残された名前
九尾戦が終わり、人間の世界に戻る4人。
次のステージへ足を踏み込む
夜の空気が、
重く沈んでいた。
誰もすぐには動けない。
九尾の言葉だけが、胸の奥に残っている。
──なにを隠している…?
なゆたは、鬼面へ触れたまま俯いていた。
冷たい。
でも。
どこか、微かな温度を感じる。
まるで誰かが、まだそこにいるみたいに。
(……兄ちゃん)
頭が痛む。
思い出せない。
なのに。
胸だけが、壊れそうなくらい苦しかった。
「……今日は戻るぞ」
最初に口を開いたのは、サクヤだった。
低い声。
これ以上、ここへ留まるのは危険。
全員、理解していた。
ヤマトは無言のまま、なゆたの肩を支えている。
その手だけが、やけに温かい。
九尾は、そんな二人を静かに見ていた。
狐火が、ゆらゆらと揺れている。
「境界は閉じとく」
ぽつりと九尾が呟く。
「しばらくは、妖怪側からも人間側へ出られへんようにしとくわ」
「……助かる」
サクヤが短く返す。
九尾は肩を竦めた。
「礼言われるようなことやない」
その視線が、なゆたへ向く。
少しだけ、優しく。
「もう無理に思い出さんでええ。酷なことをしたな…」
なゆたは顔を上げる。
九尾は続けた。
「記憶っちゅうんは、無理やり開けたら壊れる」
「特にな」
「お前みたいなんは」
黒い霧が、わずかに揺れる。
なゆたは、小さく俯いた。
何も言えない。
九尾は、そんななゆたを見て少しだけ目を細める。
「まぁ、どうせ嫌でも思い出す」
「……は?」
ニコが眉を顰める。
九尾の視線が、鬼面へ向く。
ひび。
確実に広がっている。
「その面、もう長く持たへん」
空気が張る。
サクヤが低く言う。
「壊れたらどうなる」
低い声。
九尾は少し黙る。狐火だけが、静かに揺れた。
「……わからん」
珍しく曖昧な答え。
「せやけど、ロクなことにはならへんやろな」
嫌な沈黙が落ちる。
その時。
クロガネが、ゆっくり前へ出た。
巨大な黒鎧。
赤い目が、なゆたを見下ろす。
「王」
「その呼び方やめて」
即答だった。
クロガネは少し黙る。
だが。
「命令受領済み」
「変更不可」
「融通効かないわね……」
ニコが頭を抱える。
ヤマトが小さく舌打ちした。
「昔の護衛連中は、ほんと面倒なんだよ」
クロガネは気にしない。
そのまま、静かに膝をついた。
「自分はここへ残留する」
全員が見る。
「……残るの?」
なゆたが聞く。
クロガネは頷いた。
「巨体は目立つ」
「妖気も強い」
「人間界側での行動には不向き」
サクヤが静かに頷く。
「妥当だな」
クロガネは続ける。
「自分は、妖怪側の監視を行う」
「異変があれば即座に報告する」
ヤマトが少し目を細めた。
「便利な奴だな」
「任務遂行中」
真顔だった。
ニコが思わず吹き出す。
「真面目すぎでしょ」
少しだけ空気が軽くなり、
なゆたは、クロガネを見る。
巨大な鎧。
怖いはずなのに。
不思議と、嫌じゃなかった。
「……クロガネ」
「は」
「頼める?」
クロガネは、静かに頭を下げる。
「仰せのままに」
その瞬間。
周囲の妖気が、ほんの少し静まった気がした。
九尾がその様子を見て、小さく笑う。
「……ほんま王みたいやな」
なゆたは顔を顰めた。
「違う」
「ボクは王なんかじゃない」
九尾は、少しだけ寂しそうに笑った。
「王になりたい奴ほど、王には向かん」
狐火が揺れる。
「お前みたいなんの方が、よっぽど王らしい」
ヤマトが舌打ちする。
「余計なこと吹き込むな」
「事実やろ」
「黙れ狐」
「怖いわぁ」
ニコが小さく笑った。
その空気が、少しだけ昔を思わせる。
誰も口にはしなかったけれど。
やがて、境界の扉が開く。
揺れる光。
人間界への道。
サクヤが先に歩き出した。
「行くぞ」
ニコも続く。
ヤマトは最後まで、なゆたの隣にいた。
なゆたは、一度だけ振り返る。
九尾。
クロガネ。
赤い空。
妖怪の国。
戻りたくないと、そう思っていた場所。
なのに。
胸の奥が、少しだけ痛かった。
九尾が小さく手を振る。
「またな、なゆた」
その声に、なゆたの目が揺れる。
境界へ踏み込もうとして——
ふと、足を止めた。
振り返る。
狐火の奥。
そこにいる九尾を見て、自然に言葉が零れる。
「……白夜」
空気が止まった。
九尾の目が、わずかに見開かれる。
なゆた自身も、少し驚いたように目を瞬く。
「……ありがと」
静寂。
狐火が、ふわりと揺れた。
九尾は少しだけ目を伏せる。
そして。
「……どないしたん」
困ったように笑った。
「急に昔みたいに呼ばんといてや」
その声は、どこか嬉しそうで。
少しだけ、苦しそうだった。
なゆたは、何も返せなかった。
ただ。
胸の奥が、少しだけ温かかった。
4人は再び、人間界へ戻っていく。
知らないまま。
境界の歪みが、
さらに広がり始めていることを。
ここまで見て下さりありがとうございます。
九尾の名前公開されました。よかったね、白夜




