第三話 救い人 その2
彼女と親しくなるにはどうすれば良いのだろうと、私は時雨家で椅子に腰かけながら、上を向いて考えていた。
・視点 三司清美
「誰か教えてくれないかなあ」
そんな、救いを求める小さな呟きは、ちりじりになって風に運ばれていく。意味のない言葉をこれ以上乞うわけにもいかず、私は何とか自分の頭で考えることにする。
最後にしたアプローチは、あの親戚の集まりの日。綾音と二人で机の準備をしていたところにやって来た彼女に話かけてみたものの、返事の一つももらえないまま立ち去られてしまった。
話の話題的に、あの時は誰かに嫌がらせを受けた後だったらしく、その後部屋から出てこなかったことから考えるに、きっとあまり顔も知らない誰かに構う程の心の余裕がなかったのだろう。うん、きっとそうに違いない。
「違いないと、いいんだけどなあ……」
何て、また吐き出す意味のないものを呟いていると、
「お待たせ」
そんな声とともに、綾音が二人分の麦茶をもってようやく部屋に入ってきた。私は自分の分を受けとると、気づけば乾ききっていたのどを潤すべくさっと口にする。冷えた麦茶は、とどまることもなく濁流のように私の喉元を過ぎていった。
そうして、一息ついた私は、綾音と向き合う。
「ごめんなさい、急に来たりして」
忙しいであろう家の主人の時間を使わせてしまっている事に申し訳なさを覚えてそう言うと、
「何言ってるの、清美ならいつでも大歓迎」
そんな返答と共に、主人は笑顔を返してくれた。
「そう? ならいいけど」
「で、今日の要件は何……って、聞くまでもなく、祈李よね」
「ええ、正解。百点あげるわ」
「めげないねえ、集まりの時もあからさまに拒絶されてたのに」
呆れた、とでもいうような声音で、綾音はおそらく思い返しながらそんな判り切ったことを言う。
「言われなくてもわかってるわよ」
「にしても珍しいね、清美がこんな強硬策に出るなんて」
「今はこれ以外の器用な手が思いつかなくってね、しょうがなくよ」
身振りを添えて、私が冗談めかして答えると、
「……やっぱり、友寄君の影響?」
綾音は、ふいにそう聞いて来た。
「さあ、どうかしらね」
わざわざ名前を出してきた意味を推測しながら、私はそう曖昧に言い返す。といっても、ズバリ当たっている時点で、おおよそ言いたいことは分かっているけど。
「彼、丁度昨日連絡くれたわよ。数日後にはこっち来るってさ」
「知ってる、来る前に聞いてたもの」
「意外、連絡とってたんだ」
「先を越されちゃったけど、私も責任を取ろうとは前々から思ってたから。だから、いい機会だと思ってね」
「成程、だから帰ってきたわけか」
思い至っていただろうに、それとも、改めて確かめたからか、どちらにしても、彼女は納得が言ったという風に頷いた。それが、ほんの少し、ほんの少しだけ、むっと来て、
「ええ。じゃなきゃ帰ってこないわよ、こんなとこ」
皮肉交じりにそう言うと、彼女は、
「それもそっか」
なんて、そっけなく返されて、それがまたむっと来た私は、気づけば、そのまま本音を零してしまっていた。
「……あの子も、帰って来るべきじゃなかったのよ」
そう言うと、僅かに彼女の表情は、何か動いたように見えて、
「……清美には、そう見えた?」
探りを入れるようなその言葉に、私は真正面から答えを返す。
「見える見えないじゃなくて、事実よ。本当、何考えてるんだか」
「友寄君の事だから、考えなしってことは絶対にないと思うけど」
「それくらいは分かるわよ、彼以上に努力が似合う人は知らないもの」
「認めてるんだ」
「……ただの僻みよ、彼が逃げるのをやめたから、私も向き合うしかなくなったんだもの」
そう、ほんの少し憎しみを込めて返すと、綾音の表情は、更に陰って、そして、
「変わらないのね」
「生憎、こういう生き方しかできないから」
「まだ、そう言ってるんだ」
今度はあからさまに少し声色が変わる。けれど、綾音の顔を見ると、先程までと同じように、陰りを宿しながら笑みを浮かべていた。そんな彼女に、
「綾音」
「何?」
耳を向けたのを確認した私は、弁解ではないけれど、これ以上険悪になっても意味が無いと、言い訳と、今の心の立場を伝えることにした。
「一つ、言っておくけど、私は今でもあの人たちの事、憎んでる」
「だから?」
「だから、言い訳にしかならないのは分かってるけど、あの時は、もうこれ以上自分の人生を縛られたくなかったの。たとえそれが、あの子の不幸と引き換えだったとしても。それだけは、分かって」
ほんの少し、顔なじみを利用して情に訴えかけるように最後にそう付けたものの、どうにも、意味はなかったらしい。
「……それで納得させれると思う? 私を」
「いいえ。思ってないし、求めてもない」
「そう」
「でも、今のあの子を救いたいって思ってるのも本当なの」
そう伝えると、とうとう堪えきれなくなったのか、作り続けていた笑みを崩すと、
「矛盾してるよ、それ」
そんな、今更わかり切った指摘に、
「ええ、だって、元から歪んでるもの」
ただそう返すと、私は椅子から立ち上がる。
「もう行くの?」
「ええ、また来るわ」
「そう」
その言葉を最後に、今日の会話は終わりとなった。私は振り向かずに廊下へ出ていくと、そのまま玄関へと歩みを進め、扉を開けて外に出る。すると先ほどまで商事やらで遮られていた日差しが、容赦なく私を照らしつけた。
そんなそれをうっとおしく思いながら暫く歩いていくと、ある所で、私は見知った道へとたどり着いた。目の前の分岐は、片方は家へと、もう片方は町の外へと続くバス停へと続いている。
ほんの少し迷ってから、私は家の方へと足を向けた。
「ただいま」
習慣的にそう言ったが、誰もいないのが分かっているので返答は待たず、すたすたと居間へと向かう。机と座布団だけが無造作に置かれたその空間は、相変わらず整然とした様子で私を出迎えた。
私は床に無秩序に並べられた座布団を動かすと、人目を気にせずどさりと寝転がる。そうすると、先ほどまでの理性は消え、私という本能が、不快さとともに目を覚ました。
わずかに軽蔑と嫌悪の溢れた眼差しが脳裏に浮かぶ。
「いいじゃない、幸せなんだからさ」
人前ではいえないようなことを、ぼそりと呟く。これも分かってはいたけれど、しばらく待っても、その声に返される音は何も無かった。心にもない言葉を聞かれなかったことに安堵した後、あのやり取りを思い返す。どれだけ、嘘をついただろうか。
綾音には……子を持つ親には、さぞ身勝手な屑に見えたに違いない。それは仕方がない、事実なのだから。彼女は愛や勇気がある立派な人間だ。嫌悪して、逃避して、忘れようとして、それでも逃れられなかった私とは違う。
「私が――」
何度も口から出そうとした言葉が、今日も喉につっかえる。その言葉が出た彼の顔が頭に浮かび、私の心から何かが零れる。
先を越された劣等感、追いついてやろうという対抗心、そしてまた、一歩踏み出すことを躊躇わせる言い訳。
いやに巡りだした思考を振り払おうと、私は勢いよく体を起こす。現実へと心を戻した私は、立ち上がって歩む。
居間をでて、いくつかの部屋を過ぎ、一つの扉を開ける。他の部屋とは打って変わり、そこにはいくつも物が、過ぎ去った日々をつなぎとめるように残っていた。
何度も、何度も片づけられようとした。親に、親戚に、そして私に。けど彼らはそれを、ありとあらゆる手段で回避する。まるで、部屋の主が戻ってくることをずっと待っているように。記憶の奥底から、私の名を呼ぶ声が聞こえる。
明るくて、いつも自由で、正直者で、好かれていて、それが羨ましくて、妬ましくて、憎くて憎くてしょうがなかった、忽然と消えて、そのまま私を置いていった人。
――もしも、もう一度だけ会えるなら、私は何を言うのだろうか。




