第十五話 家族 その8
・視点 水野友寄
「私は、貴方みたいに、綾音みたいに、あの子の家族には、なれなかった」
それは、町が祭りの熱に浮かされていた頃の事。突然家へやってきた清美さんは僕にそう言った。
自分で言うのもあれだけれど、僕はどちらかというと普通よりも善に寄った人間性をしていて、大抵こんな時、咄嗟に出るのはいつも「そんなことないですよ」だったと思う。
こんな台詞を吐く人は大体が悲観的に物事を捉えてしまっているだけで、実際はそんなことないなんてことはざらで、だからいつもそうやって、まず肯定から始めるのが解決の一歩だったから。
でも、その時の僕は、その言葉をいう事は無かった。いや、言えなかったが正しいかもしれない。理由はまあ、細かいところまで言うならば様々だけれど、その中で大きな一つに絞るとするのなら、清美さんの、彼女の言葉が、心からのものだったからだ。
この人にとって家族というものが、姉というものが、祈李君という、この世に残る最後の形見がどれ程の意味を持つかは、よく知っている。だって、彼女にとって祈李君は“僕と同じく”、最後の家族なのだから。
「貴方があの子と共に暮らすことになったって聞いたとき、私、貴方の事をこの世の誰よりも憎んだわ」
1割の嘘と、9割の本音を混ぜながら、彼女はそんなことを言う。正直、互いにいま更だろうとは思いながらも、僕は話を遮ることなくただ黙って聞き続ける。
「どれだけ拒絶されていても、どれだけ疎ましく、妬ましく思われていたとしても、それでも、私はあの子の力になりたかった。それが、誰もいない世界で私に残されてる、唯一の救いだと思ってた。でも、でも貴方は、私がようやく手が届くと思った瞬間に、目の前であの子を連れて行った。
悔しかった。本当に悔しかった。悔しくて悔しくて、泣きそうなくらいに苦しかった。誰にも渡したくなかったのに、誰にも譲りたくなかったのに、貴方さえいなければ、私だけがあの子に接して、一緒に過ごして、もう終わってしまったものを取り戻せるかもしれないって、そう思っていたのに」
止めどなく溢れ出るそれは、清美さんが必死に堪え続けていたもの。どれだけ醜くて、どれ程あの子が嫌悪するか知っていたから、決して零さなかったもの。それは、何処かではあったかもしれない、僕の可能性の一つで、黙って聞くことが、僕に出来ることだと、そう思って、
けれど、
「でも、でも、ね。間違いだったの、それ。その時点で、私と貴方は違っていたのよ」
それを皮切りに、自嘲めいた後悔は溢れだして、
「私があの子を救いたかったのは、私があの子を愛したのは、私があの子を独り占めしたかったのは、全部全部私のためだった。あの子が姉さんの子供だったから。本当に傲慢で、強欲で、なんて醜い愛憎の果てだったのか。
私はね、姉さんが最後まで守ろうと思った子だから、守りたいって思ったの。姉さんを愛していたから、その子供を幸せにすることで、姉さんを愛して幸福にできなかった分が埋まると思ったの。
そんなので、ただただあの子を幸せにしようと思っていた貴方に、勝てるわけが、無かったのよ」
そんな風に椅子に座って俯きながら言う彼女の目は、僕から逸らされていた。まるで、何か純粋なものを、汚らわしい自分は見れないのだとでもいうように。
相変わらず、人によっては高圧的と思われそうな雰囲気はあるものの、響く声と、僅かに見える瞳には、隠しきれていない震えと動揺が浮かんでいて、不機嫌さは出せるのに、どうしてこの人はこうも弱さを出せないのだろうと、僕は思わずにはいられなかった。
貴方のそれは、間違ってなんかいない。それが、貴方なりの愛し方なだけだったんだ。僕は、そんなに純粋じゃない。僕だって、同じような醜さを以て接していたに決まってる。ただただ愛すなんて、僕らには無理なんだ。
だって、僕達はあの子の両親じゃないんだから。
ただ、きっと今ここでそう言ったって、彼女は受け取ってくれないだろう。そしていつまでもいつまでも、彼女は内にすべてを抱えながら、一人で生きて行ってしまうのだろう。
そう思った僕は、一つ、あり得ざる話をすることにした。きっと、話したところで誰も信用してくれないような、そんな話を。
「去年、実は僕、兄さんに会ったんです」
「…………え?」
「丁度去年の今頃、いや、少し前くらいだったかな。祈李君が行かないっていうもので、仕方なく、一人で帰ってきて墓参りにいたんです。それで、花も線香も供えて、いよいよ帰ろうかって思ったそんな時に、突然、声がしたんです。それで、振り返って見るとびっくり、他でもない兄さんがそこにいたんです。それで、僕は兄さんに色々と事情を話されて、それで僕は…………」
「ちょっと待って!」
相槌もないのでひたすらに話していたところ、やっとのことで頭が回った清美さんは、手を僕に向けながら静止を求め、仕方なくそこで話をやめた。そして、静寂の中清美さんから飛び出したのは、実に当たり前な疑問だった。
「………あの、どういう事?」
そうして僕は、その質問に答えるように、兄さんから言われたすべてを吐き出した。
※※※※※※
「……つまり、あの子はこの夏に姉さんに会って、それで……」
「今日、その奇跡は、終わります」
淡々と、ただ事実として僕は、清美さんにそう告げた。
全てを聞いた清美さんは、まさに半信半疑という感じで、でも、何処か納得しているような顔をしながら難しい顔をして、そして、
「……ねえ、一つ聞いてもいいかしら」
「はい、良いですよ」
そう返した僕に彼女は、
「……私は、姉さんに会うことは出来ないの?」
なんとなく答えは分かっていて、それでも聞かざるを得なかったのだろうそれを、ほんの少しの希望で浮かべてしまった期待を乗せて問いかけた。
あの子は、会えた。僕も、望んでいた人ともう一度だけ会い、あまつさえ積を託された。だから、もしかしたら自分もと、一匙にも満たない希望を抱いた。そんな彼女に、僕は、
「出来ません。例え今すぐにここを出て祈李君を見つけに行ったとしても、貴方は出会うことは出来ません。もっとも、そもそもの話、僕がそんなことさせないですけどね」
冷酷とすら思える程に、その事実を答えた。
「僕が兄さんに会えたのは、兄さんが託す者として、僕を選んでくれたから。会いたかったからじゃない、ただ、それで自分の家族が救えるから僕を利用しただけです。
だから、本来は僕も会えることは無かった。
僕らは、ここまで自分一人で生きてきてしまった。生きれてしまった。死者のもしもなんてなくたって、僕らはここまで歩めてしまったんです」
そう、歩めてしまった。希望がなくとも、願いは叶わぬとも、僕らは生きることを選んだ。いない未来を知らず知らずのうちに受けいれ、先へと一歩を踏み出した。故に、背中を押す人など、僕らには、もう必要がなくなってしまった。
それが、分かっていたのか。それとも、今ここで気づいたのかはわからない。
ただ、一つだけ言えるのは、それを聞いた彼女は、涙を流した。声も上げず、泣きわめくでもなく、ただただ、ほんの少しの涙を流したと、それだけで。
そして、今なら、今だから、僕は素直になれるだろう。
「……僕があの子を連れて帰ってきたのは、全てそのためだったんです。今日まで一緒に過ごして、少しでもそう思われるような信頼を築いたのも、そのためだったんですよ」
事実だけ。
「その前も、僕があの子を引き取ったのは、兄さんに頼られなかった悔しさゆえでした」
本心だけ。
「貴方より早かったのは、たまたま綾音さんと先に話していただけです」
実情だけ。
「僕も貴方と同じように、あの子をあの子としてなんて見ていなかったんです」
本性だけ。
「貴方だけじゃない。貴方だけじゃないんです。ただ、それでも僕が純真に見えたのだとしたら、それはきっと、僕の醜い後悔が、本人の意図しない救いで晴れてしまっただけなんですよ」
ただ、それだけを、僕は言った。
※※※※※※
だからきっと、全部を話した後、僕はもうあの子に必要とはされないだろう。
僕はきっと、あの子の内から消えゆくのだろう。
これまでの日々はきっと、忘れ去られるのだろう。
築いてきた関係はきっと、途切れるのだろう。
だって、僕は変わらないのだから。
清美さんと、何も変わらないのだから。
きっと彼女以上に、僕は酷い大人なのだから。
だから、だから、だから、
そうなる前に、自分から全て終わらせよう。
「さて、僕がすべきことはこれで全部だ」
全ては、ここまで。
「それじゃあ真那君、祈李君を頼んだよ」
後任にすべて引き継いで。
不要な僕は、暗闇の中に消え去ろう。
……。
…………。
………………。
………………………………ああ、でも。
………………………………ほんの少し、寂しいなあ。
「待ってください友寄さん!」
……。
「…………全部終わったら、一緒に帰ってもいいですか」
………………ごめん。
ごめんなさい、清美さん。
僕は、僕は、僕は、
「…………ああ、勿論さ」
あの子の、何かにはなれていたらしい。
だから、それを手放すのは、もう、僕にはできませんでした。




