半妖、故郷へ戻る
10話まで一気公開しました。
世界の“音”が、完全に消えた。
足を踏み入れた瞬間だった。
風の音も、衣擦れも、呼吸すら遠い。
そこにあるはずのものが、何一つ実感できない。
「……っ」
ニコが思わず肩を震わせる。
「ここ、こんな気持ち悪かったっけ…?」
声は聞こえた。
だが、口が動いてから少し遅れて耳に届く。
まるでこの空間そのものが、時間を噛み砕いているようだった。
「こんなもんだ」
サクヤが短く告げる。
その声だけは、不思議とはっきり聞こえる。
「人間界と妖怪の国、その狭間にある場所だからな」
ヤマトが軽く返す。
だが、その表情に余裕はなかった。
「やっほー」
「…なにしてんだニコ」
「やまびこみたいじゃない?」
「はぁ…あまり浮かれてると空間に引っ張られるぞ」
「先に言いなさいよ!」
「言う前に見たろ」
ヤマトが鼻で笑う。
そのやり取りに、ほんの少しだけ空気が緩んだ。
だが、なゆたは笑えなかった。
鬼の面の奥で、呼吸を整える。
……おかしい
黒い霧が、止まらない。
抑えているはずなのに。
押し込めているはずなのに。
指先から、袖口から、わずかに滲み出ていた。
まるでこの場所が、自分の中の妖気を呼び覚ましているようだった。
「なゆた」
ヤマトが隣から声をかける。
「平気か?」
「……うん」
短く返す。
だが、その直後。
カチ。
小さな音が響いた。
全員の視線が集まる。
なゆたの顔につけられた鬼の面。
その右端に、細いひびが走っていた。
「……おい」
ヤマトの声が低くなる。
「面、割れてんぞ」
「この程度なら問題ないよ」
そう言いながらも、なゆた自身わかっていた。
これは、ただのひびじゃない。
何かが——この面を内側から押している。
「急いだ方がいいわね」
ニコが真顔になる。
「ここは長居していい場所じゃない」
「同感だ」
サクヤは前方を見据えた。
闇の先。
何もないはずの空間に、わずかな揺らぎがある。
「出口が近い」
4人は足を進める。
歩いている感覚は薄い。
地面に触れているのに、沈んでいくような奇妙な感覚だけが残る。
その時だった。
ふ、と。
暗闇の奥に、青い火が灯った。
一つ。
また一つ。
さらに一つ。
無数の火が、闇の中に浮かび上がる。
「……狐火」
サクヤが呟く。
ヤマトの表情が険しくなる。
「まじかよ」
火は揺れながら、ゆっくりと道を作るように並んでいく。
その中央。
誰もいないはずの場所から、声が響いた。
低く、穏やかで、
ぞっとするほど柔らかい声だった。
「よう帰ってきたなぁ、半妖」
空気が凍る。
なゆたの足が止まる。
その声は、耳ではなく胸の奥に直接落ちてくるようだった。
「……九尾」
サクヤが低く吐き捨てる。
「本人じゃない」
すぐに続ける。
「気配だけ飛ばしてる」
「趣味悪っ」
ニコが舌打ちした。
声は楽しげに笑った。
「連れも一緒やなんて、ええことや」
「歓迎したる」
ヤマトが一歩前に出る。
「出てこいよ」
「話があるなら顔見せろ」
「せっかちやなぁ」
声が笑う。
「そんな焦らんでも、すぐ会える」
その瞬間。
狐火が一斉に揺れた。
なゆたの指先から、黒い霧が大きく溢れる。
「……っ」
呼吸が乱れる。
視界がぶれる。
「なゆた!」
ヤマトが咄嗟に手を掴んだ。
妖気を吸い上げる。
胸の奥の暴れる何かが、少しだけ静まる。
「はぁ……っ」
「大丈夫か」
「……まだ、平気」
九尾の声が、また笑った。
「無理すんなや」
「壊れてしもたら、つまらへん」
「うるさい」
なゆたが低く吐き捨てる。
その声に、狐火が揺れた。
「ええ目になったなぁ」
「ほんまに、よう似てる」
「……誰に」
返事はない。
代わりに、すべての狐火が同時に消えた。
闇が戻る。
そしてその先に——
巨大な門が現れていた。
いつからそこにあったのかもわからない。
黒鉄でできたような重い門。
左右には獣の像。
門の向こうには、赤い空が見える。
「……あれが」
ニコが息を呑む。
「妖怪の国」
サクヤが静かに告げた。
なゆたは、門を見上げる。
胸の奥がざわつく。
懐かしさと、嫌悪と、恐怖。
全部が混ざって押し寄せてくる。
鬼の面のひびが、さらに小さく軋んだ。
ヤマトが隣に並ぶ。
「行けるか」
なゆたは、ゆっくりと頷いた。
「……行く」
その声に迷いはなかった。
門の向こうにあるものを、
自分の目で確かめるために。
四人は、巨大な門の前へ歩き出す。
ここまで見て下さりありがとうございます。
ミスがあり再投稿という形を取らせてもらいました。
カラスの求愛に対する熱も消えて悲しいです




