第三話 救い人 その1
初々しさの残る時は過ぎ、暑さは盛況を迎える。人々は文句を言いながらも、その青さに心を躍らせる。
陽光の下、人々は今日も日々を過ごす。幸福も、不幸も、何もかもが等しく照らされる季節に、私の運命は変わっていくのだ。
【2019年 8月1日】
・視点 三司祈李
今日も木々の影に身を潜めながら、二人だけの時間を過ごす。澄希さんはすっかり慣れた手つきでカセットを取り出すと、いつものように一息ついて、彼女は言葉を紡ぎ出した。
「ありがとう、今日もよかった!」
「ならよかったです」
「特に三番目の……えっと、何だったっけ」
「G線上のアリアですね」
「あ、そうそう。やっぱりいいねえ」
「まあ、これだけ長く聞かれてるだけはありますよね」
「そうだねえ」
うんうん、といった様子で澄希さんが頷く。そんな光景を眺めながら、私はこの感じが日常になって来たなあと、ふと、そう思った。
あの日からというもの、私達は毎日二人で会っていた。私がプレーヤーを選んだカセットとともに持っていき、澄希さんがそれを聞いて、それから二人で感想を話しつつ雑談する。
ありきたりのようにも思えるこの時間が私には新鮮で、何よりも、友達と一緒にいるようで楽しかった。
「……り、祈李?」
「えっ、ああはい、何ですか?」
自分でも思っていたより長く思考にふけってしまったいたらしく、名前がようやく耳に届いた私は、そんな素っ頓狂な返事をする。
「もう、暑さにやられちゃった?」
「すみません、ちょっと考えごとをしてて」
「そう、ならいいんだけど」
言いつつも、澄希さんの顔には若干の心配の色が残っていて、どうしてだろうと思ったけれど、この前の悪夢を見た時と同じような状況になっていたことに気付いて、成程と思った私は、いつもより少し声を明るくして話を続けることにした。
「それで、何の話ですか?」
「いやまあ、特に話題があったわけじゃないんだけど」
「そうですか」
「そうなんです」
「……えっと、じゃあ何か話しますか。」
「話、話かあ……」
そういって、澄希さんはうーんと悩みだした。そのまま暫くの間俯いて真剣に悩んでいる素振りをしていたが、何か思いついたのか、突然彼女は顔を上げる。
「何か思いつきました?」
すると、澄希さんが無言で指をさしてきた。後ろを見てみるも、何もない。もう一度澄希さんの方を見ると、今だ私の事を指さし続けている。
「えっと、もしかして私ですか?」
「あったり~!」
「……えっと、どういうことですか?」
「いや、そういえば祈李のこと全然まだ知らないなあって思って」
そう言われて、今までのことを思い返すと、確かに自分の事を何も話していなかった。いや、というより多分、無意識に避けていたのだろう。
そう思い至って、私は考える。彼女には、自分でも確かに少し心を開き始めているような、そんな気がしている。でも、それでも未だ、この一線を越えるのはまだ決心がつかない。
それから、暫く悩んで、悩んで、悩んで。体感では一日が終わってしまうくらいに悩みぬいた私は、一つ、あること確かめるために、その質問を聞くことにした。
「澄希さん」
「お、教えてくれる気になった?」
「…………その前に、一つ、いいですか?」
「え? まあいいけど」
そうして、許可を取った私は、ばれないくらい小さく深呼吸をして、
「澄希さんは、私の事、どう思ってますか?」
そう、彼女に問いかけた。
「……えっと、それってどういうことで……」
意図を理解していないらしい彼女を見て、私はいつもは出るはずのいじけを捨てて、一歩踏み込むと、
「理由は後で言うので、とにかく、答えて貰えませんか」
これまで彼女と話した中で何よりも真剣に、何よりも真面目に、そして、何よりも臆病になりながら、私は彼女に詰め寄る。一歩、随分と重い、一歩。勇気を振り絞ったそれにどう返されるのかと思いながら私が待とうとした、その一瞬の後
「友達」
「……え?」
一拍も置かず、はっきりと澄希さんは答えた。その、はっきりと、でも、余りにもあっさりとした返答に、私は思わず驚き、うわごとのようにその言葉を繰り返す。
「とも、だち?」
「うん」
「とも、だち」
「そうだけど」
当たり前。そういうようなまっすぐな眼差しが、私の胸に突き刺さる。血縁というわけでもなく、押し付けられたわけでもなく、仕方なくというわけでもなく、数日前まで赤の他人であったはずの私を、彼女は確かに友達と、対等な関係であると口にした。
「いいん、ですか?」
「いいんですかって、友達は友達でしょ」
「でも、私たちの関係って、プレーヤーを貸し借りする、それだけですよ」
「それだけって……」
「だって、プレーヤーがなかったら、澄希さんが私と関わる理由なんてないじゃないですか」
「……それ、本気で言ってる?」
「そうですよ。私たちのつながりなんて、それだけじゃないですか」
心が震える。認めたくなかった事実を自分自身に突き立てる。たまたま会って、たまたま話してくれて、それだけの関係性だった、それだけ、なのに、
「祈李」
名前を呼ばれて、私は湧き出る思考を抑えて、顔を上げる。すると、今まで見たことのないような真剣な表情の彼女が、そこにはいて、目線に気付いたその口元が、ゆっくりと開かれた。
「……あなたが、今までどんな風に生きてきたのかは知らない。けど、この数日の関係は、それだけなんかじゃない。少なくとも私にとっては、楽しくて満ち足りた、友達との時間だった」
友達との時間、彼女はそう話す。
「友達って言うのは確かに曖昧で、複雑な関係性だと思う。けど今は、もっと気軽に考えていいの」
その言葉には、優しさがあって、さっきまであったはずの分厚い心の壁が、溶けていくような気がして、けれど彼女の言葉は更に続く。
「数日会って、話して、なんとなくでも相手の事を知っている。ならもう、他人なんかじゃない。難しく考えなくてもいいの」
深く、深く、深く。言葉の一つ一つが自分に埋まっていく。
「もし、それでも貴方がこの関係を友達と呼べないのなら、構わない。これからの時間でそう呼べるようになっていけばいい」
「これからの、時間」
「そう、これからまだまだ関わっていけるんだから、少しずつあなたの思う友達になっていけばいい」
そう言いながら、澄希さんは、私にプレーヤーを渡す。丁寧な仕草で、割れ物を布で覆って護るように、そっと、私の空いた掌へ。
「これは、私たちの関係の証。今は違うかもしれないけれど、いつかこれが、友達の証になる」
「証、ですか」
「そう、証」
「その、良いんですか、本当に」
「いい、良いよ、良いんだよ。あなたと私は友達、ここで会って、音楽を聞いて、話をする、そんな友達」
不安げに問いかけた私に、彼女は一言一言、言い聞かせるように、言ってくれて、おかげで、私はやっと言葉を素直に受け取れて、私は、
「……ありがとう、ございます」
「お礼は結構」
「えっと、すみません……」
「謝らないの」
「……うん」
「さて、と」
そう言うと、彼女はおもむろに立ち上がり、それから、ずいと私の前に立つと、差し込む陽光を背に、私へ手を差し出した。
「えっと、これは」
「よろしく、ってことで、ね?」
澄希さんはにっこりと笑う。
「……はい」
そうして、私はその手を握る。彼女の背には、木々の隙間から漏れる暖かな光は未ださんさんと差し込んでいて、それが、いつも以上に眩しく思えた。
「それじゃあ、改めて。祈李のこと、教えて?」
その言葉を受けて、私は語る。まだ、核心には触れられないけれど、それでも、彼女に話す。私の、三司祈李のことを。
――彼女と、親しくなるために……




