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第十三話 目覚め その3

 私はずっと、償いの機会を探していた。


 償いといっても、私が直接誰かに何かをしてしまったという話では無い。むしろ、もっと漠然とした、生きるという事の話だ。



 私は、不変が嫌いだった。変わり映えしない景色、何もない町で送る日常は刺激がないわけではなかったものの、やはりできることは限られていて。


 だから、電波越しに見る知らないものに目を輝かせ、いつか自分もその世界に行きたいと、純粋に願っていた。


 けれど、私のその薄っぺらな感情は、ある時に、そのことごとくを打ち砕かれてしまった。


 何故そんなことが起こったのか、その答えもまた、実に単純なものだ。それは、他でもない私自身が、自分がどれだけ平凡で、豊かで、幸福な人生を送っていたのかを理解したからだ。



 ある日、親戚の集まりが時雨家であった。まだ子供だった私は当然のように親に従って参加していたものの、同世代はおらず、下も上も関わるには離れていて、ひたすらに退屈なものであった。


 だから私は親の目を盗み、時雨家を探索することにした。こっそり奥へと歩いていくと、やがて私の眼前には二階への階段が現れ、好奇心旺盛だった私は当然興味を示し、誰に気付かれることもなくその階段を上った。


 そうして上り終えた先で、私は初めて彼女に出会った。


 階段のそばにある柵に背中を預け、石像なのではないかというくらい静かに体育座りをしながら、漆黒の瞳で私を見据える。


 けれど、彼女が言葉を発す事はなかった。今思えば、当時の彼女はまだ殆ど他者の接し方を知らなかったのだろう。


 ただ、当時の私には、じっと見つめられていたことと何も話さなかったことが不気味に思えて、暫く見つめ合った後、私はそのまま下りてしまった。


 でも、その一瞬の出会いは、私の心に、言いようのない何かを刻み付けることとなった。


 

 初めての出会いから数日後、私は彼女と二度目の出会いを果たした。どうして出会ったのか、それは実に単純な話で、私があの不気味な少女に対して、どうしようもない好奇心を抱いたからだ。


 綾音さんは私の話を聞くと、快く彼女に会わせてくれた。そうして、以前と違って日が照り付ける昼下がりに出会った彼女は、ずいぶんと普通の少女だった。


 確かに無口ではあったものの、佇まいも仕草も普通そのもので、あの不気味さは微塵も感じることはなかった。ただ、だからこそ、私の彼女への関心はより強いものとなって、その晩、私はとうとう母に彼女の事を話した。


 その時の、母の不快とも、気まずいとも呼べそうな最初で最後の表情は、今でも覚えている。


 一通り話を聞いた母は一言、あの子と関わってはいけない、と私に言った。無知な私は当然聞いた、それは一体どうしてだと。


 すると母は、少しも悩む素振りを見せずに答えた。あの子と関わると、私自身も不幸になってしまうのだと。


 その答えは、正直納得のいくものではなかった。あまりにも因果が不明で、用意された答えのように感じた。けれど、その時はまだ親という存在は絶対的なものであったため、私はそれ以上は聞かなかった。



 私が母のその言葉の真相を知ったのは、私が中学二年になった年のことだった。


  母に忠告されても尚、私はひそかに彼女と関わり続けていた。理由という理由はなかったが、しいて言うなら、それが私の日々に変化を与えたからだと思う。


 だからその日も、私はいつものように時雨家を訪れ、少しずつ普通へと近づいていたあの少女に会うために部屋へと向かおうとした、その時のことだ。


 綾音さんと、名を知らぬ男の人が、親し気に話をしていた。今でこそその男性が水野友寄という人物であった事は知っているが、当時の私は知る由もなく、その男と綾音さんの話す内容が気になって、こっそりと耳を傾けた。


 そうして私は彼女の、三司祈李という少女の、壮絶な人生を知った。


 すでに何度も会っていたその少女が、私と何も変わらないことを理解していた。生物として、人間として、何一つ違いはない。だというのに彼女は、私では想像するだけで苦しいような、悲劇的な人生を送っていたのだという。


 自分の日々を退屈だ不変だのと言っている間にも、彼女は地獄を生きて、いや、その時も尚生き続けていた。


 そして、何よりも私に衝撃を与えたのは、その人生が全て、他者にがんじがらめにされたせいであり、私もまた、その一員を担っていたことだ。



 私が、ただ生きているというそれだけのことが、既にあがなえぬ罪だった。


 自らが生まれるより昔、母が母でなかった頃から積み重ね慣れた悪意という名の毒霧は、確かに私の中に蓄積して、体中を巡っている。


 気にしすぎ、考えすぎだと言われればそれだけの話だったのだけれど、どうしてもその思考をやめることはできなかった。


 けれど、それでも月日は過ぎていき、曖昧な罪悪感だけが重くなる中、私は普通を生き続けた。


 そして、私が高校二年生になったある日の事、その決定的な出来事が起こってしまった。



 その事件の詳細と、被害者となった少女の話を聞いたとき、私は同情するでも、怒るでも、心配をするでもなく、ただただ、恐怖を抱いた。だってその少女は、私の可能性の一つだったから。


 私の母はまだまともだったからか、私に悪意を受け継ぐことはしなかった。もしかしたら、年を考えれば関わることはないと思っていたのかもしれない。


 でも、もし母が昔から顔も知らない少女の印象を悪意を持って私に植え付けていたら、私は空っぽの悪意を持った怪物に成り果てて、彼らに並び立っていただろう。


 それは、結局起こる事の無かった絵空事でしかないけれど、かもしれないというその事実があるだけでも、あまりにも恐ろしかった。


 だから、私は必死に考えた。どうすれば、私の罪は祓われるのか、どうすれば、彼らと同じ人間であることをやめられるのか。


 けれど、いくら悩んでも答えは出せず、それどころか罪悪感はより強くなっていく一方で、私はただ普通に生きることにすら、苦しみを覚え始めた。



 彼女に会いに行くのをやめた。私に何一つ彼女を救う術はなく、むしろより苦しめるだけだと思ったから。


 誰かと共に過ごすことをやめた。そんなことは無いと分かっているはずなのに、仲のいい友人たちが無自覚な罪人に思えたから。


 笑顔を浮かべることをやめた。嘘でも幸福であることを示すのその行為は、何よりも罪を孕んでいるような気がしたから。


 そうして私は、少しずつ少しずつ、自らの思う普通を手放していった。それは、私自身を孤独へと追いやる行為であったが、そんなことはどうでもよかった。


 どうすればいい、どう生きればいい。私は一体どうすれば、自身が生きることに苦痛と罪悪を感じなくなるのか。ただひたすら、不気味な程の情熱を持って、私はその答えを探し続けた。


 そんな日々を過ごしていた時に出会ったのが、あの伝承の物語だった。


 それは、今現在私が調べていたものとは違い、かなり曖昧になされた童話のようなものだった。けれど、そんな御伽噺に、私は救いを見出した。


 遥かなる過去の中に、私の罪を赦す人が、私のこの心を心底から理解してくれる人が、一人くらいいるんじゃないか。


 もし仮にいるとするならば、どうか私の手を取って、生きる道筋を示してほしい。私が私であるために、あらゆる醜さを失った、誰よりも正しいものになるために。


 決して言葉になることはない、ひそやかな願い。それをどうか、誰か叶えてくれはしないかという祈りを、私は宿した。


 可能性があるならば、それを求めて生きていこうと、ただ漠然とそう思うことで、私は一つの希望をてにいれることができたのだ。



 もっとも、それだけを信じていられるほど、私は純粋ではなかったけれど。

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