密着四日目から八日目
プテラノドンを捕獲するタイミングを逃さぬよう、見張りを続ける河丘とホセさん。ホセさんが眠る間は河丘が、河丘が眠る間はホセさんが、倒木に身を隠しながらプテラノドンの出現を待つ。しかし、ターゲットは未だその姿を見せることはない。我々は、ただ流れる川を眺めているも同然である。
本当にこの場所に現れるのか。はたまた我々が見張っていることに気づいたプテラノドンが、どこかに隠れて様子をうかがっているのか。今、河丘の頭の中を支配しているのは疑念だ。「他の場所に移ったほうがいいのか」という考えが何度も脳裏をよぎる。けれど、場所を移すとしてもどこに陣取れば良いのかはわからない。下手に場所を変えれば、プテラノドンと行き違いになってしまう可能性もある。
やはり、どれだけ疑心暗鬼になろうとも、ここから動くわけにはいかないのだ。
次の日も、その次の日も、またその次の日も、河丘とホセさんは待ち続けた。着々とタイムリミットが迫る。食料が底を尽きそうだ。食パン一枚で一日の飢えを凌がなければならないほど極限の状況が続く。プテラノドンが現れるのが先か、我々が餓死するのが先か。時間との戦いである。
また一日が終わろうとしていた。暗くなり始めたら松明を作る。それが河丘の日課になっていた。
そのとき、河丘は突如として松明を作る手を止めると、ライフル銃に飛びついて構える。まさか、プテラノドンが姿を見せたというのか。
だが、銃口が向いている先には何もいない。見えるのはアマゾン川の濁流だけだ。鳥と思しき鳴き声は聞こえるが、声の主はここから少なくとも数百メートルは離れたジャングルの中。ライフル銃で狙うことなど到底できない。
ここ数日眺めてきた光景と変わったところはないが、なぜ河丘は突然ライフル銃に飛びついたのだろうか。
河丘「川の上に何かが浮いているのが見えたんだ。プテラノドンかと思ったが違った。あれは、死んだ隊員たちだった。怪力、O型、ガリ勉、山猫……あいつらが川の上に浮かんでいるのが見えた」
そう口にする河丘だが、その視線の先にはやはり何もいない。川の上に現れたという死んだ隊員たち。それは飢えを耐える河丘が限界を迎えたことで見た幻覚だったのか、それとも隊員たちの霊魂だったのか。
河丘「たぶん、あいつらからのメッセージだ。ここでプテラノドンを待ち続けろというメッセージ……俺はそう信じる。ここで待っていれば、必ずプテラノドンはやって来る」
自らに言い聞かせる河丘。彼が見たという隊員たちの姿が仮に幻覚だったとしても、マイナスに作用したわけではなさそうだ。河丘が自身の精神を安定させるきっかけになってくれたようである。けれど、問題が解決したわけではない。河丘の発言は精神論だ。いくら気合を入れ直したところで、腹は減る。我々の命の灯火が着々と消えつつあることに変わりはない。
ホセ「もう無理です……これ以上ここに残れと言うのなら……もっとマネー、もらいます。元々の十倍のマネー……ください」
河丘の隣で倒木にもたれかかりながら、そう漏らすホセさん。あまりの空腹で、眠ることさえできないようだ。極限の絶食状態に追い込まれてもなお、ホセさんの要求は金。だが、今の彼に金を渡しても、そのまま胃の中に入れてしまいそうである。いくら金があったところで、ジャングルの奥地では食事にありつくことなどできない。
河丘「わざわざ交渉しなくていい。俺に失うものは何もない。いくらでも払う」
河丘はホセさんを一瞥することなく吐き捨てた。腹を括ったような言葉だったが、どこか感情がこもっていない。無事に帰還し、報酬を払える保証などないのだ。ホセさんといくら約束をしたところで意味はないと、河丘は考えているのだろう。
この夜も、プテラノドンを拝むことなく明けていくことになる。
翌朝、我々スタッフは何かを焼く香ばしい匂いで目が覚めた。朝霧に混じり、我々の周囲に白い煙が漂っている。煙の発生源は数メートル後方、河丘が作った焚き火だった。火を囲むように木の枝がいくつも地面に刺さっている。その先端には、じりじりと火で炙られ赤色から茶色に変わっていく肉の塊。
河丘「食料が尽きそうだったからな。朝方、猿を何匹か仕留めた。これでしばらくは食いつなげるだろう」
河丘は我々スタッフが寝ている間に狩りをしていたのだ。さすがはサバイバルのエキスパート。持参した食料が尽きた場合、現地調達する術も心得ている。得体の知れない猿の肉を食べるのは不安だったが、河丘は「どんな動物でも火を通せば食べられる」と断言した。さまざまなジャングルを経験し、何度も生還した彼の言うことならば間違いない。
河丘「もっと早く調達しておけば良かったが、ここまで長期戦になるとは思わなかったのでな……さあ、食べよう。何日かぶりの、ちゃんとした飯だ」
肉が刺さった枝の一本を手に取り、豪快にかぶりつく河丘。噛みちぎった部分は、わずかに赤みを帯びている。外はしっかり、中は適度に火が通ったミディアムレア。数回咀嚼しただけで飲み込んだ河丘の様子を見るに、かなり柔らかい肉と見受けられる。そして「うまい!」と口にする彼は、まるで焼肉店のコマーシャルに出演しているかのようだ。見ているだけで涎が出てしまう。
我々も肉に食らいついた。何の味付けもされていない肉。しかし、うまい。舌を圧迫するような重く濃厚な味に、わずかに混ざる鉄の匂い。これが、肉が持つ本来の旨みとやらなのだろう。今この瞬間、初めて実感できた気がする。霜降り黒毛和牛にも負けていない。
食べた肉がエネルギーに変換され、血流に乗って体の隅々に行き渡っていくのを感じる。日に日に痩せ細っていた体に、足りなくなった分の筋肉がつけ足されていくかのようだ。おそらく今後、どんな肉を食べたとしても、これには匹敵しないだろう。
夢中で食べ、焼いてあった肉はあっという間になくなってしまった。快楽の時間ほど、光の速度で過ぎていく。だが、腹は充分に満たされた。予備の肉も残っている。もうしばらく、プテラノドンとの駆け引きを続けられそうだ。
そのとき、あることに気づく。ホセさんがいない。思えば、肉を食べているときから彼の姿が見えなかった。
河丘に尋ねると、「ホセさんは夜明け前に帰った。引き留めたんだけどな」と言う。あれほど金に執着していたホセさんが、成功報酬を受け取る前に一人で帰るとは思えない。だが、河丘は「何も不思議なことはない」と続けた。
河丘「人間、いざとなったら金なんかより命のほうが大切だ。己の命が惜しくなって、ジャングルから尻尾を巻いて逃げ出す奴を、俺は何人も見てきた。ホセさんには最後まで付き合ってほしかったが……どうしてもと言うのなら仕方がない」
余った肉をマチェーテで切り分け、元々食料を入れていた空のタッパーに詰めていく河丘。厳しい言葉を吐く彼だが、その表情は憑き物が落ちたかのように穏やかである。満腹になったことで精神的に安定したからか、あるいはホセさんに報酬を支払う必要がなくなったからか。
結局、河丘はどんな種類の猿を狩ったのか教えてくれなかった。




