そう、ですか』
苦笑しながらも、それを伝える兄上様。
その日の夜は、童女に戻ったように泣いてしまいました。
……嬉しかった。
信忠様も、わたくしの事を妻だと思ってくださっている。
文での交流のみの関係性。家同士の婚約で始まり、その婚約も家の都合でもう解消されている。
それでも、同じ思いを持って頂いている事が、本当に本当に嬉しかった。
それだけで、なにか報われた気持ちになる。
……悲しかった。
戦国の倣いとは言えども、あんまりにございます。
なぜ、そのように同じ想いでいるわたくし達は、夫婦として、同じ場所にいないのでしょう。
ーーー信忠様。
まつは、信忠さまにお会いしとうございます。
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とうとう、織田家が武田家の征伐に乗り出す事となりました。
つい数年前までは戦国最強の武田と言われていたのが、時の移ろいとは怖いもので、
現在滅亡の危機に瀕しております。
その武田攻めの大将は、信忠様と聞き及びました。
……これも、何かの皮肉なのでしょうか。
姫達の中では最年長でありましたので、勝頼様の姫君を始めとした一族の女、子供衆を率いて、
戦場から離れた場所へ疎開する事になりました。
……このような事は初めてです。恐らく、勝頼兄様始め、皆覚悟していたのでしょう。
滅びる側の家の末路は、悲惨なものでございます。
武田家の皆様が我々姫や子供を事前に疎開させてくれたのも、その惨劇から
少しでも未来ある子女達を逃そうという親心でありましょう。
親元を離れ、嫌がりぐずる姫達をなだめながら進む道中。決して容易いものではありません。
けれど、後ろから聞こえるのは戦場の足音、
わたしくの故郷が、荒らされている。
武田の家が、亡くなろうとしている。
見知った人の戦死の知らせ。血を分けた親族、兄弟の戦死の知らせ。
信廉、信友叔父上、盛信兄上ーーーそして、勝頼兄上。
ついに、武田家は滅びてしまったのです。
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避難先の八王子の寺での生活にもようやく皆が慣れた頃、一つの事件がありました。
ーーー織田家、信忠様からの使者が来たのです。
なんの使者だろうと思いました。
戦の後の追及は思ったよりも厳しくはなく、
武田所縁の皆様の援助にて、慎ましくはありますが
暮らすに困る事はありませんでした。
後々聞けば、徳川殿が武田遺臣の登用を織田家に許された事や、
信忠様の口添えがあったとの事ですが、その時のわたくし達はそれを知りようがありませんから。
捕り物とは思いませんでしたが、武田家でも一定の立場があった者の由縁が多いので、
どこか監視できる所に移るように、との命かと思いました。
『まだ、儂の事を夫婦と思ってくれるなら、一緒に共に、時を過ごそう』
ーーーこれは、何かの夢なのでしょうか。
届いた文に書かれていたのは、想像できない内容でした。
滅びてしまった家の姫。
それを滅ぼした天下人目前の家の嫡男。
あり得ない組み合わせでありますし、釣り合いがとれるわけもなく。
どのように回答すればよいか周囲の意見も割れましたが、
とりあえず、直接お会いして話をした方が良いだろうという結論に落ち着き、
岐阜のお城に向かう事になりました。
わたくしの心は、ずっと昔から決まっておりました。
ーーーごめんなさい、皆様。
このようになっても、わたくしは信忠様を慕っているのです。
その返事を伝えるため。
わたくしは岐阜へと向かう事となりました。
あれほど遠く感じた道のりも、今は何も遮るものはなく。
あと数日、もう少しでとうとう、信忠様に会えるのだと。
世の因果とはわからぬものです。
悲しい事ばかりではないのだと、少しだけ、救われた思いでおりました。
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明智日向守光秀謀反。
織田信長、織田信忠遭難。
ーーーここまできて、
あとほんのわずかの事で、わたくしはあの方に会う事は叶わないのでしょうか。
ここまでの過程はほとんど史実。
世間であまり語られる事のない、戦国の悲しい悲愛の一つにございます。




