壊れた記憶
崩壊が、迫っていた。
境界の天井が砕け、
黒い瓦礫のような闇が降り注ぐ。
空間そのものが悲鳴を上げている。
「走れ!!」
サクヤが叫ぶ。
槍を振るい、
落ちてきた破片を弾き飛ばす。
ニコも爪を振り抜いた。
鋭い斬撃が、
迫る闇を引き裂く。
「なゆた!!」
だが。
なゆたは動けなかった。
「兄ちゃん…」
震える声。
視線は、
ヤマトから離れない。
ヤマトは何も言えない。
本当に、
失いたくなかった。
「兄ちゃんは、兄ちゃんだよね…」
掠れた声。
「…当たり、前だろ」
なゆたの瞳が揺れる。
頭の奥が、
軋む。
誰かの声。
血の匂い。
知らないはずの記憶。
なのに。
胸が裂けそうになる。
「ぁ……」
黒い霧が、
一気に溢れ出した。
境界が大きく揺れる。
「まずい!」
サクヤが顔を上げる。
「妖気が境界を押し潰してる!」
九尾の狐火が、
静かに揺れた。
「記憶と妖気が繋がっとる」
低い声。
「抑え込んでた蓋が、割れかけとるんや」
「だったら止めなさいよ!」
ニコが叫ぶ。
九尾は、少しだけ目を細めた。
「無理や」
「今こいつ止めたら、心まで壊れる」
なゆたは、耳を押さえる。
うるさい。
頭の中が。
知らない声で、いっぱいになる。
"なゆた"
「やめ……」
呼吸が乱れる。
パキッ。
小さな音。
その瞬間。
なゆたの視界が、赤く染まる。
屋敷が。
血が流れている。
誰かが倒れている。
その中心で。
幼い自分が、震えていた。
「……ぁ」
その前に立つ背中。
大きな背中。
優しい声。
振り返った顔。
血塗れの、
兄。
「……兄、さ…」
次の瞬間。
黒い影が、
兄の胸を貫いた。
「——ッ!!」
なゆたが叫ぶ。
同時に。
黒い霧が、
爆発した。
境界が、
完全に軋む。
「っ……!!」
ニコが吹き飛ばされる。
サクヤも槍を地面に突き刺し、なんとか耐える。
ヤマトは、重い足を前に出しなゆたをしっかりと抱きしめる。
「なゆた!!」
だが。
なゆたの暴走は大きかった。
抑え込むには限界だった。
膝をつく。
「ヤマト!」
ニコが叫ぶ。
それでも。
ヤマトは立ち上がる。
赤い目のまま。
傷だらけのまま。
「……大丈夫だ」
掠れた声。
「お前は、一人じゃない」
なゆたの瞳が、
ゆっくり揺れる。
ヤマトの声。
知らない声。
重なる。
違うのに。
違うはずなのに。
胸の奥が、苦しくなる。
「……なんで」
「なんで、そんな顔するの」
ヤマトは少しだけ笑う。
苦しそうに。
「兄ちゃんだからだよ」
それでも。
「兄ちゃんだから妹のお前を守りたいのは、当たり前だろ」
ヤマトは大事そうになゆたの髪を撫でた。
静寂。
その行動に、
なゆたの中で、何かが崩れた。
同時に。
何かが、繋がった。
黒い霧が、
ゆっくりと静まり始める。
「……あ」
九尾が小さく目を細めた。
「止まった……?」
サクヤも息を呑む。
暴走していた妖気が、少しずつ収まっていく。
なゆたは、震える手でヤマトの背中に手を回す。
泣きそうなのに涙が出ない。
「……ごめん」
誰に向けた言葉か、自分でもわからなかった。
その時。
境界が、完全に裂けた。
巨大な亀裂。
その向こうに、赤い空が見える。
「出口だ!」
「飛び込め!!」
ヤマトはなゆたを抱き上げ出口に一直線に走り出した。




