歪み始めた均衡
ピンチはピンチです
静寂が、遅れて戻ってきた。
さっきまであった重圧は消えているはずなのに、
胸の奥にだけ、残っている。
息が、浅い。
「……はぁ……」
ニコが床に座り込んだまま、天井を見上げる。
「意味わかんないんだけど……あれ」
「理解する必要はない」
サクヤが短く言った。
「理解できる領域じゃない」
「だとしてもよ……」
ヤマトが舌打ちする。
大剣を肩に担ぎ直しながら、わずかに眉を寄せた。
「このまま引くしかねぇってのが、一番気に食わねぇ」
誰も否定しない。
否定できない。
「……戻るぞ」
サクヤが周囲を見渡す。
境界はまだ歪んでいる。
ここに長くいれば、何が起きるかわからない。
「出口はあっちだ」
歩き出す。誰も反対しなかった。
足音だけが、やけに響く。
さっきまで気にならなかった“静けさ”が、
今は逆に気持ち悪い。
「……なゆた」
ヤマトが、隣に並ぶ。
「平気か」
「……問題ない」
短く答える。
だが。
その声に、わずかな重さがあった。
黒い霧は、まだ消えていない。
袖の奥で、じわりと滲んでいる。
(……抑えろ)
意識を集中する。
押し込める。
それでも、完全には消えない。
「無理すんなよ」
ヤマトが言う。
「お前、さっき——」
そこで、言葉が止まった。
「……?」
なゆたが視線を向ける。
ヤマトは、少しだけ首を傾げた。
「……いや」
小さく息を吐く。
「なんでもねぇ」
そのまま前を向いた。
——違和感。
ほんの一瞬。
ヤマトの目が、どこか別の場所を見ていた。
(……今の)
なゆたは、何も言わなかった。
歩く。
暗闇の中。
扉の群れを横目に、出口へ向かう。
その時だった。
——ザ、と。
ヤマトの足が、一瞬止まる。
「……?」
ニコが振り返る。
「どうしたの?」
「……いや」
ヤマトは、すぐに歩き出した。
「ちょっと足引っかけただけだ」
軽く笑う。
いつも通りの、軽い調子。
——だが。
その手。
大剣を握る指が、
ほんのわずかに、強く食い込んでいた。
(……違う)
なゆたの胸の奥が、ざわつく。
「……急ぐぞ」
サクヤの声が落ちる。
「ここ、長居する場所じゃない」
「了解」
ニコが立ち上がる。
その瞬間。
ヤマトの視界が、歪んだ。
——黒。
——赤。
——揺れる影。
「……っ」
頭の奥に、ノイズが走る。
「——まだやで」
声が、落ちた。
ヤマトの動きが止まる。
「……今の」
誰にも聞こえていない。
「なんだ……?」
額に、じわりと汗が滲む。
「どうしたの?」
ニコが近づく。
「顔、ちょっと変よ」
「……いや」
ヤマトは首を振る。
「気のせいだ」
——ほんまに?
また、声。
今度は、はっきりと。
「っ……!」
視界が一瞬だけ暗転する。
その瞬間。
ヤマトの腕が、動いた。
無意識だった。
大剣が、振り上がる。
「——え?」
ニコの目が見開かれる。
振り下ろされる。
“本気”の一撃。
避けられない。
——その直前。
ガキンッ!!
なゆたの大鎌が、割り込んだ。
衝撃。
火花。
「……ヤマト」
低い声。
大鎌で受け止めたまま、なゆたが睨む。
「何してる」
ヤマトの目が、揺れる。
「……は?」
大剣を押し込んでいた腕が、止まる。
「……なんで」
自分の動きに、遅れて気づく。
「今の……」
ニコが後ろに下がる。
呼吸が乱れている。
「ちょっと……今、完全に殺しに来たんだけど」
「違う…!」
ヤマトが即座に否定する。
「違う、俺は——」
言葉が、続かない。自分でも、わかっている。
今の一撃は、
“本気”だった。
「……意識は?」
サクヤが低く問う。
「ある」
「じゃあ説明しろ」
「……できねぇ」
沈黙。
なゆたは、ゆっくりと大鎌を下ろした。
だが、構えは解かない。
黒い霧が、わずかに揺れる。
(……やっぱり)
確信に変わる。
「……来てるね」
小さく呟く。
「なにがだ」
ヤマトが睨む。
「九尾の術」
空気が、凍る。
「は……?」
「完全じゃない」
なゆたは続ける。
「でも、繋がってる」
ヤマトの表情が、歪む。
「冗談はよせ」
「本当のことだよ」
静かに言う。
「さっきの戦闘で、触れられてる」
「そんなもん——」
否定しようとして、止まる。
思い出す。
あの一瞬。
目が、合った。
「……っ」
拳を握る。
「……マジかよ」
その時だった。
——ようやく気づいたか
声が、はっきりと響いた。
ヤマトの中に。
「っ……!!」
顔を上げる。
誰もいない。
「どうしたの!」
ニコが叫ぶ。
「来てる」
ヤマトが、低く言う。
「……中にいる」
背筋が、凍る。
「もう半分やな」
声が、笑った。
「次は、ちゃんと使わせてもらうで」
ヤマトの視界が、わずかに染まる。
黒く。
「……っ、クソ……!」
歯を食いしばる。
大剣を握る手に、力が入る。
「ヤマト」
なゆたが呼ぶ。
その声に、
ほんの一瞬だけ、意識が戻る。
「……まだ、大丈夫だ」
低く言う。
「でも——」
視線が揺れる。
「長くは、もたねぇ」
静寂。
全員が理解した。
これは——
始まったばかりだと。
黒い霧が、わずかに揺れる。
そして。
見えない何かが、確実に、
内側から食い込んでいた。
——次は、お前が刃になる番や
その声だけが、
消えずに残った。
ここまで見て下さりありがとうございます。
明るいキャラの闇は好物です




