第十四話 祈りの果て、本当の願い その8
「これが、初めの願い。三司澄希という一人の少女が、17年の人生の果てに出した願いだ」
そう言ってから、友寄さんは、一つ、溜息を吐いた。それは、決して呆れなどではなく、疲れからきたもの。優しく、丁寧に。絵本の読み聞かせのように、この長い物語を語ってくれていたから。
「さて、ここまでで何か聞きたいことは、あるかな」
休憩、と言った後。友寄さんがお茶を用意してくれて、促されるままそれをちびちびと飲みながら無言で暫くいると、先に飲み終わった友寄さんがそう聞いてきた。
「え? あ、ええっと……」
なんとなく何かを言わなければならない気がして考えるものの、すぐには言葉にならなかった。
聞きたいことが無かったわけじゃない、むしろ、聞きたいことだらけだ。でも、お茶を飲みながら、今は、唸りながら。考えてみても、質問が上手くまとまらない。それはきっと、私の中で、澄希さんという存在が揺らぎ始めてしまったから。
「……どうして」
あの人は、私の理想だった。今思えば自分には過ぎる程で、少なくとも私の前では、誰よりも輝いていた人だった。
でも、友寄さんの話の中の現実で生きる澄希さんは、どこまでも人間で、初めから何もなかった私よりも、ずっとずっと苦しんで生きていた。だから、
「どうして、私が選ばれたんですか?」
そんな彼女の救いの為に選ばれたのが、どうしてこんな無力な私だったのかが、何よりもわからなかった。
「……君はもしかして、自分には何もできていなかったと、そう思っているのかい」
「だって、実際そうじゃないですか。私はただ一方的に救われただけで何もしてませんでしたし。それに、何より……」
「何より?」
「何より、私は、今までの事を知らなかった。澄希さんは、最後まで私に自分の肝心なことを何も話してくれなかったんです。
勿論、自分に何かできたかって言われたらそうは思わないですけど、でも結局、それって私は澄希さんに、なんにも期待されなかったって、そういうことじゃ、ないですか」
言い終えて、私はそれを言葉にしたことに、気づけば言いようのない不安を覚えていた。
きっと、質問をしたからには、友寄さんは答えてくれる。ただ、答えだけをくれると思う。それが、怖い。あの優しさは、明るさは、もしかしたらすべて上辺だけの嘘だったんじゃないかと思うと、どうしようもなく、怖くって……。
「違う」
「……え?」
突然聞こえた声に、私はいつの間にか俯かせていた顔を上げる。すると、そこにあったのは、誰よりも優しい、真剣な顔だった。そして、
「それだけは、違うよ。あの人は、澄希さんは、期待してなかったり、信頼していなかったから君に話さなかったんじゃない。彼女はむしろ、辛く苦しい過去なんて、自分のことがどうでもいいくらい、君との日々に救われていたんだよ」
私の耳には、芯のある、本当の言葉が響いた。
「……、……」
さっきはなんとなしにごまかしの言葉が出たけれど、今度はただ口が開くばかりで、戸惑いの声すら出なかった。
言われたことは分かるけれど、言われた言葉が分からない。私と彼女は互いに、この夏にたまたま会って。ずっと一人だった私と違って、彼女は色々な人と関わっていて。彼女に何もできていなかった、頼りきりだった私が彼女を救っていたなんて、そんなの……。
「こう言っても、君は信じないかもしれない。でも、救う側というのはきっとそういうものなんだよ。
救いというのは、誰かが与えるものじゃなくて、救われたと当人が思って初めて生まれるもので。君に自覚がなかったとして、それでも彼女にとって君は、紛れもない救い人だった。この事実は、決して変わりようのないものさ」
――――例えば、君が“彼女に救われた”と思っているようにね
その言葉は、私の中にあったどうしようもない拒否心を一瞬にして消し去った。だって、それがどういうものなのか、私が一番よくわかっているから。
「っと、ごめん、これじゃ最初に聞かれた質問の答えにはなっていなかったね」
貰った言葉に何も返さずにいると、友寄さんは少し申し訳なさそうな顔をしながらそう言って、話は、本題へと戻った。
「どうして、君だったのか。その質問は、何より当然だと思う。ただ、答えだけを言うのだとしたら実に簡単なものでね、それは単純に、君でなければこの奇跡を起こすことが出来なかったからさ」
「出来なかったって、どういうことです?」
「……祈李君。君はここまでの道中で、真那君からこの奇跡の内容とどのように起こるかについては聞いているかな」
「それはえっと、まあ、はい。曖昧なところはありますけど」
そう言いつつ、思い返す。真那の説明だと、亡夢と呼ばれているこの奇跡は、死者の生者への生きてほしいという願いから起こるもので、死者の中で特別に強い思いを持つ人が、その他大勢の死者の祈りの力を受け取り、この世に残してしまった上に、自分の死によって生きる希望を失った人の前にもう一度だけ現れる。
そして、彼らは一刻の希望と幸せと共に、自分のいない世界で、それでも生きていてほしいという願いを託す。そんな、言ってしまえば荒療治のようなもの。それによって生者がどんな風に思うかなんて、知ったものじゃ、ない。
「おおよそをわかってくれているなら構わないよ。それでなんだけどね、今回のこの奇跡では、いくつかおかしなところがあるんだけど、その中でも特に一つ、明確におかしなところがある。それが何か、わかるかい」
「わかるかいって、私でも気づくような事なんですか?」
「うん、考えてみればわかるはずだよ」
言われて、私はこれまでの事を振り返りながら考える。正直、奇跡という事自体が随分とおかしなものな気がするけれど、それでも条件を絞りながら、何かが無いかと探る。
奇跡。死者が現れる。再会。希望を託す。もう一度。死んでしまった人と、もう一度。もう、一度……
いや、違う。
「私はあの時、澄希さんに、“初めて”会った」
事実だけを言うならば、彼女から生まれた私は、きっとどこかで彼女を知っていたのだろう。でも、私は母親を知らない。何も知らない。それなのに、まして少女時代の彼女なんて、何一つとして知っているはずがない。
だから。いや、そうでなくても。私はあの人と、澄希さんともう一度なんて、きっと死んでも望まなかった。矛盾しているかもしれないけど、誰かに救って欲しかったけれど、誰でもいいわけじゃなかった。
まして、私の苦しみの中で生きた十七年が報いられ、一夏の短い出会いで救われるなんて、微塵も思っていなかった。
「この奇跡は、言うなれば、再会の奇跡だ。けど、この奇跡は、再会で救われる人がいなければ成り立たない。どう救われるかじゃなくて、誰に救われるのか。それが最も大切なこの儀式で、初めてだけは、ありえない。そう、それこそがこの奇跡の明確で最大のおかしな点なんだ」
はっきりと、おかしいと、友寄さんはそう言った。言われた通り、私でもわかるような答えだった。でも、私が聞きたい答えは、それじゃない。
だから、私は友寄さんに、もう一つ質問をした。
「……なら、どうしてこの奇跡は、この夏に起きたんですか?」
その言葉を、待っていたのだろう。それを耳にした友寄さんは、迷うことなく、その答えを口にした。
「それはね、例え、時を超えてさせてでも、運命を捻じ曲げてでも。何より、永久に自分の幸福を手放してでも。君に、一番大切な家族に、幸福に生きてほしいと願い続けて、とうとう成し遂げた一人の男がいたからさ」
そうして、友寄さんは、二つ目の願いを。
そして、何より大きな、奇跡を生み出すほどの願いを願った人物について、語り始めた。




