第十四話 祈りの果て、本当の願い その4
始まりの少女が孤独の果てに願ったのは、自分に存在価値を与えてくれる誰かだった。
親の期待と希望をその身に背負って生まれた少女は、彼らの予定通りの人間になるよう育てられた。親族内で落ちこぼれとして扱われてた両親は、自らの子供に、叶わなかった願いを託そうとしたのだ。
けれど、その願いを叶えるための才を、少女は持っていなかった。
『……はぁ』
何かを失敗するたび、うまく出来ないたびに、少女の耳には、二つの溜息が聞こえた。何も知らず、何も出来ず、ただ期待だけが詰まった幼少期が過ぎた後に訪れたのは、終わることのない他者との比較と、劣等の証明のたびに減ってていく愛情の代わりに与えられる失望を受け取るだけの日々だった。
心底まで澄みわたり、希望に満ち溢れていたはずの心は、重すぎる期待でひしゃげ、劣悪というレッテルで塗り固められ、ヘドロの溜まった用水路のように、息すら出来ぬような苦しみへと沈んでいった。
そんな日々が続く内、とうとう自分が両親に見捨てられたのだと気づいたのは、才を持ち、よく褒められる妹に、両親の持つ愛の全てが注がれているのだと気づいた時だった。
ただ、それでも彼女が彼らと家族であろうとしたのは、他でもないその妹が、自身を必要としたからだ。
深く真っ暗な失意の底で死にかけていた彼女の前に差し込んだ一条の光は、闇の全てを掻き消すほどのものではなかった。ただそれでも、確かなそのほんのわずかな温かさは、冷え切っていた少女の心に、もう一度熱を帯びさせた。
例えそれが、どれほど些細な理由であったとしても。屑籠の中のゴミであったはずの自分に存在価値が与えられるならば、それだけでよかったのだ。
全ては、自分を求めてくれる人の為に。必要としてくれる誰かの為に。そこに自我はいらず、価値のある偶像である事こそが、自分の存在意義だ。
そのためなら、自己の尊厳も意志も、その全てを捨て去ろう。でなければ、私がこの世に生きる意味など、何一つとしてないのだから。
一日、一週間、一月、一年。月日を重ねるごとに彼女が偶像としての輝きを増していったのは、他でもなく、少女にその才があったからだ。
妹の前では、彼女の理想の姉として。友人の前では、彼らの理想の友人として。紛れもない三司澄希と言う人物であったにも関わらず、他者の目に映る彼女は、それぞれが心中で求める人物だった。
三司澄希という器にそれぞれの理想を注ぎ込むと、それが中身となって骨肉を作り、精神を生み出す。その結果誕生するそれはいわば、一人一人が三司澄希として名付けた芸術作品であり、彼らが必要とする彼女の姿である。それ故、彼女がその形を崩さぬ限り、彼女は永遠に誰かに必要とされ続ける。
元々両親の願望を叶えるために生まれた道具は、その本来の在り方を失った代わりに、より多くの人間の願望を叶える機能を身に着けた。全ては、もう二度と、あの暗く苦しい屑籠の中に戻らないために。何の価値もないゴミにならないために。
幸福にはなれないけれど、辛くはないなら、一人でないならそれでいい。自分を否定されるくらいなら、自分じゃない何かだとしても、肯定される方がずっと良い。いるはずなのに、いないものにされるのは。見捨てられて、居場所がなくなってしまうのは、もう、嫌だ。
それが、三司澄希という少女のたどり着いた生き方だった。
「これを悲劇と呼んでいいのか、僕にはわからない。事実不幸な話だとしても、生き方を選んだのは紛れもないあの人自身で、それを否定するという事は、あの人の人生そのものを否定することになる。それに、あの人の事を最後まで理解できなかった僕らが今更とやかく言うなんて、あまりにも愚かな話だ」
そう言いながらも、友寄さんの顔には、どうしようもない悔しさが滲んでいた。けれど、
「ただ、それでもね、だからといってそんな人生を肯定できるほど、僕らは冷酷にはなれない。心のどこかで、幸せになってほしいと願ってしまう。そう、願ってしまうんだよ。特に、それが誰よりも近くで見てきて、誰よりもその人を愛してしまった人間なら、猶更ね」
その少年は、誰よりも長い間、少女を見ていた。幼馴染という、曖昧ですぐにでもほつれてしまいそうな縁であったが、少年の心を繋ぎとめるには充分なものだった。
時折、どうしてか家の玄関で立ち尽くしている少女の様子を見ていた彼が、幼さ故の好奇心で少女に話しかけたのが、全ての始まりだった。
『妹が、出来たから。だから、もう私はいらないんだ』
彼には、その言葉の意味が、何一つ理解できなかった。妹が出来た、それは、家族が増えたという事で、愛し愛される存在が、大切なものが一つ増えたという事で。自分の家族も、自分も、弟が生まれた時、何事にも例えられないほどに嬉しかったというのに、どうして彼女が出来がどうこうで、誰よりも愛してくれるはずの家族から一切の愛を受けられないのかがわからなかった。
でも、彼が何よりも理解できなかったのは、他でもないその少女が、現状をさも当たり前かのように受け入れている事だった。
その目から、その声から、その表情から、その仕草から。何一つ現状が変わってほしいという心は無く、ただ底なしの諦めだけが、幼心でもわかるほどにぴちゃぴちゃと音を立てて零れ落ちていて、それでどれだけ自分が苦しいのかなんてとっくにわかっているはずなのに、楽を求めず、ずっと自らから生まれた沼に沈み続けて、ただ静かに辛苦を受け入れている。
人間の、本来誰もが求めているはずの幸せになりたいという欲求が、その少女にはもうなかった。なかったことが、普通を生きてきた彼には異常にしか思えなかった。
だから彼は、少女を普通にしようと試みた。
幼い彼に出来るありとあらゆる手段と言葉を以て、彼は少女に普通はこうなのだと何度も何度も教え込んだ。現状はおかしいのだ、異議を唱えるべきだ、お前は幸せになっていいのだと、何日も何日も、決して諦めることはしなかった。けれど、その全てが少女に届くことはなかった。一つは、少女にはもう抗う程の精神が残っていなかったから、そしてもう一つは、彼が少女を必要としなかったからだ。
そうして、何か月、何年と経った頃、諦めこそしなかったものの、彼はいつまでも変わることのない姿に苦しみを覚え始めた。彼女と自身では、普通が違う。どこかの誰かも生きているそれが自身の日常と幸福である限り、自分には、どうすることもできやしない。でも、それでも彼女には、幸せになってほしい。
だって、彼女も自分と同じ人間なんだから。
そう、だから彼は、その姿を見た時、何より初めに、否定した。




