第十六話 私が欲しかったもの その3
・視点 佐伯真那
今日という日をどう覚えておくのかと言われたら、私は、
「私が最後の最後で手を伸ばして、そして、役目を終え、只の傍観者になった日」
きっと、迷わずにそう答えるだろう。
朝、友寄さんに呼ばれ、あの場所で全ての真相を明かされて、そして、私にしかできないのだと彼女をこちらへと呼び戻す役割を託されて。きっと、これまでの私の人生で一番の勇気と覚悟を使って、結果、最後には自分の足で立ってくれた彼女を連れて、私はあの家へと向かい、そこで、私の託された使命は朽ち果てた。
だから、そこから先の全てで、私は傍観者と呼ばれるべきだろう。
友寄さんと彼女が話している時も、時雨家で彼女が出迎えられている時も、私の知らない何かがあった二人に、確かなものが生まれた時も、物語の登場人物としての役目を終えて、舞台袖の暗がりに佇んでいた私は、何も出来ず、何も話せず、只々、物語が進んでいくのを見ていた。
その行為に意味はなく、故に、記録された私の記憶にも、何一つとして価値はなく。ああ、例えば、
「…………何だ、言っていた割には随分愛されてるなあ、君」
そんな、何かを成し得ても尚誰かにさえなれなかったものの戯言なんて、特には価値はないだろう。
かくして、物語の華々しさの陰に隠れていた一人の結末は、そうして幕を下ろすのだった。
何て、そう思っていたというのに、
「ねえ、真那、一つお願いがあるんだけど」
唐突に、スポットライトを浴びせられて、
「…………大したことじゃないんだけど、今日は、一緒に寝てくれないかな」
主役と二人、大舞台に立たされてしまった以上、何もない私は私として、舞台に立たざるを得なくなった。
※※※※※※
・視点 三司祈李
「それで、何でわざわざ私を指名したのさ」
あの後、寝支度を終えて、飛び出したせいか散らばっていた布団たちを集め、いよいよ常夜灯を消して寝ようとしたその時、真那が、そんなことを聞いて来た。
答えようと振り返って、そこにいた彼女は、常夜灯によって橙に染まった部屋の中、気だるげに壁へともたれかかりながら窓の方を見つめていて、視線は私には向いていなくて、そのせいでできた影と残る薄暗さのせいで、その表情は分からない。
「何でって、わかってて来てくれたのかと思った」
「今更ながらに言っておくけど、私はこれでも察しの悪い方なんだよ。だから、理由なんて言ってくれなきゃわからない」
「………………ふうん」
「何さ、その曖昧な返事は」
返事をはぐらかされたように感じたのか、その声にはあからさまに不機嫌さが、いつものように、わかりやすく嘘っぽい感じでのせられていた。そんな、素直じゃない質問に素直に返す義理はない。
「いや、何で読んだかの理由もわからないのに来てくれたんだなあって思ってさ」
「当り前じゃないか。私にだって、まだ傷心かもしれない上に色々としでかした前例のある人間が甘えてきたら、それに答える優しさくらいあるよ」
「なんか、若干棘を感じるんだけど」
「それに関してはまあ、今日の事を振り返ればいいんじゃないかな」
心当たりはあるだろう? とでも言いたげな手をあげながら、そのまま眠ろうとしてか、真那は更にもたれかかると、光の当たり方が変わったからか、ほんの少しだけ口元が見えて、
「……そうだね、ありがとう、真那」
そう言って、真面目そうに一つ結びになっていた唇が歪んだをの確認した私は、
「だから、そんな真那に一つだけ、お願いしてもいいかな」
「…………今更改まらなくたっていいよ。それで、何?」
私は、真那にしか聞けないことを、一つ、聞いてみることにした。
「教えてほしいんだ、真那が、どうして真那になれたのかさ」
※※※※※※
・視点 佐伯真那
本当に、本当に、心の底から予測していなかった質問を唐突に飛ばされて、数秒間私の思考は停止したと思う。正直に言えば、何故あの場に訪れたのかとか、もっとそんな感じの内面を掘り下げられるかも何てのは考えていた。全てをとっくに洗いざらい話した以上、私が彼女のに伝えられるものといえば、残っているのはくだらない私の原動力だけだったから。
だからこそ、その質問の意味を、私は理解できなかった。勿論、今この場でそれを聞いてきた以上、彼女にとっては何かしら価値があるのかもしれない。けれど、それでも、私の心に湧くものは、そんなもの聞いてどうするんだという、純粋な疑問だけだった。
「私が私にって、どういうこと?」
おそらく酷い顔をしているであろう私と対称的に、彼女の表情は晴れ晴れとまではいかなくとも、どこか、一区切りついて安堵したように安らかで、だからこそ、質問の意図が分からなくって、そう聞いたのだけれど、
「言葉通りの意味だよ、真那が、どうして今の真那になった、いや、もしかしたらなれたっていうべきかな。それを教えてほしくってさ」
「…………役に立つの、それ」
言われ直されても尚、わかるどころか更にハテナが増えるばかりで、私はつい、そんなことを零した。すると、彼女は、
「それは、聞いてみてからじゃないと分からないかな。でもね、意味はあると思う。私が、私の本当の願いに辿り着くための一歩として、意味は」
「それに関することなら、ますます役に立つ気がしないんだけど」
素直にそう思って、私は彼女に言った。だけど、彼女は首を振って、
「役に立つは、考えなくていいよ。最初のどうして私を指名したのかって理由の答えでもあるんだけど、これに関しては、他でもない真那だから聞きたくて、真那だから聞けることなんだ」
「私、だから?」
「うん、真那だから。真那は、私が知っていて、私の事を知っていて、その中で一番、“普通に近い人”だから」
彼女にそう言われて、そこまで言われて初めて、私はようやく納得がいく。成程、確かにそうだ。彼女という人間に深く関わっていて、けれど、特別な何かも持たず、只、他人も持っているようなありきたりな感情がたまたま向いただけの一般人。普通を彼女が聞くなら、確かに私しかいないだろう。
「それは、あれかい? 君の本当の願いが、普通なら願いにすらならないようなものだから、まずはその普通が何なのか突き止めたい、みたいな」
「大体は、そうかな。まだ、あれから大して時間は経ってないけどさ、帰ってる途中も、出迎えられてた間も、ご飯を食べて、清美さんと話してた間も、ずっとずっとその事を考えてた。
それでね、勘違いかもしれないけど、私、少し手掛かりみたいなのがつかめた気がするんだ。で、その手掛かりを確かなものにするには、これが一番かなって」
「……そっか」
ここまでを聞いて、どうやら、彼女は私が思っていた以上に立ち直り、前を見ながら向き合っていたんだなと、そんなことを思っていると、
「……えっと、それで、何だけど……」
そう言って、彼女は急に改まったようにもじもじとし始めた。ここまで言っておいて、今更断られるかどうか考えているのだろうかと、そう思いながら私は、そんな彼女に、
「良いよ。それで君が満足するなら、私はいくらでも答えるよ」
心にいつの間にか渦巻いていた否定と諦めを放り捨てて、彼女にそう返答した。
※※※※※※
【2019年 8月18日】
「もう、こんな時間か」
常夜灯の明かりが消え去り、月明かりの差すところを除いてすっかり真っ暗になってしまった部屋の中、私は朧気に見えた時計の針と数字を見て、思わずそう呟く。
深夜2時。まだまだこれから何て人もいるだろうが、既に眠気に負けて横に、或いはもたれ掛かってか、いずれにせよ眠りにつく人も多いだろう時間だけれど、私は未だ眠りにつかず、壁にもたれてだらりとしている。
一先ずの確認を終え、どうしようかと思いながら私は時計に向けていた視線を下げると、さっきまでと同じように、質問を終え、一日の疲れがどっと来たのかぱたりと眠ってしまった彼女にそれを戻した。
表情は午前に見たあの苦しそうな表情ではなく、穏やかに、けれど幸せそうなわけでも無い何時もの彼女の寝顔で、急変もなさそうなことに安心して、それを眺めながら、少しばかり前の事を振り返る。
彼女が私に聞いたのは、実に様々な私のこれまでの事だった。
生まれ育つ中で、私がいつ、どんなことを思ったのか。何をして、何をしなくて、何を考え、何を考えなかったのか。もう自分でも朧げな記憶を辿りながら、聞かれるままに答え続ける。
あまりにも細かいものもあって、本当に意味はあるのか何て思いながら話したものもあったけれど、それでも話して、話して、話して。話す内に、何となく私は、彼女が私の普通から何を知りたかったのかに気付いた。
最初は雑多なことを聞かれ、続けていく中で、彼女の質問の内容は、少しづつ次第に家族へと移り変わっていき、それと比例するように、彼女の質問の解像度も下がっていった。
言葉にするなら、家族というものの定義が未だ曖昧で、何を以て親になるのか、何を以て子供になるのか、何を以て絆が生まれるのか、果たして、何がそうさせるのか。本来なんとなく理解しているようなものが、分かっていないように感じる。
彼女の生い立ちを考えれば、当然と言えば当然なのかもしれない。でも、だとしてもそこまでわからないのは、少し不自然に思えた。
確かに幼少期こそあれだったが、綾音さんたちと暮らし始めてから、少なくとも家族という集団の輪の中にはいたはずで、だから私は、思い切って、そのことを彼女に聞いてみると、
「…………あの人たちは、私の事をを家族と呼んでくれてた。家族だって認めてくれてた。自分たちの一員として、特に綾音さんは、自分の子供と同じくらい、愛してくれてたんだと思う」
それは、私も思っていたことで、けれど、彼女は、
「でも、ね。どうしてかはわからないけど、いくら思おうとしても、私は、それを本物だと思えなかった。嬉しいことのはずなのに、受け入れるべきもののはずなのに」
その答えで、私はようやく彼女が抱える、本来願いにはならないという何かを理解して、だから、私は悩んでいるであろう彼女に、それを伝えようとして言葉が喉まで出掛かったけれど、そこで私は、その言葉を飲み込んだ。
友寄さんは彼女に答えを言わなかった。彼女が自分で気づくべきだと言った。それはきっと、彼女の根源にあるその願いが言葉一つで変わってしまう程に不安定なもので、何より、彼女の中に残る、“彼女が彼女で在った時の欠片”が消えるのを防ぐためだったのだろう。
そうして、私は結局最後までそれをいう事は無く、出来たことは、私のこれまでの欠片が、せめて彼女の役に立つのを、只祈ることだけだった。
「…………ありがとう、真那」
問答を初めて一時間が経った頃、彼女は最後にそう言うと、無言で常夜灯を消し、闇の中でそのまま今度は一人、何かの思考に耽り始めた。
私は、何も言わずただそれを見守って、見守って、見守って、少しづつ瞼を落とし、頭を揺らし、限界を迎えて布団へと倒れ込むその時まで、そして、その後も。
けれど、ここまで来てようやく、私の身体も限界を迎えたらしかった。
もう一度、私は時計を見る。深夜2時。静かな夜。ずっと誤魔化していたけれど、今日は私にとっても、疲労の溜まる一日だった。
体を動かし、心を揺らし、考え、思い、そして、吐き出した。
今度こそ。今度こそ、私に出来ることはもうないだろう。
だから、
「もう、寝るか」
そう思って体勢を変えようとした、その時、
「…………あれは」
動かした視線の先、不意に目に映ったそれに、私は、気づけば手を伸ばしていた。
月明かりの中に放り出されていたのは、何時も彼女が肌身離さず持っていて、けれど、いつの間にか持たなくなっていたカセットプレイヤーだった。何日も触っていなかったのだろう、僅かに積み重なっていた埃を、さっと手で払う。
祈李君の母親。祭りの最後で、私が出会った、あの狐面の女の子。そんな彼女が、この世に残していった形見。
色々あって、取り戻すのを忘れていたのだろうそれを、私は、眠る祈李君の傍へと置いた。
特に、大した意味はない。ただ、何となく、今の祈李君には必要じゃないものではなくなっているような気がして。返すというのは変だけれど、祈李君が持っているべきな気がして。
正体を彼女が知って、それでも会いたいと思っている今だからこそ、何か支えになればいいなと、そう思って。
「…………あ」
そんなそれに、眠る彼女の手が当たって、すると彼女は、ぎゅっとそれを握ると、そのまま胸元に寄せ、それからほんの少し背中を丸め、全身で抱えるようにして、そのまま、また静かになった。
そうして、一連を見届けた私は、不思議な安堵感を覚えながら、そのまま、ゆっくりと瞼を閉じた。




