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第十五話 家族 その5

 男は、結末を見届けた。


 それは、男の時が止まってから何年もの、残されたものの旅路だった。


 初めの男は、それを奇跡と呼んだ。男の決意が実を結んだ、新たな可能性だと言った。


 確かにそうかもしれないと、けれど、それと同時に、それは、あまりにも残酷な運命だとも思えた。


 例えそれが変化した結末であったとしても、奇跡と呼ぶには、その人生はあまりにも不幸だったから。


 だから、


『救わなければならない』


 可能性の先に生まれた、本来いなかったはずの奇跡の結晶を。


 ほとんど死人となった心のまま、それでもあの子が守り繋げようとしてくれた、自身の、愛の結末を。




※※※※※※



 本来あり得ざる二度目の人生で、男はあの日、臆病な心と真っ向から対立した。記憶はなく、それでも魂に刻まれた過去が、他にいる誰かを、他でもない誰かへと押し上げた。


 それまでを悔いるように、それまでを償うように、男はその夏、ひたすらに少女に寄り添い続けた。悪意の窯の中へくべられ、苦しみの業火に焼かれるのも厭わずに。


 そうしないと、何か絶対に迎えてはいけない結末が訪れるかもしれないという茫漠とした不安が、男の心に巣食い続けていたから。



 そして、その行動の成果は、その夏の終わりに訪れた。



『勇樹は、私の事、好き?』


 死者が一時この世に帰る盆の最後の一日、人々は空を見上げ、空に咲く火の花に思いを託しているその最中、少女は男に問いかけた。


 それは、たまたま他にいなかったから選ばれただけかもしれない。けれど、それでも確かに歩んできた日々によって生まれた少年少女の結末で、多くの苦しみと抗いの報いだった。


 そして、男は、


『……ああ、大好きだ』


 心から、魂から望んでいたその笑顔に答えるように、男は暗い夏空の下、遥か先の未来にある幸福を眺めながらそう答えた。



 それから、季節は巡り、指折りで数えるには多すぎるほどの日々が過ぎた。そんな日々の後のその日は、春の息吹が近づく冬の頃だった。


 確かに生まれた愛を抱えて、二人は遥か遠くへと逃げ出した。


 過去を捨てるために、全てを忘れ去るために、これまでの全てがどうでもいい程、ただただ幸せになるために、もう二度と戻りはしないと誓って。


 そして、その逃避行の果てには、確かに望んだ未来があった。心から望んでいた幸せがあった。もう、これでいいのだと、満足できる結末があった。


 全てが終わる、あの日までは。


 奇跡は、少女を幸せにするためにあった。そのために許されたのは、過去を変える事だけだった。故に、どれだけ過去が変わろうと、未来は、決して変わらなかった。


 そうして、自身は知らぬ男の二度目の人生も、同じ日、同じ時、同じ状況で、理不尽な簒奪によって幕を閉じたのだった。



 再び魂になり、全ての記憶を思い出した男は、理不尽な簒奪で終わったその人生に心から満足した。かつてあったあの残酷な悲劇への因果が、自らの手によって確かに断ち切られたのを、その身をもって実感したから。


 だから、自分の結末はもういいのだと、そう、終えようとして。


 ほんの僅か、ほんの一瞬。ただただ、ふと純粋に、その先が気になって。


 何気なく、本当に気軽に、男はそれへ振り向いて。




――――そこで男は、我が子の歩む、地獄を見た。



 生れ落ちたその時から、その子には希望は無く。自我が芽生えるより遥か前、守り手たる両親は灰骨と化した。残されたのは、何も知らず無垢で在るにはあまりにも長すぎる時間と、途方もない精神の孤独、そして、顔も知らぬ親たちが幸せを掴むために捨てていった負債だけ。


 その人生が不幸だけだったのなら、どれほど幸せだっただろうか。初めからそれしか知らなかったから、誰かと比べる事すらせずに済んだから、苦しみを苦しみなのだと思わずに先を目指して生きられた。


 でも、純粋たる善意は、その子にその生き方を決して許さなかった。その救済がその子にも、自分自身にも身に余る行為だとは知らず、ただ救いたかったからというだけで、それは行動に移された。


 暗い孤独な部屋しか知らなかったのに、余りにも広すぎる世界と、余りにも輝く日常を知った時、その子はどれほど自分の境遇が惨めだと思っただろう、どれほど自分が悲しいと知っただろう、そして、どれ程普通の幸せを望んでしまったことだろう。


 けれど、魚が泳ぐことしか出来ぬように、鳥が飛ぶことしか出来ぬように、その子は、その子としてしか生きることが出来なかった。


 これまでも、今も、これからも。どれだけ選択肢があったとしても、その子がその子である限り、それは普通へとは繋がらない。例え、どれほど本人の心が普通へと育っていったとしても。


 精神こころ身体げんじつが、際限なく乖離する。その軋轢は、その摩耗は、何にもなることのできない普通の成りそこないを、どこでもないところへと連れて行った。


 何もないところに怯え、誰もいないのに逃げ出し、形のないものを憎悪し、どこまでもどこまでも、終わることのない逃避行を続けた先にあったのは、墓標。


 あったはずの救いを捨て、差し伸べられた手を信じられずに振り払い、一人、また一人と理解者たり得た人々から逃げ出し、裏切り、傷つけて、最後には、普通というなの憧れから最も遠い暗闇で、孤独のままに死に絶える。


 その、最後の刻。


「○○○、○○○○○○○。〇〇、○○○○○○○」


 ただ一つ、その願いだけを残して。





 ダッダッと、足音が暗闇に響く。


 それは、止まることなく進み続ける。


 絶望も、後悔も、そんな暇はないのだと、ひたすらに走る。


 自分が救いたい人を救うために生み出された強欲の被害者を、加害者である自分が救うために。


 それがどれ程愚かで傲慢であるかなんて、言うまでもない。本来ないはずの二度目を行い、あまつさえ目的は達したというのに、更に何かを求めようというのだ。


 だが、それでも。


 自分は、あの子を守らなければならなかった。あの子と共に生きなければならなかった。あの子の親として、死ななければならなかった。


 あの子の傍で、あの子の前で、あの子の後ろで、あの子の生きる末を見届けなければならなかった。ほかでもない、澄希かのじょと共に。


 本来ないはずの幸福の結末を無理やり描いた末が、これなのだ。全ての終わりだったはずの己の死が、絶対に変える事の出来ないものが、何より最大の不幸をもたらす災厄と化し、全ての始まりとなってしまったのだ。


 ならば、もう一度、やり直そう。


 無かったことにはせず、ああ、例え、全てを幸福にすることなどできなくとも。


 だって、こんな自分を、顔すら知らないはずの自分を、あの子は、最後まで求めて続け、足るのだと信じてくれていたのだから。



 そうして、男は二度目の奇跡を。


 二人ともを救うための奇跡を、駆け抜けようとして。


 そうして、奇跡は起きた。二人分の渇望と、それを背負うたった一人の、魂からの贄を元に、祈りは、確かに奇跡を起こした。




――――けれど、結末は何一つ変わらなかった。



※※※※※※



視点 三司祈李



「変わらなかったって、どういうことですか」


 「そのままの意味だよ。奇跡は起きた、けれど、それは何一つ意味を成さなかったんだ」


 「だから、どうして…………」


 すると、友寄さんは、言葉もなく、ただじっとこちらを見据えた。その目線の意味を、必死に探って、考えて、そして、私は、


「あ」


 どうして今、自分がこの場で彼から話を聞いているのか、その理由を思い出した。


「無かったんだよ、今この時のこれは」


 これが無かった。それはこの話が、この機会が、この時間が、この私が。つまり、その私には、きっと。


「これまでの全てが報われるほどの希望を手に入れた後、君はその記憶ごと全てを失った。それ以上は何もなく、ただただ、喪失だけが残ったんだ」


 少し前の、何もかもを失った自分を思い出す。あの心のままこれから先を生きて行ったら、果たして、自分はどうなっていたのか。そんなの、今までの自分を考えてみれば、分かり切ったもので。


 きっと、いつまでもあったはずの何かを求めて、亡者のようにふらふらと彷徨っていたと思う。在る筈のない希望へ向けて馬鹿みたいに走っていたと思う。そして、最後には擦り切れるものを失くした心がその形を失って、その命を終えていたと、そう思う。


 そうして、在り得た自分の未来を見つめていた時、


「だから」


 それは、私には決して理解しきれない、途方もない決意の滲む声だった。


「だから、今。だからこそ今、僕は今ここにいる」


 真っ直ぐに、逃げることはなく、真正面から私へ響く。


「僕は、あの人に託されたものを果たすために、君の目の前に向かったんだ」


 それは、死者から生者へと託された、生きてほしいという願いだった。

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