第十三話 目覚め その1
盆に死者が帰って来る。この国に当たり前であるほど信じられているこの話は、そこから様々な物語を生み出してきた。
だが、それらがこれまで物語として成立していたのは、人々がそれを信じてなお幻想だと理解していたからだ。
叶わぬ夢、届かぬ祈り。だからこそ人はあり得ぬものに心を惹かれ、その美しさに魅了された。
――それがもし現実で起きた時、どれだけの残酷さを持つのか。その問いに、目を背けながら。
8月17日
「……」
祭りから一夜明けた朝、私は座って壁にもたれかかりながら、ただ静かに彼女を見つめていた。
寝不足で今にも瞼を落としそうな私とは対称的に、彼女はすうすうと寝息をたてて、まだ柔らかな日差しに照らされながら眠っている。
何もない、安らかな時間。他の誰かも、同じように過ごしているのかもしれない。
でも、今この場にいる私たちには、その平穏は遠いものとなっていた。
亡夢、死者の祈りによって起きる奇跡。
その実存を知りながらも、私は心のどこかで疑いを抱えていた。
けれど、今だ鮮烈に思い返されるあの僅かな邂逅の記憶は、そんな些細な疑念では覆せないものを私に植え付けた。
声も、仕草も、息遣いも、その何もかもが生者と変わらないそれを、果たして死者と呼んでいいのかすらわからない。
ただ、確固たる事実としてあの少女【三司澄希】という人間は、もうこの世にはいないのだ。
「…………、祈李」
いつからか、大人を気取って付けていたものを取り払い、その名前を呼ぶ。けれど、声は僅かに部屋に響くだけで、彼女は何の反応も示さない。
それほどまでに深く眠りについているのか。或いは、見ている夢から永遠に目覚めない様に、必死になって目を閉じているのか。
そのどちらだとしても、いずれにせよ彼女にとって、それが一番幸せな現実なのかもしれないと思いながらも、同時に、それは彼女が最も嫌っていた、過去へ縛られ続ける事なのではないかとも思う。
「……私も、寝ようかな」
限界の脳で思考を回していたからか、突如として強烈な眠気が襲ってきた。徹夜、早起き、そしてまた徹夜。いくらまだ若い体だとは言え、これ以上起きているのはまずいと判断して、私はよろよろと立ち上がりながら部屋を出ようとした、その時、
「いか、ない、で」
絞りだす様な、震えた声。
「ひと、り、に、しない、で」
普段なら、決して言わない言葉。
「いや、だ。いや、だよ」
それが、自分に向けられたものではないのだと理解していても、あまりに悲痛で、あまりに苦しいそれを聞き逃せなくて。
偽善ですらない、張りぼての感情で彼女へ手を差し伸べようとした、瞬間。
その着信音が、機械的に私を呼んだ。
※※※※※※
肌に、あったかさをかんじる。内側からくるぬくもりではなく、外からの、あびるようなあったかさ。
それに意識が向いた瞬間、閉じているはずの僅かな隙間から、目に光が漏れだす。
眩しくて、一度ぎゅっと目を閉じると、そのせいか、逆にゆっくりとまぶたが開かれる。
そして、目の前につるされたあかりと、何度もみた天井が現れて、それと同時にとびこんできた光が太陽の光によるものと薄っすら認識したところで、私は曖昧に意識を取り戻した。
染みついた習慣からか、考えることなく私はからだを起こす。
「……んー…」
まだぼんやりしている頭のまま、何度か目をぱちぱちさせると、私は辺りを見回す。
かつての日々、そしてこの夏をすごした時雨家の一部屋。普段からあまり整理をしていないため、所々ものが散乱している。
「……あれ?」
そんな部屋をなんとなく眺め続けて、少し思考がまわり出した頃、私はその違和感に気付いた。
何でこの部屋で寝ているのか、もっと言うと、昨日の夜何があったかを覚えていない。
「うーん…」
思い出そうと、頭に手を当てて唸る。けれど、寝起きのせいか頭にもやがかかったようで上手くいかない。
でも少しずつ、ほんの少しずつ、朧げな記憶が浮かんできた。
「○○、○○○○」
誰かが、私に話しかけている。
「○○○、○○○○○○」
けれど、言葉も顔もわからない。
「○○○○、○○○○○○○○○○」
でも、どうしてか思い返すたび、心がねつを帯びていく。
「○○、○○」
笑いあって、名前を呼ばれた気がする。
「○○○、○○○○○○○○!」
何かを分け合って、楽しみあった気がする。
「○○○○○、○○○○○○○○○○○」
不安になるほど、優しさを貰った気がする。
「○○○○○○○、○○○○○○○○○○」
何かを、心の底から肯定された気がする。
――でも、何も思い出せない。
抱いた感情の機微も、過ごした時間も、体験した感覚も体に染みついているのに、それをどうして手に入れたのか、それだけが欠落している。
今の私は、これまでの私と何も変わっていない。変わっていないはずなのに、何故だか私の中には、喪失を感じた心があるのを感じた。
「……あれ?」
違和感を感じて肌を拭うと、手が少し湿り気を帯びる。その手をじっと眺めていると、今度は雫が零れ落ちて、布団に染みを作っていく。
「あれ…あれ?」
いくら手で拭っても拭っても、目から雫は溢れ出て、止めどなく肌を流れていく。
どうしてかわからない。わからない、わからないのに…
――ああ、違う、そうじゃない。
わからないんじゃなくって、私は今、分からないのが悲しいんだ。
自覚とともに、胸に痛みが走る。
鋭く、深く突き刺すようなその痛みは、心の奥底からやって来る。
無いはずの心に空いた穴が埋まっていないような気がして、それが、どうしようもなく苦しい。
何が痛いんだと、何がそんなに苦しいんだと、必死に必死に考える。
でも、考えれば考えるほどに頭の中のもやは濃くなっていって、思い返した記憶も少しづつ遠ざかっていく。
鮮明さが失われていくその感覚は、まるで起きた後に直前まで見ていた夢を忘れていくようで、嫌だ嫌だと思っても、その場限りの物なのだと言わんばかりに掠れていく記憶を取り戻そうとして、私は心の中で叫ぶ。
『いかないでっ』
名も顔も知っているはずなのに
『忘れさせないでっ』
何よりも大切なはずなのに
『おいていかないでっ』
一人じゃなかったはずなのに
『いやだっ』
失くしたくない
『いやだっ』
放したくない
『いやだっ』
もう私は、孤独になんてなりたくない
……。
…………。
………………。
……………………ああ、行かなきゃ。
どこへ? あのばしょへ
なんで? あうために
だれに? あのひとに
どうして? すくわれるために
行かなきゃ。
行かなきゃ。
行かなきゃ。
行かなきゃ。
行かなきゃ。
行かなきゃ、行かなきゃ、行かなきゃ、行かなきゃ、行かなきゃ……………
行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ
○○さんに、会いに行かなきゃ。




