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第十三話 目覚め その5

 叫びで酸素を使い果たした私の身体は、必死になって空気を求めた。そのせいで、静寂が支配する林の中には、私の荒い呼吸音だけが、ただ僅かに響く。


 無理をして叫んだせいか、息を吸うたびに胸の辺りがビリビリと震え、吐くたびに何かが体中が抜けていく気がする。


 その正体が何なのかはわからない。でも、それがどうしてか苦しくて、果てなき辛さを感じ続けさせるその感覚を暫く前にも味わったような気がして――――



  【忘却】



 ――――いや、今は、どうでもいいか。



 ぬるくなった空気を吸い込みきった私は、心身の落ち着きを取り戻したのを感じると、ゆっくり顔を上げる。


 すると、その間にもずっと感じ続けていた視線が私の瞳に向かってきた。


「もういいのかい?」


 淡々としたのその言葉には、本来あるはずの心はなく、ただ無機質な質問としてだけ私に届く。それで、少し前の唐突な豹変を思い出した私は怖気づき、返答しないままでいると


「答えてはくれないと。まあでも、その様子なら落ち着いたみたいだね。いやあごめん、まさかあそこまで取り乱すとは思わなかったからさ」


 軽口を言うように、大袈裟に身振りを付けながら、真那は言った。


 その声と仕草は、何度も見た彼女の、あの軽薄な姿で、でも、その中にどこか冷淡さが混ざっている。


 その様子を、未だに怖気づきながらも冷静に眺め、いつもの思考で咀嚼した私は、ようやく、彼女の異常に気付いた。



 さっきは取り乱してしまったせいで気づくことができなかったけれど、改めて振り返ると、そうだ、よく考えれば、最初から彼女はおかしかった。


 それを理解すると、さっきの、あの本音のこもっていない言葉に耐え切れなかった私の口は、あれこれと言葉を考えるより先に開いていた。


「………………噓吐き」


「……何の話?」


 そう言って、まだ演技を続ける彼女に、私は言う。


「確かに、うん。私、落ち着いた。落ち着いたから、少し考えた」


「ふうん、それで?」


「それでさ、考えてみて、気づいた。気づいたうえで、聞くんだけどさ」


 そう言って、一拍を置いてから、私は告げた。


「何しに来たの、ここに」


 そういうと、先ほどまで彼女の顔にあった軽薄さが消え、ゆがみのない、真剣な表情へと変わる。


 雲に遮られたのか日差しが差し込むのをやめ、途端に暗くなってしまった林の影に包まれると、その顔は、更に深い暗さを帯びた気がした。


「……そうだったね、君は、何よりも人の機微に聡かったんだった。もっと心を乱そうかとも思っていたんだけど、かえって吐き出させたせいで冷静にさせた私の負けかだね、これは」


 はあ、と溜息を吐くと、真那は改めて私へと視線を向ける。そして、


「ここまで来たら、正直に言うよ。私は、君に現実を与えに来た」


「現実?」


「ああ……さて、というわけでなんだけど、そのことを話す前に、君に見せたいものがある」


 すると、真那はポケットから何かを丁寧に取り出すと、私に差し出してきた。何だと思いながら受け取ると、それは、一枚の写真だった。


 その意図が分からず、これは? と言いかけながらその写真に目を通して、瞬間、私の身体は硬直した。



 そこに映っていたのは、どうしてかはわからないものの、楽しそうに笑う少女。


 それは、初めて見るはずの写真。


 でも、何処か見覚えがあって。



「……この人は?」



 聞くと、真那は、



「それは、自分に聞いた方が良いと思うよ」


 そう言われて、思考を巡らせると、頭に、強い痛みが走った。



 ズキズキする脳裏に浮かぶのは、肝心なものが消された記憶。私の人生で、何よりも輝いていて、何よりも美しい記憶。


 その中に、写真の笑顔が映りこむ。



 私はその、温かな笑顔を――――

 


   【忘

     却】



 ――――ああ、そうだ。思い出した。



 どうして、忘れてしまったのだろう。その笑顔を、その声を、その姿を。


 心にもやのように残り続けていた感情が、次々にその鮮明さを取り戻していく。


 あの人からもらった、あの日と共に過ごす日々で手に入れたもの。


 欠片でさえ私に幸福をくれたそれが、心全てを覆っていった。


 そうだ、私はこの夏を、あの人と。


 【澄希】さんと、過ごしたんだ。




「思い出せたかい?」


 私の表情を見てか、真那が私に問いかける。


「……うん」


 それだけ返して、静かに頷く。


 本当は、この思いを、いつまでも噛みしめていたい。


 そうして、いたいけれど。でも、今はまだ、知らなければならないことが、記憶の先に控えている。


 だから、私は顔を上げて、その疑問を口にした。


「ねえ、真那、聞きたいことがあるんだけど」


「ああ、何だい?」


「……どうして、どうして真那が、澄希さんの写真を持ってるの」


 そう聞くと、真剣な真那の表情が、一瞬だけ、崩れる。だけどそれは明るい顔ではなく、むしろ、何か後ろめたいような表情だった。


 でも、本当に一瞬のことで、すぐにその表情は、ともすればさっき以上に、真剣なものへと変貌した。


「その写真は、私のじゃなくてさ。綾音さんに借りた物なんだ」


「え、綾音さんって、何で?」


「まあ、君からしたらそうなるよね。今までずっと、君は確かに彼女と出会っていたし、何より、私自身も会ったからね」


「真那が、澄希さんと?」


「ああ。まあ、君は多分覚えてはいないだろうけど」


「えっと、あの、どういう事?」


「………それを話すためにはまず、結論から言おうか」


 そして、僅かに息を吐いてから、真那はその事実を私に告げた。


「まず、そもそもの話として、澄希という人間は、もう、この世にいないんだ」




 ごうっと音を立てて、風が林を吹き抜ける。唐突に吹いたその風は、夏だというのにひどく冷たく、僅かな肌寒さを私に残して過ぎていった。



「……………は?」


 それは、あまりに唐突な話で、思わずそんな風に返す。けれど、私が言葉を受け入れようとする間も与えず、真那は話を続ける。


「その写真は綾音さんから借りたものでね。撮られたのは、今から二十年以上前も前だそうだよ」


 見返しててみると、確かにその写真は少しくすんでいて、古めかしさを感じさせたものの、それでもなお、まだ私は受け入れられない。


「君がこの夏に出会っていたその少女は、過去からの願いの亡霊。ある奇跡によって起こった期限付きの幸福だった」


 期限。


「君がこの夏に得た記憶や感情は、確かに本物だ。でもね、それはいつまでも、未来永劫続くものじゃない」


 未来。


「ただ一つ、ただ一度だけ与えられた仮初かりそめの日々は、もう終わったんだよ」


 終わっ、た。


 終わった。終わった。終わった。終わった。


 『思い出すな』


「思い出すんだ」


 『思い出すな』


「君は覚えてるはずだ」


 『思い出すな』


「忘れることなんてできないはずだ」


 『思い出すな』


「だって、君はあの日」


 『思い出すな』


「その目で、確かに見たはずなんだから」


 『思い出すなっっ』




 あ。


 『だめだ』


 ああ。


 『だめだだめだ』


 ああ、そうだ。


 『だめだだめだだめだだめだだめだっっ』


 ……ごめん。


 『………………………………後悔、しろ』





 ――――カチッ





「………澄希さん?」


 止めることが出来ずに漏れ出た言葉は、打ちあがる花火の音と共に、夜の闇に消えていく。


 目線の先、その人がいたはずの場所は、まるで初めから何もなかったようにがらんどうで、夏の空気だけが満たしている。


 白い何かが視界の端に写って、その場所へ視線を向けると、彼女が付けていたはずの面を、どうしてか地べたが着けている。


 風で僅かに揺れてからからと音を立てるそれを、なんとなく、拾おうと思った。


 数歩歩いてから、身をかがめて、それに手を伸ばす。そして、いよいよそれに触れた、その瞬間。


――――ジュッ


 指の触れたところから、焼け焦げるように赤く光り、やがて灰となって、そのまま軽風に飛ばされる。


 その灰の飛ぶ先を、関心をそのままに目線で追いかけて、私はその方向に振り向いた。


「お墓?」


 灰の先には、焼けた骨を納める石が、二つ並んで置かれていた。飛んで行ってしまった灰がなくなってもなお、私は、その光景を眺め続ける。


 それが、少し前に訪れた両親の墓だとわかったのは、後ろから聞こえた一番大きな音を気にして後ろを振り向き、その巨大な火花の下に広がる町が、明るい陽射しに照らされたあの光景に、どこまでもそっくりだと気づいてからだった。



――――カチッ


※※※※※※


「……そうだ、そう、だった」


 暫くの沈黙の後、祈李君は、静かにそう呟いた。


「今度こそ、全部思い出したかい?」


 そう聞くと、ゆっくりと、思い返しながら、彼女は語る。



「……突然、澄希さんが消えて、何でかお墓にいて」


「そしたら、突然記憶が消え始めて」


「思い出が、どんどん曖昧になっていく中で、これだけは忘れたくないって思って、ずっと名前を呼んで」


「そうしてたら、今度はいろんなものが湧きだした。嬉しい、悲しい。約束、裏切り。一緒にいた、置いていかれた。ずっと二人、一人ぼっち」


「そのせいで、ますます混乱して、気づいたら、飛んでいった灰を追いかけてた」



 そう言うと彼女は、今までその存在を忘れていた傷のあるを、ほんの少し、強く握る。


 あの夜、虚ろ気に、ただ友達の名を呼びながら、フラフラと、何度も何度も転びながら歩く彼女を、私が見つけた。



「……信じたくないけどさ、あれって、全部現実ってことだよね」


 俯きながら、彼女が呟く。痛いほどに、寂しげな声。けれど、それでも、嘘は付けない。だから、私は


「うん、そうだよ」


 できる限り優しく、そう伝える。それを聞いた彼女は、微かに笑うと、気が抜けたように、膝から崩れ落ちた。


 その姿を見て、思う。絶望というのは、まさしくこう呼ぶのだろうと。


 その姿を見て、思う。本当に、なんて残酷なのだろうと。


 だから。


 そう、だから、私は彼女に告げる。



「ねえ、祈李君」


「……何?」


「もしもの話。本当に、本当に僅かな、可能性の話だけど、それでも、もし


“もう一度だけ彼女に会えるかもしれない”


 って言ったら、君は、どうする?」


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